FC2ブログ
2020年06月09日 (火) | Edit |
名称未設定 39

私はここ数年、今の人たち(現代人)の「息の浅い」ことを問題視してきた。ところがその深浅を見極め、自身の実践の中で一途に唱える人などいない。

意識優位で、重心が足腰から、それより上部の胸や頭へ移ってしまっている。足元まで「息が降りる」ことなく、足元がおぼつかない。息の浅い、重心が吊り上げられた、非常に不安定な姿勢。まるでそれが人間本来の姿(スタンダード)であるかのように、無自覚に地位を与えてしまっている。

「地に足を着けて」というが、それは大地と自己(=からだ)とが、足の裏を通じて一体となることである。その結果、大地の力を足の裏から引き入れ姿勢を支え調え、身体内の代謝循環を活性化する。

ボディーワークの人たちがグラウンディングと言うことをよく言うが、彼らはグラウンディング自体を第一のこととして取り上げることはない。他に主な学びがあり、その補助的な位置にグラウンディングや呼吸のワークは置かれている。

医者やスポーツ指導者、理学療法士、整体師なども、「地に足を着ける」ことを第一に考えることはしないだろう。

私がやっている「からだとことばといのちのレッスン」の課題のそのほとんどは、息を深くすることを目指し、そのためにからだの物理的緊張の解除に重点を置く。呼吸が摑まれば後はどうにでもなるというスタンスだ。「息をすること」(呼吸)自体が、リベラルアーツなのである。

昨日はZOOMで、コロナ対策について話し合いをした。私自身この状況の中で、レッスンをどうやって続けて行くかを問われている。昨晩は床に入ってからもそのことを考えていた。そして私なりの回答を書いているのだが、、、。

私たち自身の「からだ」が、意識してのことにせよ、無自覚・非意識的なこととしてであれ、全人類的な規模での極端なバランスの崩れによる、心身全般或いは種全体の自己崩壊を妨げるために、コロナウィルスを自身の中に引き入れているのではないかと私は思っている。

そして、私たちの生命活動を支えている私たち自身の内的自然自体が、コロナを引き入れる必要がないと判断するとき、コロナは収束するだろう。つまりは、いかに「いき」をするか、その大切さを私たちが深く自覚することが出来たときに、解決の道が開けてくるよう私には思えている。

あらためて、この混乱を乗り切るためには、恐怖・不安に振り回されて思考によって自他を計り否定し傷つけるのではなく、何万年も私たちが続けてきた「いき」(呼吸)の、その統合力=内的自然の働きを回復し、そこに未来を委ねよう。

近代「西洋」の行き方には、自然を「征服する」「克服する」という志向がある。我々「東洋」のやり方には、本来そのような発想は無かった。と、禅学者鈴木大拙さんは言う。とくに近代化以前の日本人は、自然の事物と自身とが、仲良くする、融け合う、我を忘れて遊ぶ、などの共生の方向でやってきた。

コロナを敵と見ることは、私たち自身のからだ(=自然)をも、敵と見做すことになる。私たち自身が無意識のうちに育ててしまった心身に抱え込んだ内的な「分断」を、どうやってあらたに統合できるかが問われている。それがコロナの運んできたメッセージであろう。「息をすること」(呼吸)は、再統合への道をひらく。

秋月龍珉(りょうみん)さんは、鈴木大拙さんに師事して20年を過ごした学者であり禅僧である。西田幾多郎さんとの関りも深い。私自身は、秋月さんの考え方や大拙さんへの接し方に魅かれて、禅仏教に興味を持った。この人も先ず実践が先にあって、理屈は後から着いてくるタイプだったのだろう(笑)この人ならば禅堂で指導を受けてみたかった気がする。

1995年12月10日 初版第一刷発行

--------
5月下旬から始めた人間と演劇研究所オンラインレッスンは、息を深くすることに、内容を特化している。このコロナの影響を乗りこえるには、息を深くして成り行きに付き添っていくしかない。いろいろ考えをめぐらして、息をつめてしまっていては、神経がもたない。からだとこころの緊張を緩めて、からだに息を深く通すことで、眼の前の現実に落ち着いて対処することが可能になる。まあ簡単に言えばたいへん心地の良い「からだのリフレッシュ」のひと時であるが。(人間と演劇研究所HP https://bit.ly/3f4BlFm にてご案内しています。)

Book Cover Challenge !   ページ リンク №
         
         
         
         


関連記事