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2020年05月30日 (土) | Edit |
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『 死者からの知らせ 』(松谷みよ子『あの世からのことづて』より以下引用)
一昨年のことであった。
東北各地の人々が集まる集会に招かれたとき、秋田在住の滝という青年が次のような話を語ってくれた。

昭和四十六年の早春、朝五時というのに車がきて、花輪(度角市)の母の実家の従兄弟が降り立った。祖母が息をひきとったという。あわてて二階の母の寝室に駆けあがり、
「おふくろ、ばあちゃんが死んだてや」
というと、母親はすでに身支度を整え、帯をひき結んでいるところであった。
「あわてるな。そんなことはとっくに分かっている。さっきガラス戸をドンドンたたく者があって目を覚ますと、ばあちゃんが枕元に立っていて、おれはいま死んだ。あとのことはよろしく頼む、と自分で知らせてきた。だからお前たちを起こさないようにそっと台所へいって、電気釜のスイッチを入れてきた。もう炊けたころだ、みてこい」
青年は呆気にとられて、いわれるままに台所へいってみると、たしかに飯の炊けるうまそうなにおいがただよって、電気釜の蓋がパタパタと動いている。やがてパチンとスイッチが切れた。
そこへ母親がふろしきを持って下りてくると、さっと釜ごとくるみ、
「こんなときは死んだ家の者は気が動転して飯の支度どころでない。それでは駆けつけてくれた人に申し訳ない。だから持っていくのだ」
と、ひとりごちて車に飛び乗り、そのままいってしまったのである。
滝青年は呆然と見送った。
あとで聞いた話では、 母親は実家に着くなり、いっときは死んだ婆さまの枕元で涙にくれたが、すぐに一升炊きの電気釜の蓋をとって駆けつけた人々に朝食をふるまい、明け方の死者からの知らせを語って皆をおどろかせたという。(以上、松谷みよ子『あの世からのことづて 私の遠野物語』筑摩書房より引用)

「あっちの世界がすぐ近くにある!」久しぶりに松谷みよ子さんの文章に目を通した感想である。そういえば、『龍の子太郎』『ふたりのイーダ』など松谷さんの本を読んだときにも、その時には言葉にならなかったが、同様の印象を私は感じていた。

記憶の糸が手繰られてくる。

もう30年ほど前のことになるが、一緒に芝居をしたことのある友人が自死した。

その知らせが届く三日ほど前に私は、色とりどりの花々に覆われた、なだらかな窪地を友人がやわらかな笑顔でそっとそっと降りて行く姿を夢の中で見ていた。私もついて行きたくなるほどに、ユートピアとでもいうのだろうか、そこに憂いの陰りは無い。

精神の病で苦労していた彼女の表情が、こんなに優しく幸せそうであることに、私は驚いた。嬉しくもあった。

後日死の知らせをきいて、あのときは私に挨拶に来てくれたのだ思えた。彼女は彼女自身の中に潜めていた、彼女自身の美しく素敵な世界(=故郷)に帰って行った。その世界を彼女が垣間見せてくれたことで、私は安心して彼女の死を受け入れた。

花野。この世とあの世の境にある河原である。母が夢の中で、早逝した父と弟とに花野で会った話をしていた。母の弟、私の叔父が亡くなってしばらくしてからのことで、母もそろそろかなと私は一瞬心配したが、嬉しそうな母の話に大事な身内の二人が久しぶりに挨拶に来たのだなと安心した。母が父(私の祖父)と会うのは60年ぶりだったかもしれない。

賢治さんの『銀河鉄道の夜』も、こっちの世界とあっちの世界とを、とっても身近に繋いでくれる。というかあっちの世界は決して私と関係なくあるわけでは無い。あっちの世界も含めて、私の生きている世界なのだ。

そのことを忘れて、眼の前の我欲に満ちた現実世界だけにしか価値を置かず、あちらの世界を世迷い事として否定してしまうと、死は苦しみと恐怖の対象としてしか見えなくなる。

「死は怖いものではないよ」と心底から知れば、コロナへの対応も変わるだろう。

それを伝えるのが、文学やアートの役目ではなかろうか。それをほったらかしにしてきたつけが、ここに来て廻ってきているようにも思える。エンターテイメントだけでは、文学やアートの魂が、その本当の意味が消えてしまう。否、薄まってしまうとしておこうか。

1984年12月15日 第一刷発行、表紙裏に「松谷みよ子」のサインが入っている。宛名はない。これは竹内敏晴が名古屋に駆け落ちしたとき(1988年)東京に残して行った本かもしれない。竹内は松谷さんとも仕事上の関係が深かったと思う。2006年に研究所のスタジオを始末するとき私が引き取ったものだろう。

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