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2013年03月24日 (日) | Edit |

2013年3月22日 人間と演劇研究所「からだとことばのレッスン」WS


 第2回 「からだを感じる」ワークショップ 報告
今回は、瀬戸嶋の地元、小平市での開催。8名の方々が参加してくれました。
やったことは、
・背中合わせの対話
・二人で協力して、からだの感じを深めていく「からだゆらし」
・背中側、首、胸、腰、股関節の感覚に集中して、各部分の緊張をゆるめていく「ぶら下がり」
・力のいらない「逆立ち」
です。
終了後、皆さんに感想を書いてもらいました。以下に転載させていただきます。
感想
K.Tさん
身体全体が柔らかくなり、身体全体で息ができるようになりました。
最後の逆立ちは、こわかったけどやってみてよかった、とても気持ちよかったです。
人(?)にゆだねることの大切さを知ったような。
N.Hさん
はじめは 緊張して ガチガチだったのが、細胞までもゆるんだ感じがして. 心地良いです。
深い呼吸が苦手だと思っていましたが、体が開放されると 自然と深い呼吸ができるのですネ!
人を癒すことをしていきたいので、リンパマッサージにしても フラダンスにしても 自分自身がリラックスすることで、相手の方や 踊りを見て下さる方にも良い 化学反応が おきるような 気がします。
M.Sさん
いつも「頭でっかち」で 自分の体を感じるのが下手です
ヨガとかやると、先生の言うことが よく わからないし、自分ができているのか 感じられない のですが、ユルユル先生の言うとおりにしていると、不思議と ちゃんとユルんでる。
ちゃんと体が よろこんでいる感じがして
それを 自分も感じられて うれしいです.
体が かるく なりました !
Y.Kさん
二回目の参加でしたが、前回と違った体の感覚を得られた気がします。体の感覚と連動して目の力がぬけて、周りがはっきりと見ることができるのが今回も印象的でした。
力をぬこうとした時、動かしてゆるませる必要方法、部分に意識を向けて、息をすると力がぬける事など脱力することは奥が深いです。
T.Tさん
めちゃくちゃ ハードないちにちだったのです
朝から夕方までずっと.
きんちょうで 体じゅう バキバキ
それが ゆるゆるな3時間をすごして
心も からだも ほどけて ゆるんで
知らず知らずにふにゃっと笑顔になっていました
H.Mさん
四肢全てをほぐすことで
体幹、そして心もほぐれるような感じでした.
ありがとうございました.
追伸.3時間は少し長いかな 2時間くらいが丁度いい感じ.
H.Tさん
息をはいたときの 体のゆるみ方、気持ちよさがとても印象的でした。やっているうちに どんどん呼吸が深くなっていく気持ちよさがやみつきでした。
激しく運動したわけでもないのに全身がぽかぽかと気持ちいいのでよく眠れそうです。
肩が前に出ていたのが、何も気にしていなかったのに後ろに下がりました。
K.U
開始時間より随分遅れて着いたけれど、体が波になる感じは味わえました。
自分の意志とか力とかでなく体が揺れたり逆立ちしたりしている不思議さが感動的です。
ありがとうございました。
皆さんの感想を文字に起こしながら、何度か読みかえしているうちに、私もいろいろと言葉が浮かんできました。
文章を二つ、以下に、掲載します。
(1)からだを感じることはどこにつながるの
からだを感じることと、からだの力(緊張)を抜くことはセットになっている。

意識するとしないに関わらず、からだには習慣化した緊張が埋もれている。緊張が習慣化すれば、その部分の感受性(感じる力)は鈍感になり、やがては緊張を意識できなくなる。自分では緊張している意識はないのに、人からはガチガチに見えたりするのはこれである。肩こりも、無自覚な緊張が限度を超えて痛みをひき起こしている状態である。

からだの隅々まで、部分部分の感じに注意を向けて集中すると、感受性がよみがえってくる。からだと意識の協調関係が復活し、からだも意識も自然に緊張がほどけていく。からだと意識の区別がなくなると言っても良いかもしれない。からだ全体の感覚が働き始め、からだの動きが自由になる。

動きを妨げる内的な緊張から開放されると、こころの動きはそのままからだの動きとなって表現される。立ったり歩いたり飛んだり跳ねたり、いわゆる立ち居振る舞いが、とても気持ちよくでき、動くこと自体が喜びとなる。こころも清々しく解放され愉しさがあふれ出す。嬉しいから動くのではない、楽しいから踊るのではない。動くことそれ自体が、喜びである。極端なはなし、ただ生きて息しているだけで幸せなのである。

私自身、こうして人のからだの緊張を開放するレッスンを続けていくと、誰もがからだの奥に「喜び」を住まわせているような気がしてくる。それはどんなときも、自分を離れることがない。極端な話し、悲しいときも苦しみの中にいてさえも、その奥底には「喜び」があるような気がしてくる。

生きる力とは、自分の奥底にある、こんな「喜び」を忘れないでいることかもしれない。からだを感じる力が回復してくれば、同時に人のからだを感じ取る力も回復してくる。人がお互いに感受性を深め集う場は、祝祭の場となり、「喜びに」あふれる場となるだろう。

それに寄与するのがアートの本来の役割であると、私は思う。


(2)逆立ち!? 
レッスンでは、意識とからだの関係が逆転する。

ふだん何をするにも、私たちの行動の主役は、意識である。言葉をしゃべるのも、ご飯を食べるのも、人と交流するのも、すべて意識が先導して、身体や言葉を使う。花を美しいと見るのも、苦しいと思うのも、意識だろうと思う。
あたり前すぎて、こんなことを考えさえしないかも知れない。

ところが私は、この至極当然と思われていることに、疑いを持っている。
レッスンの場では、からだが主役になる。自己を先導するのはからだであり、感受性である。意識は、自分や他者との間に生まれてくる出来事を、見守るだけである。何か危険や不都合がない限りは、意識はからだに指図をすることがない。

昨日は、最後に逆立ちをした。逆立ちというとふつうは、全身に力を入れ、転倒の怖さに打ち勝って、バランスをコントロールし、からだを立たせる。まさに意識が主役でからだを使う関係だ。

ところが私たちの逆立ちは、それとはまったく逆である。全身の力をぬいて、骨格の積み重ねに全ての重さを委ねてしまう。緊張が動きを妨げないから、からだ(無意識)自体が、立つためのバランスを自動的に取ってくれる。逆立ちするための努力は全くいらない。自分が立っているという実感もない。逆さまにふわりとからだが浮かんでいるような感じになる。

これは、自我(意識)を手放し、自分をからだの働きに身を委ねる練習である。からだがやってくれる、それを意識が見守っている。

脳(意識)ではなくて、からだこそが可能性の宝庫であると、私は思う。


皆さま、どうもありがとうございました。次回第3回は、4月6日(土)15時30分~18時30分、新宿区若松地域センターで開催です。よろしくお願いします。

ゆるゆる先生こと 瀬戸嶋充 拝
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