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2020年06月01日 (月) | Edit |
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私には記憶力が無いのでは?と、たまに思うことがある。本を読み終われば内容を思い出そうとしても、良かった!という感触しか残らない。どこがどう良かったかなどと聞かれても、応えられない。

友人に東大卒のインテリがいるが、彼と二人で賢治童話の朗読会に行った。「蜘蛛となめくぢと狸」だったと思うが、小一時間の朗読だった。終演後に彼は「良かった!」を連発している。話の内容について質問したり、どこそこの何々の話は、面白かった!などなど。

私には、正直なところ、退屈で酷い朗読だった。話の内容など微塵も残らなかった。力んで字面を追っているばかりで、聞いてる私の息まで窮屈になり苦しくなる。耐え忍び早く終わらないかと思うばかり。

このギャップは何かと彼の話を聞いていると、彼は朗読表現全般の内容では無くて、賢治童話のテキスト=作品の文章内容を理解して、その作品への評価を語っているのが見えて来た。

分りやすく言えば言えば、朗読者の語り出す文章や言葉を、一旦そのまま頭の中に暗記して(朗読法の稚拙や心地の良し悪しは眼に入っていないのだろう)、頭の中に書き起こされたテキスト文書を、自ら読書していたのだ。さすがにエリートではある。ただし彼自身はそれを無自覚に行ってしまっている。

私はと言えば、作品自体の面白さは知っていたが、朗読者の語り方の酷さの方に気を取られて、話の内容を受け取るどころでは無かったのだ。

笑い話のようなことだが、逆から言えば、知的に走ると眼の前のことが見えなくなり、言葉の表す意味内容ばかりに気を取られて、朗読者の稚拙から生じる不快感や息苦しさ、睡魔さえどこかに行ってしまう。

これは危ない聞き方だと思う。相手(朗読者)の表現によって生じる、自分の心身の苦しさを見ない。相手の表現をリアルに受け取っているつもりが、実は文字サインを再生し、自分の頭の中の幻像を見ているだけだ。反対から観れば、表現者の持つ、温かみや、やさしさ、美しさ。生(なま)の言葉に接する喜びなどとはまったく関係のない無味乾燥な地点に立たされている。

彼にとって大切なのは、現実に目の前に立つ人の存在感ではなく、相手の発するサイン(記号)が伝える意味だけなのである。そのサインを受ける他には、世界は彼にとって意味を成さない。孤独で冷たい観念の世界に、それとは知らずに自分の美醜や好悪や価値の世界を仮構し、現実と置き換えてしまっている。辛いことには、そうしていることに本人は無自覚である。じつは彼は長年、鬱で苦労していた。

さて、この本もその内容が私の中に微塵も残っていない!と頭を掻きながら手に取ってみると、なんと当時読んだときに心に入ったと思われる、鈴木大拙さんの言葉がよみがえってくる。年を取ると長期記憶の方が優先になり、眼の前やその前後の短期記憶の保持は難しくなると聞いたことがあるが、私はこのパターンだな!と妙に納得する。

本を読むことは、私にとっては本を食べることだと人に話すことがある。読んだ活字や文章は、頭ではなく胃や消化器官に入り、かみ砕かれ溶かされて、元の形は一切残らない。食べ終わって何かまだ意味が残るようなら消化不良だ。美味しく頂いた本は、食後に感想など残さない。

そういう美味しい一冊だったのだと、今更ながら思っているしだい。私の中に消化され、私の一部となったこの本のスピリッツ(エキス)は、今だ私の心の底、からだの奥底で、ピチピチと翔び廻っている。ときどき悪戯でもするように顔を出しては、私の生きざまにニコニコしながら手を貸してくれる。

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以下、本書「はしがき」より引用
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はしがき
「この書は、自分が過去四五十年間に公にした大小の英文の著作から、主として禅の本質と解せられるものを選出して邦訳し、一小冊としたものである。それで、この書を一読すれば、大体、近代的に禅の何たるかを知得することができるわけである。しかし禅は知得するだけでなく、体得がなくてはならぬものゆえ、その知得底だけで満足すべきでないことは、 今さら言うまでもないと信ずる。・・・・。昭和三十九年十二月  鈴木大拙」
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とある。

大拙さんは、大正時代から昭和にかけて欧米に、英米語で禅を紹介してきた人である。日本国内でより、海外での業績と知名度が高い人である。彼の書物はヒッピー文化などにも影響を与えている。
禅だけではなく、老子道徳教の英米語訳も手掛けていたと思う。仏教文化の欧米への紹介者だ。
日本人は頭の中がいつの間にか欧米人化してしまっているので、この本を読んで、もう一度自分が日本人であったことを、思い出すと良いと思う。
私たちは知の文化ではなく、おおらかな感受性を大切にする、からだの文化の豊かさに抱かれて、ここまで来れたことが分かる。世界観が広がること間違いなし。
私は鈴木大拙全集、全32巻を読破したことがある。ひたすらムシャムシャと齧り尽くしただけだが。その3年間は美味しい食べ物に在り付けて、なんとも幸せであった。20年前のことか!

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