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2017年01月25日 (水) | Edit |

2016-03-31 003ed 

 絵画に描かれた世界。鏡の中にある向こうの世界。絵画や鏡をのぞき込んでいるとき、確かな世界がそこにあると感じられるのに、こちら側の世界に注意を向ければ、向こうの世界は消えてしまいます。

 琵琶湖合宿WSを終えて、まだ一週間と経たないのに、その時のことを振り返ろうとすると、このような感じ。どうやら向こうの世界=物語世界に行って帰ってきたようです。

 朗読劇のワークショップは、自意識と日常的な状況との繋がりを断ち切って、向こうの世界に遊びます。それが今回の合宿ではっきりと成り立ったようです。

 自意識は、世間常識の枠組みを土壌にして肥え太ります。物語りの世界に遊ぶには、身に纏った頑固な自我(自意識)を脱ぎ捨てなくてはなりません。

 それは世間常識への自縛(自意識)を離れること。魂を裸にして、手ぶらで想像世界に飛び込むことなのです。

 常識的な価値観や義務感、責任感、自負心等々自分の都合を、舞台(物語の世界)に持ち込むことは許されない。只々、自分を越える集中が求められます。

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 そういえば以前、京都でお寺を訪ねた時のこと、仏像の前にじっと佇んでいると、その息づかいが伝わってきました。よくできた仏像は、仏さんの息づかいまで彫り込んであるのですね。

 賢治さんの童話も、言葉を使って紙(原稿用紙)の上に、そんな息づかいが彫り込まれているようです。

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 今回は、賢治童話『狼森と笊森、盗森』を「からだとことばのレッスン」の台本にしました。

 岩手山の麓、森に囲まれた手つかずの原野に、百姓たちが家族と共に移住し、土地を拓き、小屋を建て、畑を耕し、子を産み育て、栖(すみか)を広げ・・・。彼らを見守る自然に助けられながら、一処懸命に生活を拓いて行くお話です。

 森や山、大地と人間との対話=互いの呼びかけ合いによって物語りは進んでいいきます。百姓たち「ここへ畑起こしていいかあ。」、森たち「いいぞお。」、百姓たち「ここに家建ててもいいかあ。」森たち「ようし。」・・・。

 そこには人間が大地とともに生きる息づかい、喜びの響き合いがとても明快に描かれています。

 自然と人間のふれあいの中に、人間のコミュニティーが育まれてきた、その始まりの物語です。近代化=自我(自意識)優先によって引き裂かれる以前の、自然と人間との一体感の中に息づく世界が、ありありと描かれています。

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 賢治童話を読むには、文字で刻まれたことばの息づかいに、自分のからだを委ねてしまえば良いのです。

 実際にはこれが難しい。声に出して読もうとした途端、「自分が読む」「自分はこういううふうに読むのだ」と、「自分が!」(自意識)が出てくる。

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 日本語の母音「あ」の声は、からだの芯がが真っすぐにやわらかく吹き抜けているとき、こえ自らが、緊張に邪魔されることなく、息に乗って他者や対象に向かってあふれ出てくるのです。明るい解放感のあるこえです。

 ところが、「あ」のこえの発声練習をしてみると、声を出そうとした途端、多くの人が喉や胸を緊張させて、息を詰めてしまう。

 声と云うものは努力してからだを緊張させないと(自分が頑張らないと)出ないものだと無意識に思いこんでいるようです。脳の中に常識としてインプットされているのです。これが自意識「自分が!」です。

 レッスンでは、そんな「自分が!」の介入に気づき、それを解除するのに、野口体操を利用しています。

 発声時の「自分が!」は、喉や胸など、無自覚なからだの緊張として見て取ることができます。声を出そうと意識した途端に、喉を詰めたり、胸を引き上げて固めたり。大きく口を開けて顎を固めたり、いろいろなパターンがありますが、どこかに力を込めてしまう。

 野口体操で、からだの緊張をゆるめ、筋肉の緊張に対する感覚を目覚まします。緊張に気づくことが出来れば、あとは声を出すときに喉や胸を緊張させることを止めれば良いのです。「自分が!」を手放すのです。

 すると声が変わってくる。「あ」の声は明るい息の流れとなって溢れ出していきます。努力をしていないのに、声が楽にでる。自分の声が変わったことに、初めての人はみんな驚きます。

 からだの強張り(緊張)を解く(ほどく)ことで、「あ」の声が自らあふれ出てくるのです。「自分が!」ではなく、こえ自身が自ら姿を表わす。「自分が!」声を出しているという意識(実感)はなくなります。唯々開け放たれた「あ」の声が出て行くだけです。日常的な自分を越える集中が成立したのです。

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 ことばを語ることも同様です。文字によって刻み込まれた、リズムやイメージ・感情が、息づかいとなって私のからだから溢れだしていくのです。

 言葉を声にして読む(朗読の)場合には、日本語の話し言葉の原則にも触れなければならないので、単なる母音「あ」の発声に比べると、多少複雑にはなります。けれども基本にあるのは、集中によって「私が!」を越えて、「息づかい」(言葉のいのち)が表れ出て、その場を物語の世界へと塗り替えていくのです。

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 琵琶湖合宿二泊三日の最終日には、レッスン場を舞台に見立てて、小さな発表会を催しました。賢治童話『狼森と笊森、盗森』の朗読劇です。寒さと雨に閉ざされたレッスン場が、その時だけは日差しに照らされ、30分の短い時間ですが、物語の世界が生き生きと明るく浮かび上がりました。

 合宿を終えて帰宅の準備を急いでいたところ、琵琶湖の上に、大きな虹が懸りました。一人一人の冒険を讃えるように。

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 「からだとことばのレッスン」は、演劇上演や演技法の習得を目的としてはいません。各人の内に潜めた想像力・創造力を駆使して、自分を越えて集中し、新たな自分に出会い、他者を世界をあらたに発見していく、そのためのレッスンです。

 うまく演技・朗読が出来ることや、人前で自分を良く見せようとする―――「私が!よくできるようになる」を一切求めません。人前で、遮二無二自分のいのちをさらけることでしか見(まみ)える事の出来ない、自分と他者・世界というものがあるのです。

 『レッスンに参加して、何か為になるものを持ち帰ったのでは意味が無い。何か問題の解決に役立ってもだめだ。ただ、自分を超えて深く生きた、明るい喜びだけしか残らないのが、良いレッスンだったということだ。』そんな合宿になったようです。

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次回の合宿は、関東地方、埼玉県秩父市の大滝で開催します。3月18日(金)~20(日)路面の凍結が心配される秩父山中での合宿です。人間と演劇研究所ホームページ https://ningen-engeki.jimdo.com/ワークショップ/3-18-20秩父大滝合宿-7/  でご案内しています。


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