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2016年12月01日 (木) | Edit |
2016-11-22 015ed 

小学校の三年四年生の頃のこと。生徒と担任も含むクラス全体から、いじめを受けていた。

いま思えば理由は簡単だと思う。当時は日本が戦後復興期から高度経済成長期へと突入したころである。(1960年代後半)

担任の若い女教諭は、経済の発展に沿った上昇志向を疑いもなく信じていたのだろう。良い学校を出て良い仕事につき良い暮らしをすることが、人間の幸福だと思っていたのだろう。彼女にとって教師の役割とは、生徒に勉強をさせて、社会的に有用・優秀な人間を育てることに在ったようだ。

ところが私は、学校の勉強に興味を持たなかった。決して反抗しているわけでは無い。その上、私には競争心がなかった。人と競って自分を主張することが全くできなかったのだ。

学校の成績を上げることにも興味がない。飛びぬけた才能があるわけではない。好きなことには夢中になるが、持ち帰って宿題をするほどに教科を楽しいと思ったこともない。授業中の発言は苦手で積極性ゼロ。家族や近所の友達とあるいは一人遊びので過ごす時間のほうが私には幸せだった。

両親は南九州の片田舎、農村の出身である。学校の成績や出世など関係ない文化の中で育った人たちだ。七人兄弟末っ子の父は、敗戦後田舎で喰いっぱぐれて、東京に出て警察官として働き暮らして来た。同郷の母と結婚し私が生まれた。二人とも学歴や出世街道には、まったく興味を持たなかった。人様に迷惑かけずに一所懸命働けば、それ以上のことは望まないという、昔の人である。(因みに私は、成績のことで両親から小言を言われたことは一度もない)

そんな家族の中で、私も出世や裕福な生活を目指すことに興味が育たなかった。学力や成績を上げる競争には全く心動かされることが無い。無いどころでなく私の興味の範疇には競争や上昇志向という言葉がなかった。

それこそ、担任教師にとっては手におえない子だったろう。先生に反抗して勉強をしないのならば、指導のしようがあるだろう。上昇志向がなく、勉強に興味がないのではどうしようもない。教師に宿題の提出や発表を求められると、叱られるのが怖いので「忘れました」の一言。勉強してこないから漢字の書き取りは零点。小言を言われれば無言で「へらへら」として頷くのみ。

いつの間にやら、私に対する教師の眼差しに、険が立つようになって行った。反抗しているわけでは無いが、時代の求める教育や社会の価値観に興味がないのだから仕方がない。学習意欲はなく積極的な発言もできない。教師にとってはクラスの持て余し者である。(現代ならば、学習障碍児かも知れない)

クラスの生徒たちも親の理想を受け、上昇志向に合わせて勉強することが、なによりの価値だと思いこまされ始めている。当然、皆の価値観に共感することができずにいればイジメの対象になる。変わり者扱い。上昇志向の脚を引きずるお荷物である。

教師も含めてクラス全員からの見下した眼差し。阿呆・馬鹿あつかい。悪戯、意地悪をさんざんに受け、ニックネームが「セトバカ」(瀬戸嶋の馬鹿)。それでも私は腹を立てることがなかった。

イジメられ泣いて涙を流すまでは相手は手加減をしない。いじめがない時は、何も言わずにびくつきながらも、意志表示をせずに「へらへら」と過ごす。やがて母親が心配するほどに、緊張して寡黙になってしまっていたようだ。それでも私は「競争心」を持たなかったためか、クラスの先生や生徒を憎むことは無かった。黙って耐えながら、二年間を終えて、担任が変わり五年生へと進級した。

こんどの担任は、新卒ホヤホヤの男の先生だった。学校現場に初めて入って、生徒と一緒に苦労をしてくれた。理想の生徒ではなく、目の前でやんちゃに振舞う生徒たちの面倒を、正面から取っ組み合って見てくれた。勉強は二の次だったが、人情あふれる田舎出の教師であった。

私は前のクラスでの息苦しさを逃れて、新任教師への親しみも生れ、緊張がほどけ始めていたようだ。それでも、持ち上がりのかつての同級生数人からは、時々イジメを受けていた。成績が良く運動神経も良い優等生の男子の一人が、見下したように悪口を言ったり小突いたり、何かというと私にちょっかいを出し、私が涙を流すのを見て喜んでいた。

けれども五年生の一学期後半に入ると、何故か涙は枯れてしまっていた。涙を流せばイジメが終わるからと、涙が出るのを待っていた自分がいたのだが、いつの間にか泣こうとしても泣けなくなっていた。

五年生の一学期終盤のことだと思う。またいつもの優等生の男子が私に絡み始めた。したり顔で悪口を投げつけながら、私を小突こうとして迫って来る。その時、何故か私の口から「やめろよ!」の言葉が飛び出した。口をつぐんで唖然としている彼の表情を今でも覚えている。あり得ない言葉が相手から飛び出したことへの驚きの表情なのだろうが、ただそれだけのことでは無かったようだ。

