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2017年03月06日 (月) | Edit |

2017-02-21 020ed 


 前回ブログで、竹内に切り劈(ひら)かれた体験を書きました。

 (竹内敏晴の名著(と最近私は思っています)、その表題は『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫)です。「劈」は「つんざく」とも読みます)

 よく切れる包丁は、食材を細胞の断面まで綺麗さっぱり切り分けます。刃物職人の技ですね。細胞がつぶれたり傷つくことがないので、刺身など舌触りが滑らかで、おいしく食べられるそうです。

 鎌鼬(かまいたち)という自然現象があります。風が渦巻き小さな竜巻が起こることで、空気が吸い出されて真空の空間が生じる。その真空に皮膚が触れると、痛みも打ち身も感じることなく、一瞬にして皮膚が裂けてしまう。本人の気がつかぬうちに、傷口から血が流れでているそうです。

 剣の達人の話を聞いたことがあります。頭上から自分に向かって太刀が振り下ろされたと見たその瞬間に、真横の太刀で首を落とされる。切られた方は、自分が切られたと意識せぬうちに、もっといえば自分が死ぬという意識を持たずに死んでしまうということです。

 私は、光の白刃で切り劈かれたと書きましたが、やはり切られたという意識はありません。気がついたら自分が真っ二つに「切れていた」・・・「切られて」ではなくて、他人ごとのように「切れて」いた。「あっ!切れてる。」という感じです。

 あまりに見事に断ち切られた傷口は、切断面に裂傷のような打撃による凸凹を残さない。痛みを感じませんでした。痛みがなければ、傷を治そう、傷を塞がなければとは考えることはありません。

 くどくどと何が云いたいかと言えば、真っ二つに切り劈かれた傷を、塞ごうとしたり、縫い合わせる必要を、私は全く感じていませんでした。つまり傷口を取り繕うことなしに、ただ合わせ置いただけ。以来、裂け目をそのままに、日々をを過ごしてきてしまったようなのです。(こんな切りひらき方をした、竹内敏晴師匠は凄い!とこのごろ思うわけですが。)

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 竹内の光の太刀に切り裂かれ、闇の中に仄白く浮かぶ私の姿とは、心理学や精神を研究する人たちの言葉を借りれば、おそらく私の「自我」そのものなのでしょう。

 自我が切り劈かれていながら、切り劈かれていることに気づくことなしに、その後30年あまりを過ごしてきたことになります。

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 「自我」に傷を受けることは、普通はトラウマ(心的外傷)と言い、その修復・回復が、災害時などの問題として取り沙汰されています。

 心的外傷とまで言わなくとも、心が傷つけば、その得体の識れない痛みや苦しみを何とかしようと、誰もが一生懸命になることでしょう。

 ところが私は傷を塞ぐことに、まったく注意を払わずに来ました。痛みも苦しみもないのですから、当然と言えば当然のことかも知れません。

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 あのとき「自我」が切り劈かれたのだと気がついたのは最近です。同時に自分が光にまつわる体験(前回ブログ)をしてきたことの意味・理由が見えてきたように思ったのです。

 ここでは「自我」という言葉が使いやすいので、これを続けて使いますが、私にとって「自我」とは、このとき切り劈かれた「私」です。

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 「自我」とは私と他者を区別する境界です。皮膚・体表の内側、それを「自分」として、他者や外界と区分け・区別するのが、自我の役割です。目の前の人の「からだ」を見て、その「からだ」は自分のものだとは、普通は言いません。

 同時に自分の心の内面に区別を立てるのも「自我」です。無性に腹が立った時、それは自分ではない。除去しなければならない、消し去らなければならないと、自分とそれに必要が無いものを区分けするのも「自我」といえます。

 内外の世界から自分を区別して、これが自分だと決めつけるのが自我のはたらきです。(この「自我」を取り去れば、内外という区別も、人間の意識が作り上げた時間と空間という概念も消え去ることでしょう)

