FC2ブログ
2015年07月30日 (木) | Edit |
2015-06-16 001ed

自分のことを書こう。

いま57歳、このごろはこれまでの体験を振り返ることが多くなった。懐かしいからではない。世間の常識からは、ずいぶんと外れた道を歩んで来たのに気がつき始めたたからである。これからの歩みをはっきりさせたいとも思うからでもある。

何せ、二十代からこの齢になるまでの30数年、「野口体操」と「竹内からだとことばのレッスン」の実践のためだけに、自分の時間を使ってきてしまった。とくに使命感を帯びたり、情熱を燃やして一直線に人生を賭けて来たというわけでは無いのだが。

ましてや、大学や研究団体などの組織に所属したこともない。全くの個人で続けて来た。まさに「独自」に実践して来たのだ。活動を維持するために、料理屋や清掃のバイトもしてきた。こういうのを手弁当と云うのだろうか。

けっこう大変なこともあったが、「からだ」と「ことば」の探求にはかけがえのない喜びがあった。30数年続けていても、いまだに繰り返し、新たな発見とその喜びを私に齎してくれるのが「からだとことばのレッスン」である。

そもそものきっかけは、20代に竹内演劇研究所に参加したことだ。当時、中学の理科教員を目指していた私は、対人コミュニケーションに不安を感じており、「自分を変えなければ!」と云う思いで、竹内敏晴氏に師事した。(思想の科学社から「ことばが劈かれるとき」が出版され、竹内が時の人となっていたことを、当時の私はまったく知らなかった)

一浪して、東京の公立中学校に赴任したが、1980年代初めの学校教育の荒廃が噴出したころだ。新任の私は、手におえない重荷をいきなり負わされ、夢も希望も無く、にっちもさっちも行かない毎日。

それに比べて、週三日、夜間に通う竹内演劇研究所「からだとことばの教室」のレッスン。毎回、課題に集中し自己を表現・発見して行くことの、めくるめくような喜び。とうとう一年半で教職を辞め、竹内演劇研究所中心の生活に入った。

20代の私がそのとき思ったことは「竹内さんみたいになりたい」「竹内レッスンができるようになりたい」である。当時、レッスンの中で竹内さんに話しかけられることが、とても嬉しかった。

竹内敏晴56歳、今の私の年齢である。私はそれまで、大人の年長者とは対話の経験がほとんどなかった。一人の年長者を慕い尊敬する体験も全くなかった。年長者は私には関係の持てない恐れ多い存在だった。教師をしながらも、先輩や大人の指示は絶対との思いが自分の中に染みついていたようである。

竹内の指導するレッスンの教室では、自分を突破することをみんな真剣に求めていた。演技レッスンを手掛かりに、自分の中に根を下ろした常識(タブー)を突破し、自己を新たに発見していく場だった。「自分とは何?」「自分は何がしたいのか?」を理屈抜きに、体あたりで探ることができる場だった。

参加し始めたばかりのころだったと思う。レッスンで「みんなの前(舞台)で自分がなりたいものになって、行動する」という課題があった。私は迷いに迷って舞台にうずくまり「石」になった。5~6人の仲間が同じ舞台上で、歌手になったり、船になったりと、それぞれ自由に自分以外の存在になって表現(演技)をする中、私は15分あまりじっと身を固め必死で「石」になっていた。

その後、それぞれ自分が何になっていたか、みんなでシェアをした。「私は石になっていました」。石をやっていた時どんな感じだったかと問われ「楽しかった!」。教室のみんなが嬉しそうにどっと笑ったのを覚えている。こんな自分でも、自分に正直にしていれば、居場所があるということを発見したようだ。

一人で迷いに迷って、それでも一歩ふみ出して、何かをやらかしてみる。結果として必ず思いがけない自分に出会える。以来、その後の30数年、同じことの繰り返しかもしれない。

「竹内さんみたいになりたい」を追いかけ続けてきた結果、最近では「竹内からだとことばのレッスン」が、ようやく少しは自分のものになってきたようだ。どうやらそれは竹内らしくというより「瀬戸嶋らしくなって来た」のかもしれないが。ながい年月をかけ、「石」は「でくのぼう」くらいには成長したのかも。

【「般若心経」の入門書を4冊ばかり読んでみました。あの色即是空のお経です。私の頭では、どの筆者の云うことも理解できませんでした。でも「野口体操」や「竹内からだとことばのレッスン」は、どうやら「空(くう)の実践」のようなのです。いつの日にか、頭では無くて、からだの実践を通しての「空」について、言葉にしてみたいものです。私のような、頭の悪い人にもわかるように。】

関連記事
テーマ:人生を豊かに生きる
ジャンル:心と身体