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2018年05月04日 (金) | Edit |
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『無明と分別知』

分別知という言葉がある。日本語にすれば、分けて知る。
無分別知という言葉もある。これを智慧・知恵・智恵という。恵まれたものをそのままに知る知である。やってくるものを手を加えることなく、計らいによって加減されることのない、そのままの姿。

「知」とは意識の働きである。意識とは本来、透明なスクリーンのようなものである。鏡に譬えることもあるようだが、そこに映るすべてをそのまま映す。意識自体はそこに映りこむものに対して選り好みをしない。

ふつう私たちが意識と呼ぶものは、フィルター越しの映像である。価値観=分別の網の目によって篩い分けられ取捨選択され残されたものが、意識されたものであり、スクリーンに映ったものを仮の事実と見做している。

分別知とは、この取捨選択されたものである。取捨の「取」を私たちは意識に映す。「捨」は意識に映ることなく捨てられる。スクリーンから排除される。それがどこへ行くのかと言えば、眼に入らないだけで実際には存在し続ける。これを仏教用語では、「知」の「明」に対して「無明」と呼ぶ。

「光」と「闇」とも言う。明暗は逆転するが、「地図」がこれである。地図の背景は白紙であり、この「地」の上に、黒ペンでもって「図」が描かれる。背景が黒地の地図を考えた方が良いかもしれない。黒地=闇の上に、白のインク=光で模様が描かれる。

描かれるのは図式であり言葉である。それらは抽象されたもの=観念であり、実体から本来の特徴の多くをそぎ落としたものだ。そのそぎ落としたものを、私たちは「地」=この場合は黒地=闇の中に落とし込むのである。

地図の「図」の意味するところを理解するには、前提となる「地」の豊かさを育てることが必然である。どのように細密な「図」を描いたとしても、「地」が十分に耕され、経験という豊かさに満たされていなければ、「図」を読み取ることはできない。

「意識」は、スクリーンであり同時に光でもある。写されるもの(スクリーン)と映すもの(光)は別物ではない。これが分別的な理性によっては、把捉、認識の敵わぬところである。体験として捕まえることしかできない。

物理学では、「光」を質量を持つ物質的な存在として見るのと、波動として見ると言う二つの観点が書かれていたと思うが、これが分別知の限界なのだと思う。「光」は説明され得るものではなく、その恩恵を体験をもって善しとされるものなのだろう。

ともあれ、「意識」とは本来、映し映される光そのものである。仏教用語ではこれを「無」とか「空」と呼ぶ。「空」おいてすべてのもは、自在に流れ合い舞い踊り歌うのである。これを日本語では自由と呼ぶ。

ちなみに英語のfreedomという言葉が「自由」と邦訳されているが、鈴木大拙さんの言うにはfreedomというのは「~からの解放」という意味を持つそうで、日本語の「自由」とは、その意味するところが違うそうだ。大拙さんは「Aは非AにしてAである(即非の論理)」と言っていた。西田幾多郎さんは「絶対矛盾的自己同一」と言った。

分別知の活躍にとって無明は必然のものである。無明無くして分別知は在りえないし、分別知無くして無明も在りえない。エデンの園で知恵のリンゴの実を齧って、人間は人間になって、エデンを追放されたと言うが、知恵を持つことの苦労は「いのち」の全体性から自らを切り離したと思い込んでしまうことにある。

人間は全体性を回復しようとして、故郷に帰ることを望みながら、分別知を働かせる。「古里は遠くにありて思うもの」である。分別知は、近づこうと意図しながら、次々に区分けの壁を造り出していると言う矛盾に気がつくことが無い。

「良し悪しをすべて己と見て歩む」それが無分別=本来の「意識」の姿に則った生き方であろう。そこには矛盾は無い。矛盾が無いから葛藤の苦しみが無い。すべてが良し悪しの分別に色付けされることのない、在るがままの豊かさと自由がある。

「天地人」とは、天と地と人を分けて考えろと言うことではない。その分け隔ての無いところを生きろ、と言うことだ。キリスト教で言うところの、「エデンの園」である。古里であり、豊かさに満ちた「いのち」の交響するところ。それは今ここにある。

無知の知、無分別を知る(識る)ことによって露わになる世界。幸せの青い鳥を求めて流離うことは無いのである。もちろん悲しみも喜びも怒りさえも、そこにはある。ただしそれが無明の中に蓄積することは無い。必要とあらば感情は姿を現し、必要を終えれば過ぎ去っていくのである。

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