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2016年09月01日 (木) | Edit |
2016-08-04 020ed 

自信が無いというのは、私にとっては良いことかも知れない。

1981年、二十代のころ、竹内敏晴と野口三千三に会った。私淑と言うかたちで林竹二にも。

彼らのもとで教室生として学んだ頃は、心底楽しかった。彼らのレッスンを3年ほど受けて、教室生の側からレッスンをリードする側へと回った。レッスンの指導者になる意志など元々私は持っていなかった。竹内・野口のように、教室の中で参加者を相手に自由自在に振舞い、心底楽しくレッスンをリードして行く姿に憧れてはいた。けれども私自身は、中学校教員として生徒とのコミュニケーション能力を付けるため、レッスンに参加していたのだ。自らレッスンを指導することなど、思いも及ばなかった。

私は自分が変わることで、教師としてふるまうことができるように成ろうとしてレッスンを受ける側にいたわけで、ボディーワークや身体心理学など、基礎的な知識も技能もまったく持っていなかった。簡単に言えば、「からだとことば」あるいは「こころとからだ」に関して、まったくの無知な「素人」だった。ましてや演劇についても体験や興味はなかった。

あるとき、竹内から(竹内演劇研究所からだとことばの教室を)「手伝わないか?」と勧められ、レッスンが楽しいことのほかには何も分らないまま、首を縦に振っていた。たしか竹内レッスンに出会って3年目だ。1984年のこと。教職はすでに辞めていた。

竹内のレッスンを見よう見まねで、教室参加者にレッスンを指導しなければならない。そもそも竹内レッスンとは何かななどと考えたことも無い。ただただ楽しんでいただけだ。それが、何も分っていないのに指導するという、とんでもないことがスタートした。

竹内は何も教えてくれない。私が出来なければ竹内は代わってやってしまう。「ことばが劈かれるとき」「劇へ――からだのバイエル」(竹内著)、「原初生命体としての人間」(野口著)をアンチョコにして、その内容を何度も読んでは、一生懸命考えてレッスンに臨むのだけれど、竹内のようにはけっして行かない。

教室の発表会(演劇)では、私一人で舞台の指導をしなければならない。ただやるしかないのだが、レッスンも演劇も私はほとんど体験が無い。当って砕けるしかないのだが、それにしても私は、まったくの素人である。当然、最後の尻拭いは竹内がする。

お陰で、竹内からはよく怒られた。酷い時など、竹内の肩に手をかけたとたんに、竹内の怒りが私の身体に飛び込んで来た。沈黙する竹内の身体の中から、雷光(カミナリ・稲光)が私の手と腕を貫き私の中に飛び込み、私の心と身体をもろとも、真っ二つに切り裂いた。

こう言う怒られ方をすると、自信もへったくれも無い。落ち込むことさえ出来ない。すっぱり切り裂かれた切り口から、疼きを感じながらも、痛みも無く苦しみも無く血が流れっぱなしになっている気分である。考えることも動くことも出来ない。取り繕い様がないのである。(こんな怒り方をする人も、それを受けた事のある人も、なかなかいないものだと思うが)

教室を終えた仲間には、自らワークショップを始めた者もいた。教育問題に深く係わってリーダー的存在の人もいた。いわゆるエコ運動の先駆のような人もいた。私は自分のレッスンにも自身の在りようにもまったく自信が持てない。自らの活動を熱心に語る彼らのことがたいへん羨ましく思えた。

それでも竹内が東京を離れ、名古屋に移ったとき、東京新宿にある竹内演劇研究所の稽古場兼小劇場を承け継ぎ、人間と演劇研究所を始めた。1988年4月、竹内に出会って7年目のことである。この年を最後に私は、竹内敏晴師匠とレッスンの中で直接に関わることは無くなり、からだとことばの教室を自分一人で指導するようになった。

これもまた、レッスンに自信があるから始めたのではない。竹内が東京での暮らしと活動を捨てて名古屋に移り、置き捨てられた私は、他にやることも無くて研究所のスペースを継いだのである。