 私の場合、そのような区別にたいして、無自覚に隙間を抱え続けて来たことになります。心的な世界が現実の中に噴きだしてしまう。あるいは他者のからだの内側の動きも含めて、他者のからだに同調(シンクロ)してしまう。

 実は、これがレッスンの時に無くてはならない能力なのです。常識的にはあり得ない「ものごと」への見方・受けとり方・考え方がこの時以来、竹内敏晴師匠によって私の中で始まったのでした。

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 お寺で、坐禅の最中に自分(からだ)が、光に連られて山中一杯まで広がった体験も、一般から見れば狂気・頓狂に属する体験でしょう。妄想と決めつけられても仕方がないと思います。けれども私自身にとっては、現実の体験です。

 この時は「いき」(呼吸・息)に集中することで、自我の裂け目を思い切り押し広げ、自我の壁=限界を打ち破ってしまった。その結果として内外の区別の無い世界を体験したのだと思います。

 もともと裂け目があったものだから、向こうから来るものと、ひと繋がりになってしまったのでしょう。自我のすき間を狙って、木霊が押し寄せてきたともいえます。

 また心理学的な見方・言葉を借りれば、赤ん坊の世界観を体験したということでしょう。自他の区別が無い世界です。

 赤ん坊が大人の視線を引き付けるのは、その身体の内側から兆して来るいのちの光に、大人が照らされるからでしょう。

 そういう「私」という存在と出会うことができたわけです。あの赤ん坊の笑顔を自ら体験するって、嬉しいことだろうと思います。何よりも何よりも幸せ!有難いことだった理由(わけ)が今ではわかります。

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 レッスンや舞台演出の時に、どう指導すれば良いかの見通しがつかなくなったとき、或いは二進も三進も行かなくなったとき、それは勿論、無い頭で考えに考え抜いた末なのですが、私は目の前の場や人に向かって、自分のからだ(=こころ)を投げ出してしまいます。

 見通しなど何もない地点に向かって、自分をさらけ出す。自分の心の内側から動いて来ること、湧きでてくる言葉を、何の覆いも無しに相手に向かってぶつけていくのです。

 やはり「自我」の裂け目から噴き出してくる言葉(何の修飾もしない生の言葉)を、そのまま投げかけていくのです。ある意味、常識的には無責任極まりないことです。

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 精神障がい者のデイケアでの演劇の稽古の時がそうでした。「相手役に、言葉を届けろ!」「駄目!」「相手を見て!」「声が出てない!」「しっかり言葉にしろ!」、「そうだ!」こんな調子です。ずいぶんと荒っぽい言葉で有無を言わせず攻め立てて行きます。そうしかできないのです。

 どういう風に演技をするようにとか、こまごまと戯曲の解釈を述べたり、相手の状態を尋ねることも一切ありません。

 本番二日前にメンバーの一人の所在が分からなくなりました。担当精神科医曰く「あそこまでやられたら、私だって逃げ出したくなるよ」。

 それでも私は、戯曲の言葉が生き生きと語りだされることのみを見つめながら、説明や意見を差し挟むことなく、ひたすらグイグイとプッシュをくり返しました。

 相手が病気であるとか、職員であるとか、お構いなしです。私の「いのち」の赴くところへと、わたし自身の中身を晒し、真っ向から関わっていきました。

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 レンズを通して太陽光を一点に集める。隣り合うレンズからも一点に集められた光がある。私のレンズの焦点と演技者の焦点が一点に重なり、白熱し光を放つ。私は演技をするメンバーの隣りに立ち、その一点から、その人が注意を反らすことを許しませんでした。

 その一点は、舞台上の相手役に置かれたり、客席の観客に向かったり。レンズは「からだ」です。「光り」は声であり、その声が相手役や観客に届き、焦点を結び「ことば」が煌めきだします。その煌めきがさらに、相手役や観客の「からだ」に「灯」をともします。

