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2020年05月28日 (木) | Edit |
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難産であった。24時間家内の腰をさすり続けた。眠気が来て私の手が止まると、腰をさすり続けるよう促される。指紋が擦り切れ、ツルツルの手の平になってしまうくらい。

息んでも息んでもひり出せない、特大の便秘のような物だったのだろう。陣痛のたびに私も一緒にうんうん唸っていたが、なかなか出口が開かないようだ。

腰が割れるように痛いというが、腰が割れて通り道が明かなければ赤ん坊は出てこれない。この世に顔を出そうとする赤ん坊と、それを妨げる力がぶつかり合って苦しいのだろう。

私も眠っていられない。睡魔との闘いも大変だ。ちょっと気を抜くと眠りに落ちる。そのとたんに腰をさすれと、声がかかる。

一昼夜を過ぎたころ、二回目の分娩室入り。当時フリースタイル分娩で名が通っていた黄(ファン)助産院にお世話になり、院長の杉山助産師さんが立ち会ってくれた。けれどもなかなか出てこない。36歳の高齢者出産と言うことで、提携病院で帝王切開かと迷っていたそうだが、汗を拭きながら、分娩しやすい姿勢をあれこれと試して、最後はトイレの便座に坐った姿勢で息む。

助産師の助手さんの肩首に縋りつくように手を回し、便器の上でウンウン息み続ける。頭が出てきたと助産師さんが教えてくれて、それを見てみるように促される。股間から黒いものが見える。正直、気味が悪くて一瞬しか目を向けていられなかった。

ふと気がつくと分娩室の空気が真っ白になっている。明るい霧が立ち込めたように。家内を見ると真っ白だ。霧に融けるように、ほの白い光を漂わせている。

無事に出産、そのあとのことは、赤ん坊のことも含めて記憶には残っていない。今も一緒に暮らしているのだから、無事にこの世に生まれたことは間違いないのだが。

真っ白になるとはおそらく、妊婦自身が自分というものを棄てなければ、赤ん坊は出てこれないと言うことだろう。大人になるとは、様々な装飾を自らに施すことだ。社会的な有用性を身に付けなければ生活や世間との交友が成り立たない。世間体というのが、自己の正体を覆い隠す一番の虚飾だ。

そいう邪魔ものを一旦剥ぎ取って、神から与えられた自然そのものに素っ裸で帰らなければ、子供は出生できないのだろう。同時に知識では得られない、ある意味で自我の死を体験し新たに生まれ変わる。死を超えてあらたに人格の再統合が成り立つのだろう。

男性は、この過程を自然には体得できない。そのためにほったらかしておくと、自然やコミュニティーを破戒する方向に向いてしまう。自分の中の自然性を認めることが無い。そのために男性には古来通過儀礼を求められてきた。バンジージャンプが有名だが、日本でも御柱祭りや修験道で岩山から釣り落とすなど、仮の死を体験することが求められた。

男女平等の観点から女人禁制を廃止する動きがあるようだが、これは女性差別ではなく、むしろほったらかしのままでは、ろくな『人間』になれない男子への成長のチャンスを与えているのではないだろうか。

女性には自然の野山に籠って人工的な通過儀礼を受ける必要は無いのである。生きものとしての完成度が高い。かわいそうに未完成な男どもは、死の恐怖を味合わせ魂を裸にしてもらい、もう一度産まれ直さないと、大人になれない(笑)

この本は西荻のプラサード書店で購入したもの。何のために手に入れたかは記憶にない。『 ウパシクマ 』という題名に魅かれたのかもしれない。

『 ウパシクマ 』は、実際にあった話、現実の話というような意味だそうな。

久しぶりに手に取って見て、あらためて読んでみたいと思った一冊。今なら内容をしっかりと受け止められそうな気がする。

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