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2017年12月08日 (金) | Edit |
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「息を感じる」(息を観察する)というのが流行っている。マインドフルネス瞑想である。マインドフルネスに熱心な人にだいぶお目にかかって来たが、私には何か腑に落ちないものがある。それは「息を感じる」ということに疑問を持つからだろうと思う。果たして私たちに「息」を「感じる」ことができるだろうかと言う疑問である。

厳密に言うと、私たちは息の出入りに伴う自らの身体の変化、お腹に注意を置く場合を考えれば、腹筋や横隔膜、骨盤や血管や神経など、息の出入りによって伸展収縮する、諸器官の変化を知覚しているのである。息自体、息そのものを感じているわけではないのである。

そこでは息は自我(脳神経)の知覚対象であって、息と私の間には、主体(私)と客体(息)という分離がある。そのために、感じ取っている対象は息自体ではなくて、自分の身体の変化なのである。注意は自分という実感を超えることは無いのだ。

「息を感じる」ことが成り立つためには、この主体と客体という関係、つまり自分の身体と息との間に在る隔たりが壊されなくてはならない。

自我(私)の壁を失い、私が息そのもの(息=私)に自分を明け渡すときに、初めて「息を感じる」と言うことが成り立つのである。感じている私と対象となる息とが区別のないものとなり、私が息そのものになるときに「息を感じる」体験が成立するのである。

大切なことは、息そのものによって私(自我)が吹き飛ばされ洗い流されることである。息を捕まえるのではなく、息の侵入に甘んじて、息によって私が占拠されることである。無条件降伏でもろ手を挙げて降参することである。

けれども自我(私)というものは、我がままで頑迷固陋である。ともかく、私に出来ることと言えば「息を感じる」ことを一生を通じて繰り返すことしかないのかもしれない。「叩けよ、さらば開かれん」である。あくまで、開くのは息の側の意志、自我の力ではないのである。

「私は息を感じられている」と思いこんでいたり「私は息に集中が出来ている」なんて考えていられるうちは、まったく駄目なのかもしれない。

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最近の「からだとことばといのちのレッスン」では「いきのレッスン」を大切にしています。おおざっぱに言うと、現代人は息が浅い。浅いままでいくら「こえ」や「ことば」のレッスンをしたところで意味がありません。息が浅いと、自分(からだ)の土台が据わらない。だから何をやっても不安定で頼りなくて力みが取れないのです。息の深さを育てていくのがレッスンを進めて行く上で、ひとつの柱になっているのです。

息が深いというのはどういうことでしょう。自分は腹式呼吸ができているから大丈夫という人がいます。けれどもそんな人に限って、実際のところは深い呼吸ができていません。狭い呼吸で良しとしているのです。

野口三千三さんが「からだまるごと全体」と言っていました。この言を借りていうならば、深い呼吸とは「からだまるごと全体で息(呼吸)ができている」と言うことです。喉や肺やお腹の他にも、手足の指先から頭の天辺までが息をしている。

先日とあるワークで、自分の身体に手を当てて息を感じてみるように指示されました。皆さん、お腹や胸や肩に手を当て始める。私はいきなり頭の天辺に手を当てたところ、周りの参加者から、そんな馬鹿なというような微苦笑を頂きました。どうやら指先や頭の天辺など呼吸とは関係ないと、皆さん頭の中で決めつけているようです。

そのため、指先や頭の天辺などの呼吸感覚が意識と繋がらず、脳に伝わることが無いのです。脳に書き込まれた常識にとらわれず、意識を頭や指先で呼吸に伴って微細に変化している感じに、意識を繋ぎ変えて行けば誰でも実感できることです。

逆からいえば、腹式呼吸や胸式呼吸という分類の中に呼吸を閉じ込めてしまえば、「からだまるごと全体で息をする」という発想や感じ方が、切り捨てられてしまうのです。

「からだまるごと全体」で深く広く息ができているとき――レッスンの中では床に腰を据えた、坐(坐禅)のポーズ(胡坐の姿勢)を利用しています――そのままいつまででも坐り続けていることができる程に、楽で気持ち良いと感じる人が多いのです。姿勢=「からだ」を支えるのは「いき」なのです。骨格や筋力では決してありません。

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普段の定例会、2~4時間という時間の中では、坐ることだけに十分に時間を使うことができないのが残念です。新年1月に滋賀琵琶湖畔で、2月には埼玉秩父大滝で、二泊三日のWS合宿を開催します。息の詰まる、息の浅く忙しない都会の雑踏を離れて、自然の中で息を深くして過ごしましょう。本当の意味での「ひといき」をつきに来てください。
ワークショップの詳細はホームページでご案内しています。
人間と演劇研究所ホームページ https://ningen-engeki.jimdo.com/

【Facebookへの前書き】
日本の伝統芸能や武術では「いき」(息・呼吸)を大切にします。「いき」が分かれば全てが分かってしまうようです。私などは牛歩の歩みで繰り返し時間をかけて、少しづつ息のことが見えてくる。私はまあ、名人になるよりも、「いき」のレッスンを繰り返すことで、僅かずつではあるけれど自分の人間観・世界観が豊かに深くなっていく。そのどこまでも続く過程が楽しくてたまらないようです。それにしても息のことを、言葉で説明するのは難しいものです。レッスンで実技を通して伝えることは簡単なのですが。
自分の「いき」など構っている暇がないほどに、人は、時代は、先へ先へと前のめりに突っ走っていますね。「いき」が浅いか深いかなど二の次の世の中。だからこそ置き去りにされた「いき」に戻れば、思いがけない発見が待っているのかもしれません。温故知新ですね。
寒くなりました。なにかと忙しない年の暮れ、ご自愛のうえ元気で新年をお迎えください。
「いき」をお忘れなきよう。
(せとじま・ばん)

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