 演技者相互のそんな台詞(ことば)のやり取りによって、舞台上に戯曲の世界が浮かび上がって来るのです。

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 「自我」とは、その内側に光りを囲う、薄い膜のようにも思えてきます。舞台の上で相手役や観客に全力で自分を投げかけるとき、「自我」の薄膜(壁・境界)を越えて自己の深部から光りがあふれ出し、相手の光りに呼応して輝きを増します。

 その光りの力によって、舞台上に日常を離れた、メンバー一人一人の感情の煌めき=「ことば」と、「いのち」の奔騰が満ちあふれるのでしょう。

 精神障害者リハビリテーション医療センターでの演劇上演は、メンバーと職員、その友人・家族・知人を巻き込んで、素晴らしいハレ(非日常)のひと時を体育館の空間に劈いてくれました。空間を光りの粒子が満たし、ほんとうのお祭り(=祝祭)が成立したのです。

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 ここでの演劇公演の成功は、私自身の努力に依るものではありません。努力と言うことから言えば、上演に関わってくれた人たち全員が、一人残らず、それぞれにそれぞれの立場で精一杯、無理を承知で努力してくれました。失踪したメンバーの一人も本番には帰ってきてくれました。河原に行って、気持ちを休めていたそうです。

 私が何をしたかと言えば、「いのち」を信頼し続けたことだけのようです。

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 私は自分が、ぐったりと疲れていたり、悩みに気持ちが塞がっていたとしても、稽古場或いはレッスンに向かおうとした途端に、「からだ」を内側から押し広げるような、ふんわりと柔らかな「いき」が自分の内部に満ちてきます。

 そして、ほんのりと湿り気を帯びて温かなその「いき」が、まるで温泉の湯煙のようにレッスンの場に溢れ出していくのです。(煙が目に見えるわけではありません。湿っている訳でもありませんが、実感として、そんな感じです)

 そして「いき」に乗って必要な「ことば」が、参加者に向かって語られます。息づかいと一つになった「ことば」が、「からだ」の中から零れ(こぼ)れ出してきます。息づかいと言いますが、「いき」が私を遣うのです。

 ただしこのような状態は、私が意識して作り出しているわけではありません。不思議なことにレッスンや稽古を目の前にすると、このようなことが起きてくるのです。

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 「いのち」(=命)の語原は、「息の霊力」。「い」は息を表し「ち」は力を表すそうです。つまり「いきのちから」が「いのち」の意味です。 

 レッスンや稽古の場では、私の意志や計画・努力を差し置いて、「いき」=「いのち」自体が、私の「からだ」と「こころ」を促し、レッスンを進めて行くのです。だから私自身が努力をして、レッスンや稽古をしている感じがしません。レッスン或は稽古自体が、またその場の全員が、どこへ向えば良いかを、私の「いのち」は知っているようです。

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 私が一人でからだとことばの教室を受け持つようになった頃、「ピュアな場ですね」と、見学者に言われたことがあります。ピュア:[pure][名・形動]まじりけがないこと。純粋なこと。と辞書にあります。

 当時はレッスン修行中。参加者のために何をしようとしているのか、何を手渡すことが出来たのか、自信の持てないままにレッスンを続けていました。そして正直なところ、それはつい最近まで続いていました。

 自分の仕事に自信が持てない。意味を説明することが出来ない。だから参加者に申し訳ないという思いがいつも心の片隅にありました。

 ところが今、36年を経て、これまでのレッスンが意味のないことではなかったと思えてきました。その間、出会いも別れも、厳しいぶつかり合いも、辛い痛い思いもありました。けれどもいつもピュアな「いのち」をレッスンの場に、劈き続けてきたことは間違いなかったのだと思えきています。

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 野口体操で「寝ニョロ」という運動があります。竹内レッスンでは「からだ揺らし」と呼んでいます。仰向けに寝転がった人の「からだ」に波を伝えて「からだ」と「こころ」の強ばりを解きほぐして行くレッスンです。

