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2020年06月06日 (土) | Edit |
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紀野一義さんの著作が我が家の書棚に9冊も並んでた。

そのうちの6冊は1997年に発行された文庫本。以前出版された単行本を文庫にしたものだろう。これはNHKブックスだ。

当時、私は近所にある二つの図書館で、宗教書の書棚の本を、かったっぱしから読み漁っていた。

禅宗・浄土真宗・浄土宗・法華経・神道・キリスト教・ベトナムの禅僧(ティク・ナット・ハン)・チベット仏教(ダライ・ラマ)・一偏・空也・道元・良寛・一休・・・秋月龍珉・鈴木大拙。ホントに片っ端から読んだ。

基督教の聖書を読んだのもこのころだが、読み通すことは出来ず四分の三ほどでリタイア。2000年~2003年くらいには、岩波書店刊行の『鈴木大拙全集 全32巻』を読み通したりもしている。一冊の重さが、聖書並みの700グラムくらいはあったと思う、手に取るとずっしり来る。それを32巻、通勤電車の中で読み通したから、良い筋トレになったことだろう(笑)

宗教家になるつもりなど、微塵もなかった。普通の人は小説や物語を読んで楽しんだり感動したりするのだろうと思うが、私は宗教書を楽しみ、そこに感動を求めていた。

そうそう!当時は「からだとことばのレッスン」以外の楽しみと言えば、図書館の本棚に並ぶ宗教書くらい。テレビも見なかったから、世間の流行にも疎かった。

いま振り返ると私は変わった奴だったんだろうな?と思う。学者でもないのに、趣味が宗教書の読書では、趣味を同じにする友だちなんてできっこないや!どうりで私は友達がいない訳だ!とも思えてくる。

仏教との関りで言えば、私の母方のひい爺さんは、明治時代に修業を修めた日蓮宗の僧侶だったと聞いてはいたが、私自身は仏教とのつき合いは全くなかった。家には仏壇も神棚もなかったくらいだ。

この本の帯裏に、
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本書をすいせんします  臨済宗南禅寺派管長 柴山全慶
*生きた禅はひしひしと人生をかみしめ、そのどん底から汲取るいのちの厳しさに生き、温かく一隅を照して行くところに眩しい光を投げ、時と処を選ばないのである。
本書は、単なる禅への手引きでも座禅の解説書でもない。
しかし、深くいのちを凝視(みつ)めることにより、生きた禅への
志向を呼びかけている。広く世に推薦したい所以である。
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とある。文中始めの「生きた禅」を「紀野さん」と置き換えて読むと良い。紀野さんと言う人は、人物と信仰が見事に一つになっていた稀有の人だろう。

岩波文庫『般若心経 金剛般若経』に、お経の訳注者として中村元さんと名前を並べている。

紀野さんの主宰する「真如会」を訪ねて、直接ご本人にお目にかかったことがある。肚の坐ったダンディでカッコいい人だった印象が残っている。分け隔てなく人にやさしくできる人だ。弱気を助け!と言う感じ。孤立を乗りこえてきた正義の人だ。

それにしてもこの推薦の言葉は見事だ!こういう言葉に出会えるのが、仏教の本を読む愉しさなのかもしれない。当時はくみ取れなかっただろうけれど、今ではこの言葉の意味がフワリと分かる。チンプンカンの私が、少しはまっとうになったのかも知れない(笑)

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