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2020年05月19日 (火) | Edit |
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1975年5月10日新装第一刷発行とある。英語版の出版は1936年。第二部を合わせて1000頁弱の分厚い内容である。手に取ってみて思いだすのは、放り込んだリュックの重さと、ページに差し込まれた大量の付箋。

舞台上で演技者に求められるのは、相手役や舞台上の演技対象への、内的なコミュニケーションの深さと、そこから来る自己を超えた世界への「からだ」の広がりである。いわゆる心理描写や行動模写としての演技(リアリズム)を、スタスニラフスキーは最期には首肯することがなかった。

リアルの描写は、もともと彼自身が創造した演技法であったにも関わらず。そこを超えることを最期には目指したと言ってもよいだろう。近代科学、精神分析の誕生に付き添うように無意識の働きを――彼の成した成果・結果の方から見てのことだが――演技法の新たな創造へと組み込んで行った。平たく言えば、スタニスラフスキーは表現や演技の成り立ちを無意識の働きに求めた。創造の主体は無意識であると観た。それが当然自然のことであり、想像力はそこから生まれ出ずる。

スタニスラフスキーは自らの好奇心に応じて、終わりなき創造の道筋を歩き続けた人のようだ。初期の仕事は、戯曲の分析・研究・検証によって演技行動や舞台の設定を緻密に組み立て、それに従って舞台のシーンと出来事の経過を創る。行動を模倣し感情を意識的に作って(表現して)見せる。

スタニスラフスキーは意識的科学的にテーブル稽古を通じて、役者からスタッフまで戯曲の解釈を共有して行く。精緻であり現実と見まがうほどにリアルな舞台が作り出された。これがスタニスラフスキーが世界的な名声を得ることになる、モスクワ芸術座でのチェーホフの戯曲の上演である。

歴史の中で、演劇が初めて私たちの日常を舞台に描き出した。私たちはドラマの展開に魅入られ、自分自身の生きざまを鏡に映して見せられたのである。

ところが晩年のスタニスラフスキーは、そこに確立された演技法を打ち捨ててあらたな演技の方法探求へと身を投げかけた。

その後期の仕事が、意識的な自己操作に拠らず、無意識の側からの、いわばミューズの訪れのための演技術へと、道を進めていったようだ。私は学者ではないので、スタニスラフスキーの時代の歴史な考証はあやふやであるが、演出家 竹内敏晴が語ったスタニスラフスキーについての逸話や、この本の印象に基づいて妄想された、私の中のストーリーはざっとこんなところである。

長くなりました。既成概念=既得の常識を疑い吟味し「本当のこと」を求め続けて一生を終えた人たち。スタニスラフスキーはもちろんだけれど、私の師匠たち、林竹二・竹内敏晴・野口三千三 も全く同様の生きざまを貫いた。自分の「いのち」の促しに嘘をつけなかった人々たちである。

舞台は自己を超える深い集中が求められます。私たちが普段、コミュニケーションが成り立って居るとみなしている常識ごとが、いかに表層上の出来ごとであるかが見えてくる。

その表層を脱ぎ捨てたところで、演技は成り立ちます。この本には、それを掴まえるためにスタニフラススキーが歩んできた実践の光景が描かれている。難しいが楽しい書物である。マニュアルではない。

コミュニケーションワークや対人援助職に携わる人。医療人や教師にもぜひ眼を通して欲しい。文脈を流れる「からだ」と意識の関係が面白い。昔、河合隼雄さんもお気に入りの書物として紹介していた。

そういえば昔、「因習打破!」という言葉が流行った。今はまさにその時かもしれない。レッスンも演劇も、腐臭のする因習を嫌う。

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