なぜなら、その一言以来、彼からのいじめが全く無くなった。彼がリーダー格であったので、取り巻きからのイジメも消えてしまった。以降、小学校五六年の間、いじめを受けたことは無い。いまになって考えてみれば不思議なことである。「やめろよ!」という一言が何かを変えたのだ。

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長々と、子供のころの個人的な体験を書き出したが、この「やめろよ!」という一言について考えたいからである。

この時この言葉は、誰かのアドバイスを受けて発されたものでは無い。勇気を出して断わりなさいとよく云われるが、当時私はそんなアドバイスを受けてはいなかった。いじめのことで、誰かに相談を持ち込んだことも無い。

だから、この辛さをどうやって解消するかと考えたことも無い。ひたすらにいじめの時が通り過ぎるのを待つのみである。辛くても黙ったままで待っていればいじめは終わり、学校を終えれば、自分の興味を満たす楽しい時間が待っていた。

けれども辛いものは辛い。執拗ないじめを避ける手立てに考えは及ばない。学校にいる時間の息苦しさは、今でも思い浮かべることができる。

それが「やめろよ!」の一言で終わったのだ。今更ながらではあるが、この一言が相手への「呼びかけ」だったのではないかと思い至ったのである。

    *    *    *

最近、私は「呼びかけ」としての言葉ということを考えている。私にとって『「ことば」とは、「いのち」から「いのち」への呼びかけである』と考え始めている。

普通、言葉は、意思や知識の伝達、または自己表現や感情表現の手段として捉えられている。けれども私の求める言葉はそこには無い。相手の存在の根底に至り、相手の意識の奥底から、若しくは相手の意識下から反応を呼び覚ます。そんな「ことば」を現在の私は求め『「呼びかけ」としての「ことば」』と名付けている。

この時の「やめろよ!」は、考え抜いて勇気を奮って相手に投げかけた言葉ではない。相手に言い返そうと考え抜いた末に、努力して言葉を発したわけでもない。むしろ、泣けてくるのを待って自分の内側に引き籠っているのが叶わなくなり、二進も三進も行かなくる。身動きできないまま相手に向かって、立ち尽くしているしかない。その時に「やめろよ!」の言葉が口を突いて、相手に向かって発されたのだ。私の意識に昇る以前に、「ことば」自体が私の「からだ」の中から相手に向かって飛び出して行った。

その言葉は彼の意識へではなく、意識の深奥(からだの深み)に至り、彼に変容をもたらしたのではないか。

特に感情的になって、怒鳴り飛ばしたのではなかった。「ことば」自体(そのリアリティー)が、相手(彼)の存在(からだ)全体を掴み、彼の行動を無力化・沈静化してしまい、彼の苛立ちは一瞬にして消え失せてしまったのだろう。彼にしてみれば、魂が異次元の時空に連れ出され、いじめの動機(自意識)がふるい落とされてしまったかのような体験だったのではないか。(「たまげた」とは「魂消た」=魂が消えた)

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「いのち」から「いのち」への「呼びかけ」は、自他の壁を超え自意識を離れた交流の時空を劈く(ひらく)。私のレッスンはその実現へと向かう。


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私は来年還暦を迎える。自分の生きて来た道のりを、その時の体験に揺り動かされることなく、距離をおいて振り返ることが出来る年頃になって来たようだ。

私のこれまでの人生は「竹内からだとことばのレッスン」と「野口体操」の実践研究のみに、捧げられてきたように思う。生活に伴う多くの苦しみはあったが、努力は何もしてこなかった。ただ「誰か」に背中を押されるようにして、レッスン者としての35年を歩まされてきた。

その「誰か」とは、それまでの幼き、あるいは若き頃を過ごした、生活体験の中にあったようだ。そして、野口体操も竹内からだとことばのレッスンも、その「誰か」に出会うための、あるいは「誰か」になるための、実践練習(レッスン)だったのかもしれないようにも思う。

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子供のころ(幼稚園のとき)、木馬座、藤城清治さんの影絵劇「銀河鉄道の夜」を観た。舞台上で、ジョバンニとともに銀河を旅する体験とその感動は、私の心の奥底に灯をともし、輝きを送り続けた。成人するにつれて、その輝きはどこかに仕舞い込まれてしまっていたが、今年10月の三浦合宿ワークショップ、三日間の日々をかけて「銀河鉄道の夜」を読み通したときあらためて、私の人生航路を照らす燈火は、あの影絵劇を観た時に点火されていたことを知った。そしてそこに描かれた「死と再生」のテーマが、私にとって、よりクリアーに見え始めている。

これからが楽しみだ。どこに行きつくかわからない「呼びかけ」の旅はまだまだ続くだろう。


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