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2018年01月25日 (木) | Edit |
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レッスン曼荼羅(2)

『四つ這いの動き』

「力を抜く」って?

とっても不思議に思うことがある。「学校や教室で、チカラの抜き方を教えてもらったことがありますか?」の問いかけに「ありません!」と答えが返ってくる。スポーツにせよ、楽器の演奏、就職の面談、対人コミュニケーション、健康法、坐禅にセラピー、歯医者に床屋、数え挙げればきりがないが、チカラを抜きなさいと指示を受けたことが誰でもあると思う。どうやらからだのチカラを抜くことは、とても大切なことのようだ。それなのにチカラの抜き方を教えてもらった人はまずいない。教えてくれる人もいないようだ。

それでも「力を抜いて!」「そんなに緊張をしてどうしたの!」と言われることはよくある。言われて、チカラを抜く努力をしたことはあるけれど、本当に抜けたかどうかは有耶無耶なままだ。チカラを抜くように指示する人は、たいてい力を抜くための苦労をしたことがない。だからチカラの抜き方をあえて一生懸命に学ぶことなど必要のなかった人たちだ。それが指導者になる場合がほとんどだろう。

チカラを抜くように言われると、たいていの人がチカラを抜こうと「努力」を始める。変な話だ、努力とはチカラを努めると書く。一生懸命にからだを緊張させて「チカラを入れる」のだ。「チカラ」を抜こうとして一生懸命に「チカラ」を入れているわけだ。チカラを抜こうとすればするほどにチカラが入ってガチガチになる。本末転倒、こんな馬鹿らしい話はないと思うのだが、こんな単純なことを誰も考えないようである。

「力が抜けない!」と、自らの「からだ」に恨み言を言う人が良くいるが、これは「あたま」が悪いのであって、決して「からだ」が悪いのではない。チカラを抜こうと意識(あたま)で努力すればするほどチカラが入るという単純なことを認めようとしない「あたま」が悪いのである。自分の中で「あたま」を指導者と考えるのがそもそも間違いなのだろう。

ちなみに、白川静さんの『常用字解』という字引で調べてみると『努』は奴隷の「奴」と鋤(すき)のかたち(力)を合わせたもので「しもべが農耕に勤めはげむことをいう」そうだ。「しもべ」には、チカラを抜くことは必要のないことなのかもしれない。だから指導者は下々にチカラの抜き方を教えない?

もう少しいうと、チカラの入った状態(=緊張)とは、手かせ足かせを自らのからだに科しているのと同じである。筋肉が緊張して固まったままであれば、滑らかな動作の邪魔をする。チカラが抜けているから、いろいろな格好や動作が出来る。老人がギクシャク歩くのは、筋肉が固まっているからである。固まったら緩めてやればいいのに、老人や動きの不自由な人に筋トレ(ストレッチ)のみを強いる現代である。馬鹿な話だと思う。

筋肉の緊張は、血流や神経の伝わりを阻害する。筋肉を強張らせているのだから、止血のゴム管を自分の「からだ」の中に張り巡らせているようなものだ。身体動作だけではなく、内臓も脳も働きが鈍くなる。鬱の人の「からだ」の緊張を見れば一目瞭然である。見るからに苦しそうだ。

「チカラを抜く」ためには、まず自分の「からだ」に努力を強いるのをやめることが肝要である。意志的な脳からの指令・信号で、自分の「からだ」を支配=取り計らうことを止めるのである。

「チカラを抜く」能力は、意識していなくても、私たちは誰もが天然自然に持っている。それは意識的な操作ではない。いちいち努力をしなければチカラが抜けないと言うのでは、脳神経系自体が疲労し破壊されてしまうだろう。意識に出来ることは、チカラを抜いてくれる自然の能力が、よりよく働ける状況を「からだ」に用意することである。(チカラを抜くには重力=大地のチカラを知ることが大切だが、これについては後日機会あるときに。)

「からだ」はチカラが抜けた状態が基であり、入った状態は特異であると言う考え方も必要だ。「あたま」と「からだ」の主従関係が逆転しなければならない。進化の歴史を見ても、生命にとって「からだ」が先輩であり、「あたま」(脳)は後進である。この順番がひっくり返ってしまっているのが、現代の危機状況=不安の元凶だ。

さて『四つ這いの動き』であるが、「四つ這い」の姿勢は、その姿勢を保つために「からだ」の緊張をほとんど必要としない。脚と腕の骨の繋がりを柱として、胴体や頭の重さを柱に預けてしまえば、姿勢を支えるための筋肉の緊張がいらない。姿勢を固定するために、筋肉を緊張させて固める必要はないのである。

試しに「四つ這い」になって、太腿の筋肉をもみほぐしてみると良い。分かりづらいときは、腰の上に誰かに腰かけてもらって、筋緊張を確かめてみる。相手の体重が直立した大腿骨の真上に乗っていれば、腿の筋肉はプヨプヨと柔らかい手触りだ。慣れると腕の緊張も同様に緩む。

胴体も、柱にかけられた吊り橋のようにぶら下がる。頭・首も力を抜けば垂れ下がる。胴体を横腹から押せば、頭から胴体までが、風に揺れるようにユラユラと動く。

からだ全体が、耐震構造の屋台組のように、ユラユラと動く。意識的な緊張操作はいらない。「からだ」の中身(骨・筋肉・内臓・等々)が揺れて変化をするのに任せて動けばよい。ほんの少しのチカラで姿勢が変容し、次から次にいろいろな背中の表情が生まれてくる。次から次へと花が開くようでもある。(野口体操では背中の百面相と呼んでいた)

ラジオ体操のように、外側から意識で自分の姿勢を追わないことが大事である。「からだ」の内側の繊細な変化を感じながら、動きに身を委ねて行けばよい。意識に縛られない「からだ」の動きの自由を楽しみ満喫してほしい。

「四つ這い」の姿勢は、チカラが抜けるように出来ている。誰が考えたか、誰が作ったか知らないが、チカラを抜く=からだの緊張を解きほぐすには、大変良く出来た姿勢である。からだのチカラが抜けた「感じ」が感じられるようになってくると、初めて自分でチカラを抜くことができるようになる。「感じる」ことの繊細な広がりが育たなければ、いくら努力しても力の抜き方は分からない。その入り口として、「からだとことばといのちのレッスン」では、『四つ這いの動き』をていねいに繰り返す。


他の動画は人間と演劇研究所ホームページにて公開しています

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