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2020年05月19日 (火) | Edit |
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「深く・広くなどの、比較の言葉ではあらわせないほどに、ただ深く・ただ広く、自己から解きはなたれた」少女の姿である。私にもようやく、この姿の意味するところを受け留められるようになってきたようだ。

当時(1981年4月15日発行)、私は林竹二の解説をとおして、この写真の意味を頭では理解していた。この表情が林の授業で引き出されたことに「小学校4年生の子供がこんなに美しい表情を見せるのか!」という賛嘆の声が周りからは上がっていた。

「この子供たちの写真(表情)がそんなに凄いことなのか?私にはよう分からん!」というのが当時(20代)の正直な感想である。「分かるようになりたい!」と強く思いもしたが。

次から次へと林竹二の著作を読み歩いた。林竹二の解説に連れられて著作の中に入っていくと、涙がボロボロと自分の頬を伝う。挙句の果てには「ああ、ここには真実が書かれている!」「救いがある!」と。救いを求めていたのは私自身であった。以来私淑し、いまだに私は林竹二の死後の弟子である。

カバー「そで」の紹介文を引用すると、『どうしてこんなに美しいのか。傷つけられ、捨てられ、落ちこばれと言われるこの子たち。―― 逆なのだ、エリートコースに追い立てられる中で失われる人間としての真の価値を、肉体とたましいの奥深く秘めているのが、彼らなのだ。』

落ちこぼれを自称していた私自身にとって、この文章は落ちこぼれを肯定するメッセージとして受け取られた。決して自分が悪い訳ではない。学校教育自体が問題を抱えていたのだ!と。学校教育は絶対のものだという観念が、当時、識らぬ間に私の意識に刷り込まれていたのだ!と。

さらに引用から、『林竹二氏が、学問的蓄積のすべてをかけてする授業が、みごとに呼びさますその劇的な姿は、こよなく深く尊い。人間にはまだ望みがある ―― この子らの示す事実に、私たちはたしかにそう胸につぶやくことができる。』

こんな私にもまだ望みがある!

カバー裏袖には、
『林 竹二氏
元東北大学教授、宮城教育大学学長。教育の荒廃を坐視しえずに、全国の小中高校の現場を、みずからの授業をもって行脚しつづけてきた。
何よりも、子どもたちのいのちそのものに学びつづける老哲学者が、久しいその授業体験のすべてを傾けて、いまこそ間う「教育」の根元。』とある。

問い続けることに草臥れ、知ったか振りに胡坐を掻きたくなることが度々ある。それが許されないのは、林さんとの出会いのおかげ。厳しいけれど、いつも新鮮に生きていける。

未完の完成を楽しみ続けるぞ!っと。62歳です(笑)

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