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2020年05月20日 (水) | Edit |
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竹内演劇研究所からだとことばの教室、発表会定番の戯曲である。

竹内演劇研究所の中に演劇本科とは別に「からだとことばの教室」が開かれたのが1981年春。竹内敏晴の活動や著作にふれて、演劇志望ではない人たちが研究所になだれ込んできた。

ちょうどモラトリアムという言葉が流行ったころ。全共闘が敗北し、多くの若者がいかに生きるか社会化して行くかを迷い、模索していた時だ。

私もご多分に漏れず、自分の問題を解決するために入所したのが1981年の秋。当時は教員採用を目指していて、自らのコミュニケーション能力に疑問を感じていたころ。

以来、1988年に独立して「人間と演劇研究所」を創設するまでの7年間、竹内敏晴のレッスンの場にどっぷりハマり込んだ。私の青春時代(笑)

からだとことばの教室は。春期秋期の年二期制。それぞれ4か月ほどの期間に、月・火・金の夜間、週三日2時間半のレッスン(月金:竹内レッスン・火:野口体操)を繰り返し、最終月の最後に舞台発表会をおこなう。最後の二週間はレッスン場で毎日の稽古である。

私は1981年秋の教室に初参加、竹内レッスンと野口体操を学び始める。

竹内レッスンの初回だったと思うが、舞台に出て、何でもいいから「自分のやりたいことをやる」という課題。演技など全く縁のなかった私が、悩んだ末に選んだのは、石ころになって舞台に転がっていること。

歌手になって歌を歌う人や、うろうろしてる人、合う人合う人に文句を言って回るひと。海岸に腰かけ景色を眺めている人、体操している人。舞台上には様々な人が賑やかに入り乱れていたが、それらの脚元で私は丸まり(石になって)、終了の指示が出るまでの20分ほどを過ごした。

石になって転がっていることの嬉しさったら無かった。周りの人が何をしていようが、自分は何もしなくてよい。そして何もしなくても誰にも文句を言われない。何をしているか事前には伝えていないので、その得体の知らなさ故だろう、私に笑顔を向けて笑っている人さえいる。

終わってみて、竹内に何をしていたのかと聞かれたので、「石」と言ったらレッスン場のみんなが大爆笑。ここは私がこれまで生きてきた場、生きて行かなければと足掻いていた場=世間・社会とは何かが違う。むしろこの場こそが私にとって、私自身が瑞々しく生々しく生きることの出来る場になった。

私の本質的な行動の特徴は、いまだに「石ころ」であることなのかもしれない。

戯曲『はだしの青春』は、作者の宮本研さんから竹内敏晴が竹内演劇研究所に譲り受けたと聞いている。みどりさんと三郎の物語り。

その冒頭、
みどり 「何さ、郷里(くに)に帰るっていえば、あたしが涙なんか流して泣くとでも思ってんのね。プラットホームでハンカチくわえて泣くとでも思ってんのね。……しょってるわ。何よ、あたしがキッスさせなかったからって、もう腹をたてて郷里へ帰る。……キッスぐらい何さ、どうってことないじゃないの、あんなもの。あたし、誰とだってして見せるわよ、いくらだってして見せるわよ。……けど、あんたみたいな怠け者には、一万円くれるったって、さして上げないわよ。……何さ、いくじなし、グウタラ、デクのボウ、トンビ!」みどりさんが恋人の三郎に向かってまくし立てている。
暑い暑い、熱い熱い二人のいのちの沸騰が、ここから始まり舞台を突進していく。

演じるのはプロの俳優ではない。社会に適応できずいかに活きるかに悩む若者たちの演ずる、みどりと三郎ならびにその他の登場人物。

役の上だけではない、実生活でも自分の所属するコミュニティーの仕きたりを踏み越えてしまう人たち。はみ出し者たちだ。

みどりと三郎の熱気に煽られて、その正体=リアリティーを演技者はハッキリと露見する。

そう三郎も「石っころ」だ、大きなゴツゴツの岩の塊。みどりは岩を引っ掻き体当たりを食らわせる小動物。猫か?もちろんこれは喜劇である。

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