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2018年05月09日 (水) | Edit |
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『初心』

対人援助の仕事をしている友人から、「仕事を辞めたいと思ったことはありませんか?」と聞かれた。彼女は自分の仕事のことで悩んでいるようだ。

考えて見たら私の場合は、竹内敏晴に出会ったのが1981年秋。現在は2018年。「からだとことばのレッスン」を37年間続けてきたことになる。その間私は、レッスンを辞めたいと思ったことは一度もない。

不思議なことかも知れない。常識的に稀なケースなのかもしれない(笑)「レッスンを辞めなければならない」と思ったことは何度かある。でもそれは経済的な理由からだ。このままでは生活が立ち行かない故だ。

結局はレッスンを続けてきた。そのたびに周りに迷惑をかけたと思うが、辞めることはしなかった。しなかったと言うより出来なかったという方が正確かもしれない。

今さらながらであるが、それは何故だろうと考えさせられる。
世間では、仕事へのモチベーションとか情熱とか使命感とか責任とか、いろいろ言うようだが、私にそんな言葉は当てはまらない。

「~ゆえにレッスンがしたい」と言うところの「~ゆえ」が抜け落ちている。理由が無い。ただ(レッスンを)やりたいからやっているだけである。世間的には目指すところもない。

「そもそも私はなにをやりたいのか。なにを実現しようとしているのか。」状況が八方塞がりになるたびに、心に浮かぶ言葉である。自分に向かって尋ねる「ばんよお前は何がやりたいのか?」

経済的なことや家族のことでほとほと困り果て、アーカシックレコード(前世記録・記憶)のセッションを受けたことがある。施術者いわく「あなたは生まれ変わり死に変わり、ずっとからだのことをやってきた」といわれ、自分の無力感に途方に暮れている私を「先生」扱いまでしてくれた。

だからと言って、覚悟をもってレッスンで身を立てて行こうと決心が固まったと言うでもない。レッスンを止めろと言われなかったことが救いかも知れないが、先行きが見えたわけでは無い。結局ズルズルとレッスンを続けた。その時はたしか、親に金銭の援助を申し出たと思う。

その前には、こんなことがあった。竹内演劇研究所から受け継いだスペース(ライヒ館モレノという地下スタジオ)を使って活動を続けていたのだが、賃貸料支払いのあてがつかず切羽詰まっていた時、たまたま足を運んだ北鎌倉で、円覚寺の学生摂心のチラシを目にして、二泊三日の座禅会に飛び込んだ。

禅会が始まって見れば、こんな状況で坐禅などしていて何になるのかと、さんざん身もだえし続けて、それでも家族や友人に格好をつけて出てきた手前、帰るに帰れない。腹立ちまぎれに丹田にいきを押し込んだら、なんと見性してしまった。自己突破、悟りである。

悟ったからと言って、状況が変わるわけでもない。この時は一緒にスタジオを運営していた仲間が、虎の子をほどいて運営資金を捻出してくれた。私も料理店や清掃のアルバイトをしながら、その後5年ばかりはなんとか食いつなぎ、スタジオで活動を続けた。

あの頃はいつも、貧乏の原因は自分に在ると、無い頭で考えた。自分のレッスンの力量が足らないからだとも考えた。そうして出る答えと言えば「常識的に考えればレッスンをやめて就職するしかない」となる。でも「分かっちゃいるけどやめられない!」である。家内から介護の仕事を勧められたのもその頃だ。

あれから既に10年を過ぎた。最近はその原因を自分に求めなくなった。そしてようやく竹内と出会い分かれた80年代のころ、三十数年前のことを考えるようになった。

私は1981年の秋に竹内演劇研究所からだとことばの教室に受講生として参加した。1984年から1988年にかけては、竹内のレッスンのアシスタントをするようになった。20代のころだ。いろいろ苦労はあったけれど、ともかくレッスンの場にいることが、楽しくてならなかった。

いま思えば、あの頃の楽しさというのは、竹内レッスンの中で自分自身が毎回毎日のように更新されて行くことだった。ラッキョウの皮を剥くように、新たな自分が露わにされていく。別に竹内敏晴に強制されてのことではない。だからと言って自分で努力しているわけでもない。

レッスンの課題に向かうと、自分の皮が破れ落ちていく。内側から自分を突き破るようにして、見ず知らずの自分=いのちの奔騰があふれ出す。あとはその流れに身を委ねるだけ。

いつの間にやら、自分も竹内レッスンが出来るようになりたいと思い、仲間を集めて試行錯誤を始めたりした。竹内からはアシスタントを頼まれ、研究所でもレッスンをするようになった。

といっても、理系の頭でっかちの私である。他人の「からだ」や「こころ」のこと、表現やコミュニケーションにまつわることが、分かるわけがない。演劇の体験も研究所での発表会のみ。見よう見まねでレッスンを手伝っていたが、本当のところはチンプンカンプン!けれどもレッスンに向かう私の心は明るく弾んでいた。