 強ばりとは「自我」の身体への現れです。筋肉の緊張が「からだ」の表層を鎧うように覆っています。その締め付けが強くなれば、「からだ」の中に働いている循環作用が妨げられます。筋肉の強ばりが血管や神経の巡りを堰止めます。

 私たちの生命は、身体内外の様々な物質の循環作用によって、維持されています。それが緊張=強ばりに阻害されることによって、身体の動きが鈍く感じられたり、脳へのエネルギー供給が滞り、気分障害や憂鬱情態が襲ってきたりと、「からだ」と「こころ」に変調をきたします。

 地面(床)に横たわり、「からだ」を揺らすことで強ばり(緊張)がほどけ、「からだ」のなかに起こる微細な変化へと感受性が深まり、「からだ」の中の「いき」の流れが観えてきます。同時に「からだ」は循環力を解き放たれて、解放感に浸されます。

 これも「いき」=「光り」の流れです。
 
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 繰り返しになりますが、私にとって「いき」は「光り」です。また「こえ」も光りであり、「ことば」とは「こえ」によって浮かび上がる光りの色彩・姿です。もちろん「いのち」は光りの力です。

 「からだ」「いき」「こえ」「ことば」「いのち」、それらの根底を眺めれば、「光りがある」と言った方が良いかも知れません。そしてその「光り」は私の行く先を照らすものだったのです。

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 最後に付け加えて置きますが、野口体操も竹内からだとことばのレッスンも「光り」自体を求めているわけではありません。もちろん私自身もです。「光り」は行く先を照らし、人生や探求の、方向性・見通しを劈いてくれますが、それはあくまで「光り」自体の志向です。

 「光り」を支配し、自分=「自我」の都合に合わせて、それを利用をすることは、私たちには出来ません。もし「光り」を私物化し、自分の都合で利用を強いるならば、宗教問題や原発事故のような、とんでもないところへと私たち自身を追いやることになるでしょう。

 私の場合は、どうやら不安の中をデクノボウのように真正直に歩むときに、私の歩みが確かであると知らせようと、「光り」は私に姿を観せてくれるようです。

「光り」を目指し、それを認めて終点とするのではありません。自分の道をエッチラオッチラ歩みを進めていくしか無いということのようです。これからも大いに迷いを楽しみながら。 

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 竹内に直接に指導を受けたのが、1981年から88年まで。竹内の怒りに切り劈かれたのが、84年の頃のことです。順に、精神障がい者施設での演劇公演の指導が88年、教室を単独で担当し始めたのも88年、鎌倉円覚寺学生座禅会に潜り込んで、坐禅を体験したのが2000年ミレニアムの頃。

 振り返れば、いつも「いのち」の風に背を押されて歩んできたことが、今になって見えてきます。私のこれまでの人生は、意識あるいは意志的努力によって、選択・開発・獲得したものではありませんでした。「運命」とは、「運ぶ」「いのち」です。「いのち」=「いきのちから」に運ばれてここまで生きてきたようです。

 そして漸く見え始めたのが、いのち(=からだ)への信頼感を取り戻していくことが、私に与えられた仕事なのだろうと言うことです。


【ブログを更新しました】
 ジグゾーパズルのように、記憶の断片が収まるべきところに納まって、思いがけない意味が浮かび上がって来ています。
 何の見通しもなく、次々と目の前にやってくる出来事に巻き込まれながら、それでも「竹内からだとことばのレッスン」「野口体操」と、遮二無二しがみついてきた私。
 誰になんと言われようと、どんな状況に置かれても、脇目をふらず黙々と歩み続けてきてしまった、自分が見えてきます。
 時々に訳も分からず放置してきた体験の断片が、年月を経て意味を結び始めているようです。
 私は自分以外の人たちの物語(生き方)を、いつも羨ましく思っていました。それは、自分には物語がないと思っていたからです。
 そんな事はありませんでした。私はずっと、私の物語りを綴り続けて来ていたのですね。嬉しいです。ありがとうございます。
(瀬戸嶋 充・ばん)

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