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2015年06月04日 (木) | Edit |

今朝から「丹田」について考えを巡らしているが、上手く言葉にならずに、もどかしい。

お腹を切開すれば、肝臓はこれ、腎臓はこれ、腸はこれ、と、指さし確認することが出来るだろうが、「丹田」と云う臓器がお腹の中に埋まっているわけではない。「丹田」は切り出して、手に取って見ることの出来る物体ではないのである。

目に見え手に取ることることのできる物ならば、これが「丹田」だと相手に教えることも容易だろうに、そうはいかない。

臍の下、三寸のところが丹田だと言うが、お臍の下に何か目印がある訳でもなし、ここが「丹田」だと位置を決めようにも、そもそも物体では無いのだから、やっぱり良く分からないのである。

「丹田」を「空間」と考えた方が、分かりやすいかもしれない。

前面は腹の皮、背面は骨盤、坐骨や肛門の辺りを底面、臍の高さを頂点とした、球面に囲まれた「空間」。もちろん現実には、その「空間」は、腸や肝臓・腎臓・等の内臓に満たされているのだが、実感からいえば、何か物体が詰め込まれているというより、膨らんだ風船のように中身が空っぽの「空間」がある感じになる。

腹筋や骨盤も、カチカチではなくて、風船の薄いゴム膜のように、伸縮性に富んだもののように感じられてくる。息を深くすれば、お腹の中の円い「空間」の内圧(空気圧)が高くなり、腹部が柔かく張りのある風船のようになる。

からだを調えるに当たっては、「丹田」を中心にして観ていくと良い。身体が緊張で歪んでいると「丹田」の「空間」が円く柔かくはならない。固い部分と柔かな部分とが混在してしまい「空間」が歪んでしまう。

腹の皮(腹筋)が固くなったり、骨盤を引き締めるような緊張があっては、「丹田」は円い空間にはならない。腹・骨盤・股関節・横隔膜など、「丹田」の周辺の緊張を弛め、それらの柔軟性と感受性を育てることが必要になる。

逆からいえば、身体を整えたり鍛えたりする場合、そのことによって「丹田」の柔軟性を損なうようでは、鍛錬の意味が無いということである。

もう一点、ここでは「丹田」を腹部の空間と考えたが、この「空間」は身体の内部の空間に止まらず、身体空間をこえて外界にまで広がるようだ。「丹田」は私の腹部を中心にして、四方の景色を切り取るように拡張する。これも「丹田」の不可解・不思議に繋がる。「中心=空間」なんていう矛盾した言い表しかたもしたくなる。

地道にコツコツやれば、「丹田」を実体験として捕まえることは、難しいことでは無い。「丹田」の復活は、現代人の置かれた心身の情況を打破するうえで、とても大切なことだと思う今日この頃。でも絶滅危惧種を救うには、多大な労力と手間暇がかかる、Help me!(笑)

【「丹田」(たんでん)とは日本の身体文化の中心・根本を成す身体観だと思います。それが現在では絶滅危惧種のような状況になっている。でも「からだ」のことを仕事とするならば、避けて通れない関門です。「丹田」は解説無用で「からだ」から「からだ」へと受け継がれて来たのかもしれません。意識を介した(生半可な)理解を拒むもの(存在)として。】

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