FC2ブログ
--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2015年06月13日 (土) | Edit |
2015-06-12 004ed

先日、公園を散歩していたところ、桜の樹の下生えの中から雑草がひょろりと背を伸ばし、風を受けて葉を揺らしていました。たくさんの蝶が羽ばたくように、小さな葉っぱがヒラヒラと風に舞っています。

風と草葉の織りなす光景に、ぼんやりと見とれていると、草葉の揺れが私の身体の中で感じられてきました。草葉は2~3メートルのところで風に舞っているのですが、茎がしなう感じや、葉の舞う感じが、私の身体の中で動いている。自分の内側に手を伸ばせば、草葉の手ごたえを感じることが出来そうなくらいに、実体感を持って揺らめいています。

ふつう私たちは、眼や耳や皮膚で、風の動きや光景の変化を捉えていると思っているようです。そして脳の働きを通して、風が吹いているとか、陽が差しているとかを認識し、気持ちいいとか、美しいと判断をしていると考えているのではないでしょうか。

ところがこの場合は、風と草葉の織りなす動きが、いきなり自分の身体の中に飛び込んできて、自分の内側を動かしている。動揺させているのです。そこには認識とか判断の介入する余地がありません。動揺は感じられるものであり、ただ動いている感じが在るだけなのです。

繰り返しになりますが、このとき目や耳は眼の前の光景を見ています。ただし「風に草葉が揺れている」とか「美しい光景だ」というような、言語化(意味付け)としての脳(意識)の認識判断作用は、働かずに停止しています。同時に風と草葉の織りなすダイナミズム(動的感覚)が、私の身体の中で蠢いています。

自分(自我)という実感を忘れ、隔たりを失ったところで、対象を見ているのでしょう。これを「観る」(みる)と書き表した方が分かりやすいかもしれません。

これは草葉の動きですが、以前には、路肩に静かにたたずむ花々が、ふと私の身体の中に飛び込んできて、私の注意を促すこともありました。まるで花に呼ばれているように感じたものです。

実は、このような受け取り方は、私にとっては珍しいことではありません。からだとことばのレッスンや舞台演出の作業の中では、意識的にこのような身体の感じ方を準備しています。

身体の内的な強張り(緊張)を解除し、身体の内的な感受性を研ぎ澄ませるのです。

脱力ワーク(ゆるゆる体操・野口体操)は、こんな観点を準備するためのレッスンでもあります。

【「花の心(命)を受けて舞う」と云いますが、五感と脳の関係だけに縛られていては、この言葉の意味合いは観えてきませんね。体内の深部感覚(内臓感覚や筋感覚)への感受性を高めなければなりません。花の心が私の内部に飛び込み、その動きに促されて私の身体が舞い踊るのでしょう。脱力ワーク(野口体操)の一つの意味です。】

関連記事

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。