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2014年01月19日 (日) | Edit |

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先日、定例会に参加してくれたAさんから、メールで感想をいただきました。レッスンの意味を参加者の立場からみごとに言葉にしてくれていると思い、転載させていただきました。私の返信も合わせてご覧ください。
瀬戸嶋様

こんばんは。Aです。
先日はワークショップにてお世話になりました。

先日は声を出す(=表現する)、と言う所まで進んだのでびっくりしました。
竹内先生の著作を読んでいたのでそういうワークがあるとは知っては居ましたが、それでも驚きました。

私は人前で話すこともあり、目立つことは人に比べて得意な方だと思います。
でも、それは好き嫌いではなく、目的を達成する手段として出来るか出来ないかと言うものでした。

なので、目的もなくただ自分の声を発すると言う経験はありません。
だから、何のために声を出すのか、それが分からず戸惑いました。

けれど『声が届いた』時の、からだの中に声が響いた感じは、それだけでとても楽しい、心地よいものでした。

出来るか出来ないか、と言うのは
自分のからだや気持ちを道具として見た時に出て来る発想だろうなと思います。
私自身が便利な道具であろうと考えた時期もありました。

しかし、そのままでは生きていくのは大変だと、
環境を変え、興味の赴くまま、このワークショップに参加して、
からだに声が響くことを楽しく感じられて良かったな、と思いました。

ワークショップに参加されたみなさんの変化でも自分が変わるのも面白いです。

また参加したいと思います。

今年はいろいろと新しい試みをされるとのこと。
何かお手伝いできればと思います。
人手がいるときはぜひ。

それでは、また、よろしくお願いいたします。
A さま

ありがとうございます。

メールを拝見し、現代社会の中での、からだと心の問題について、見事に指摘されていて驚きました。

目的を達成する喜び、評価を受ける喜び、それ以外の喜びが見えなっくなっている時代です。

歩くことも声を出すこともからだを動かすことも、、、生きていること自体が喜びなのだということを、知って欲しい。そこに何かもう少し世の中が生きやすい方向に変わっていく手がかりがあると、私は思っています。

それにしても、Sさんと云いAさんと云い、秘められた声のパワーには驚きました。声のエネルギーは、人のからだとこころに直接、有無を言わさぬところで働きかけます。そのベースの上に、自分と言う道具を使えば、仕事自体も楽しいものになっていくことでしょう。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

瀬戸嶋 充
蛇足になると思いますが、一言つけ加えます。
最近、自尊感情の欠如とか、自己肯定感の脆弱が問題視されています。簡単にいえば自信(自分への信頼)が持てないということです。
自信を育てるために、達成感を持たせようという試みがなされていますが、それは無理のある考えだと私は思っています。それでは、他者の評価を自らの評価にすり替える事を抜け出すことが出来ません。
自らの生命が躍動する喜びの体験こそが、根底に於いて自分を支える力(自信)になります。それは「ただ・いま・ここ」を生きる自由を体験し、それを自ら生きることの中心に据え直すことです。
「うつ」の解決もここにあります。「成す」(Doing)ことばかりに自己を奪われ、「在る」(Being)ことの意味を感じることが奪われるとき、人は消耗し身動きがつかなくなります。それでも無理やり「成す」ことを推し進めようとすることで、苦しみに囚われ、自分を破壊します。
「ただ在る」ことが生きることのベースであり、生命力(創造力)の供給源です。それを肯定することが「うつ」を解決する手がかりです。
あらためて「ただ」の大切さをAさんのメールが言葉にしてくれました。感謝です。

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