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2014年01月22日 (水) | Edit |

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「セラピストとヒーラーのための脱力講座(仮称)」WSの企画を考えていて浮かんできたことですが、いま何が問題になっているか、考えが少々整理されてきたようです。

まだまだ荒っぽいかもしれませんが、今時点の考えをそのまま書きだしてみます。

問題点は、『セラピーやヒーリングの主体は「無意識」である』ということが、現代人にとって、分かり辛くなって来ていることだと思います。

最近では、他者の心身の治癒(施術や癒し)を行うのは、専門的な技能や知識によるものだと思われており、様々な講座や資格取得の講習が盛んに行われているようです。

その発想の大もとは結局、セラピストの意識・意志が主体になって、その技能・技術によってクライアントの心身に働きかけ、治癒を行うことが可能であるという考えが、前提になっていると思います。

でもそれでは、近代科学の発想による近代医学の考え方や教育法と変わらなくなってしまうと思います。だから代替医療という範疇に収まってしまうのかもしれませんが。

ネイティブなヒーリングの発想では、ヒーラーやセラピストの「魂」がクライアントの「魂」に触れあい、そこに治癒が成り立ってくる。これが近代医学と、様々な民間医療・ヒーリングとの間を、区別するラインだと思います。

私は決してスピチュアルな人間ではありませんが、私が師匠(竹内敏晴)から受け継いだ演劇舞台演出の根本は、演技の主体を「無意識」=「からだ」(=魂)としたことです。意識的計算によって演技表現を作って見せるのではなく、意識の古層(無意識)に潜在する人間の情念や心象に表現の機会を与えるため、演技者が自らの存在を「無意識」の側に譲り渡し舞台に立つ。舞台上には、日常を突き抜けた感情の交流と、人間にとって根源的なドラマが成立します。

やはりそこに求められるのは「魂」(無意識)と「魂」(無意識)の交流です。

私には、そんな体験が在るものですから、セラピストやヒーラーの人達を身近に感じ、また期待を持つのだと思います。にもかかわらず、実際のセラピーやヒーリングに携わる人々と出会って感じることは、孤立感や自分の仕事への自信の無さ、そこからくる卑下。もしくはその裏返しなのでしょうが、魂への謙虚さを忘れた極端な自信満々の表情や言動。(みんながみんなと言う訳ではありません。誤解なきよう。)

自他の「魂」への畏敬から生まれる自己は『やさしさ』です。(もちろん厳しさに裏打ちされた)
(そうそう私は「指圧の心 母心 押せば命の泉湧く」の浪越徳治郎先生の施術を直接に受けたことがありました。浪越先生はそういう人だったと思います。40年前ですが。私の師匠の竹内敏晴さんも野口三千三先生も・・・やはりそうでした。)

セラピストやヒーラーに求められるのは、もちろん技術・技能は必要でしょうが、先ず何より大切なのは自己の「無意識」(魂)の肯定だと思います。そしてそこから初めて見えて来る他者の「からだ」(存在)があります。自己との出会いを深めること無くして、セラピーもヒーリングも成り立たないというのが私の思いであり、そのための手がかりとして、脱力(野口体操・ZEN体操)や演技レッスン(竹内敏晴からだとことばのレッスン)が有効であると私は考えています。
最近、竹内敏晴の著書『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)を、WSの参加者に紹介することが増えました。演劇に関心がある方だけではなくて、「からだ」や「他者と関わり」を仕事にする方には、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
「セラピストならびにヒーラーのための脱力講座(仮称)」WS、日程と会場が確定しました。詳細のご案内はもう少し時間をいただきますが、よろしくお願いします。2014年3月18日(火)19日(水)の二夜通し、新宿区大久保の地域センターです。

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