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2020年05月23日 (土) | Edit |
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私が日本人に興味を持ったのは40歳代になったころだと思う。

昭和32年生まれ、敗戦後12年。私の周りには戦争の形跡を見るこがほとんどなかった。フォークソング『戦争を知らない子供たち』が流行した世代である。日本人は戦争にまつわる記憶をものの見事に、押し隠してしまった、その後の子供だ。

それは負の記憶だけではなく、連綿と続いてきた文化の根からも私を切り離すことになったようだ。社会はそれまでの文化に変えて、欧米から流入した教育方法や思想へと置き換えた。それを真っ当に食らったのが、私の世代だ。

私は、欧米人の思考方法によって、物事を見たり考えたり価値感を定めたりと、いつの間にやら日本文化の価値を、外部から品定めするように仕向けられていた。

文化の中に包まれて、それを自分の生活・生命と切り離しがたいものとして感じ、それを当然のこととする感性や思考が持てなくなってしまった。

ちょうど40歳になったころ、私は禅学者、鈴木大拙さんの本を読んだ。欧米人向けに禅を紹介するために、英文で書かれた書物を日本人の読者向けに翻訳された本だ。「日本って私が思っていたよりもずっと魅力的な文化を持った国だったのだ!」と感想が出てきたのと同時に「私自身が、いつの間にか欧米人化してしまっていたのだ!」と驚きました。

欧米人に異文化として禅を知らしめようとして書いた本を読んで、日本文化の素晴らしさが分かってくると言うことは、私自身は西洋の文化の側に立っていると言うことです。

西洋の文化は知(智)=頭を尊重します。日本文化は体(からだ)=腹(肚・胎)の文化です。戦後の体育・スポーツ教育は、知による体の支配が主眼でした。これは自らの文化の土台(=からだ=精神)を旧きもの低級下等なものと決めつけ、そこからの離脱を目指すのが教育となってしまった。

旧きものを否定することが価値あるものだと、無自覚に思いこまされていたのが、私の世代でしょう。それは自己の根底から自分を引きはがし、宙ぶらりんの不安に私を落とし込みます。神経症が流行って当然であり、その苦しさ辛さから逃れようと、ほっつき歩きいつになっても、自らの落ち着き場所が見つからない。

『忘れられた日本人』それは、忘れられた『私』です。初めて読んだとき、それはなつかしさと憧れとが私の中に残りました。そこをスタートに『私が私に成ること』へと、自身の身に張り付いた教育や社会の縛りをひとつひとつ剥がして、故郷の美しさの中へと帰っていく作業=レッスンへと行き先が据えられたように思います。

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