竹内敏晴の下で過ごしたのは、たかだか7年である。密度の濃い日々ではあったが、そこで何かを得たわけでは無い。おそらく竹内との出会いの中で、私の「いのち」に灯がともされたのだと思う。それまで自分を縛り上げていた常識的な観念。それは自己卑下の洞穴となり、私を独房の中に閉じ込めていた。

その真っ暗な闇の中で、私自身の「いのち」の輝きを、竹内が垣間見させてくれた。その輝きと共にあることが、以降の私の進む道を決定したのだろう。「いのち」の光が私の導き手であり、灯を消そうとする者たちとは、我武者羅に闘った。そこに現在に至る道筋が出来て行った。

レッスンの場に立つと、私の「からだ」の内側から仄かに明るい柔らかな流れがあふれ出てくる。意図してのことではない。竹内演劇研究所の解散によって、一人でレッスンをするようになって以来、それはずっと続いている。そういえばこのことを言葉にするのはなぜか初めてのことだ。誰にも話したことは無い。

今では「いき」のことがレッスンの大切な課題になっている。レッスンの場は私にとって「いき」が出来る場なのだろう。「いき」が生きることの主体となることが、レッスンの目指すところ「いきをしようよ!」だ。

いやはや!ずいぶんと時間がかかってしまったが、私を導いてきたのは「いき」だったのだ。37年を経てようやく分かった。

このごろ「初心」という言葉が気になる。私のこれまでの生き方を貫き導いてきたのは、私の歩みを促してきたのは、「いき」だったのだろうと思う。そしてこの「いき」が「初心」なのだ。

仏教では「発心」あるいは「初発心」といって、仏門に入ることを決意し学びを始めたその時に、既にその人は仏なのだと言う。(初発心時、便成正覚)

仏教と言わずとも、人が仕事につくとき、肉体労働者であれ介護師であれ看護師であれ、教師・医者・役人・政治家であれ、、。当人が世間(社会)の中で自らの仕事(役割)を選ぶとき、その決断を後押しするのが「初心」なのではないか?当人は社会的な地位や収入の安定を求めて計算ずくの選択であったとしても、その根っこには無意識にかも知れないが「初心」の促しが働いているのではないだろうか。

自分の仕事を選択した瞬間に成仏とは言えずとも、自分の心(=からだ=存在)の奥底には自身の仕事をまっとうさせ他者を幸福に彩る、そこに至る「種子」が「初心」として蒔種されているのではないだろうか。

そういえば、1982年から一年半、私は公立中学校の理科教員を勤めた。春に新任で入って翌年の夏休みには辞職した。早々に逃げ出したのだ。当時、東京の公立中学は荒れに荒れていた。設備破壊・対教師暴力・校外での非行。教師並びに教師集団は、生徒の管理に必死であった。

私が教師を目指した「初心」は、生徒や子供たちと共に学び過ごす喜びを求めてのことであった。ところが教師たちは、生徒の氾濫を鎮圧するために団結し、目を吊り上げて生徒の「管理」に血道をあげている。

(余談だが、日本人には人権という発想が無い。人権というのはもともと日本の伝統文化にはなかったのだ。近代化に伴って体裁として西洋の発想を取り入れたものだ。血肉化されない思想は酷い結果を強いる。当然現代においても「人権」という考えは成り立っていない。そのため日本人が管理を持ち出すと、それは管理しようとする側から管理される側への脅迫や恫喝へと進展する。当然のことなのだ。「人権」という西洋思想に代わるものが、あるいはそれより深く日本人の心に根差した発想が在りそうな気が私にはするのだが。当時、生徒の将来をおもんばかってと言う教師たちの思いは正当かも知れないが、実際に教師集団のやっていたことは生徒への脅迫と恫喝以外の何ものでもない。)

「喜び」と「管理」とは、絶対に相容れない。大学出たての私は、そんなことには考えが回らない。だからただただ不安と苦痛のままに学校で過ごし、宵になれば飲んだくれて、夏冬の休みを待ちわびる。

エンデの「モモ」の中で、広場に集まる子供たちが学校に接収され、仲間は仕事(=金儲け)にかかりきりにされ、モモが一人きりになる場面がある。私もそんな孤独感に苛まれていた。「どうなっているの?どうしちゃったの?」というところ。

カメのカシオペイアの代わりに、竹内敏晴に導かれて、時間泥棒との闘いの世界へ飛び込んでしまったのかもしれない(笑)

対人援助職の友人を見ていると、初心と現場の求めが、逆方向を向いてしまっている気がする。これが世間の常識なのかもしれないが、人のために良かれと思い、自分もぜひ働きたいと願って入った職場なのに、実際には施設の業務と組織の運営に明け暮れくたびれ果てている。

結局、施設利用者との人間的な交流やその喜びはほとんど得る機会を持つことができない。利用者からは有能な管理者と認められるだけである。初心としての本流、その人の中に蒔かれた種子は、その伸びるべきところを遮られ、押しつぶされ閉じ込められてしまう。苦しいだろう。

「初心」に還れないものだろうか?初心は死に絶えはしない。表立っては見えないかも知れないが一人一人の中にある。そこに帰って、今一度自分の道を築き直すことはできないだろうか。今の職場(仕事)はそのままでも。

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