    *    *    *

こんなことばかりを言うと、当時の人間と演劇研究所参加者のお叱りを受けそうなので言い訳しておく。

私は私の意志や努力とは関係なく、レッスン自体に突き動かされて、ここまで来てしまったようなのである。ふつう自らの仕事を長期間継続するには、絶え間ない努力と意志が必要だと思われるのだが、私にそれは無い。

レッスンに心を向けると、見えない風が吹いてきて私を後押しする。レッスンの時間内もそうだが、準備のときでも生活の時間でさえ、レッスンのことに思いをやると、私のからだ(=こころ)が充実し、深く広い呼吸(息)が私のからだを湧き立たせ、あふれ出すのである。

意志や知識への興味、目的達成への情熱、他者の評価などへの思いは、私のレッスンに向かう動機にはならない。どうしてか分らないが、レッスンに向かう時、どこからやって来るともわからない風(流れ)の力に押しやられて、私はレッスンの場で前を向いてその時間を歩みきるのである。それを私は、「レッスン自体に衝き動かされて」とか「レッスンに追いやられて」などと呼ぶ。

頑張る・気合を入れて・努力・自己責任などという言葉にも、私は縁が無い。レッスンを指導する主体は、私(=自我・意識)ではないのである。いうならば、私=「からだ」がレッスンを主導する主体であって、「からだ」(=いのちの風)の働くところを妨げぬように、私=意識は力むことなく静かに状況を眺め続けている。

私がレッスンをやっているのでないから、自分を信じることは無い。自信(=自分を信じる)などないのである。信じる対象は「私」(=自・自我)ではなく、自主自然としての「からだ」(=いのちの風の行くところ・成すところ)なのである。

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「からだとことばのレッスン」を指導するようになって30数年を過ぎる。振り返れば私は、自らの仕事(=レッスン)に自信を持てないままに、ここまで来た。

竹内・野口・林といえば、天性の逸材(天才)である。私のごときがその後を引き継ごうとすることへの、引け目がある。いつまで追いかけても、彼らにはかないっこないないだろう。でも私の自信のなさは、それだけの意味ではない。

私が過去のどこかで、自分の仕事(レッスン指導)に自信を持って完成していたなら、ここまで歩みを進めることは出来なかっただろう。専門家の自負を持つその時点で、それと引き換えに、私の歩みは止まっていただろう。自分=自我に自信を持てないからこそ、いつも未知(=いのち)との出会いに向けて、どこまでも歩みを進めてこれた。もちろんマイルストンとなる体験がその時々にはあるが、それはゴール=達成=自信ではない。レッスン自体が私に与えてくれた賜物である。

いまももちろん自分に自信は無い。とくにその人間性や社会的なスタンスについては、まったく自信は無い。けれどもこれだけの日々を経て振り返れば、私がレッスンに導かれてここまで来たことは確かだし、これからもその道を歩み続けるだろうことには自信が持てるような気がする。「自信が持てないこと」に「自信を持っている」、ちょっとわかり辛いが私の現在である。

自信が無いというのは、私にとっては良いことである。自我の有能さに捕まることなく、「いのち」に任せて、私は「いのち」の向かう歩みを勝手気ままに進んでこれた。これからもまたきっと。

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「からだ」(=いのち=息吹き)への私の信頼は、歳月を経て確固たるものになってきている。振り返れば、「からだ」は竹内に出会う以前から私の中で息づいていた。竹内に会い、それはたびたび姿を現し、竹内を離れてからの長いレッスン修行の果てに、今でははっきりと自覚できるものへと変化して来た。

自分(=自我)は信頼に足るものではない。自我は相対的な価値の網の目を離れることが出来ない。社会と言う相対的な価値観の網の目の中で、自分自身のポジションを維持するためには必要だろう。けれどもその価値観自体が次から次へと変転する(変転しなければ自我は行き詰り滅びる)。本来、自信など持ちようもないのが当然のことだ。

野口三千三先生流に言えば「自分とは、自然の分身としての自分である」(「自」=自然、「分」=分身)となるだろう。その意味での自分を私は信頼している。「自信」を持っている。それに比べて私の「自我」は、取るに足らないものである。自我を取り立てることをしない方が、レッスンは楽しく深まりを見せてくれる。

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