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2015年08月18日 (火) | Edit |
2015-07-16 003ed

(今回は密かに叫んでみます!)

根が生えた。虚空の中に。それは自分を認めたことでもある。自分の生き方を繊細ながらもガッチリと、捕まえたということである。

自分が社会と云うものを、自分の中から追い出した。そこに残された自分。しっかりと動きようのない、自分の形が浮き彫りになった。

自分の中に侵入し、自分ではない自分を自分としていた者の正体。社会はいかに巧みに私をその中に巻き込もうとしてきたのか。嘘っぱちの優しさをもって。正しさという脅迫をもって。力づくの支配をもって。聞く耳を持たぬ者たちの常套手段。

孤独の意味がかわった。孤独なのは私ではない。孤独なのは社会のほうだ。誰もが孤独を見ようとしない。孤独を誤魔化すためのコミュニケーションごっこ。

私は大地と共にある。道行く花々が私に声をかけてくる。大空は私をおおらかに包む。これを孤独というのなら、それは私の勘違い。社会こそが自然のやさしさから孤立して、みんな孤独を持て余している。

根が生えた。虚空の中に。それは自分を認めたことでもある。自分の生き方を繊細ながらもガッチリと、捕まえたということである。

簡単なことだった。それは師匠から受け継いだもの。ものごとを、そのまま見ろということだ。そのまま見ようとすることは、そのまま見ようとしない自分が、垢を落とすように剥離してくることだ。

そのままに見ようとすればするほどに、自分の眼と脳に染みついた、うんざりするほどあつぼったい、目詰まりフィルターがボロボロと崩れて、心に突き刺さる。それでもかまわず、そのまま見つづけるしかない。

怒りもある、悲しみもある、怖れもある、快楽もあるが、そんな残滓に心を盗られるな。目の玉を開き、心を向けろ。そのまま見るのだ。孤独の向こうに広がる生の世界を。

【57才、どこから来てどこへ行くか、最近、からだ(=いのち)の側から、ひどく問われているような気がしています。自分の歩みを整理しようと、ブログの画面に向かっていると、けだるさが付きまとうばかり。ちょっと思い切って叫んでみました。野口三千三・竹内敏晴・林竹二の三人師匠たちが、若かりし頃の私に何を叩きこんだのか、ようやく見えてきました。厳しい宿題です。またまた意味不明かも知れませんが、お許し下さい。】

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