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2015年05月16日 (土) | Edit |
2015-04-15 004ed

「歩く」ということは、向こうに景色があって、その中に足を運び飛び込んでいくことではありません。景色が向こうから自分の方に飛び込んできて、背後に消え去って行くのです。

これが分かると、歩くのが(走るのも)とても楽しくなります。自分という重荷を景色の中に無理矢理ねじ込んで行くような、努力がいらない。

景色と自分が融け合って、ただ景色の流れ込み移り変わりる様(さま)に、目を開いているだけ。自分が歩いているという実感(努力感)も消えてしまいます。

歩いて来る他人の存在も気になりません。道を避けなければ、挨拶しなくては、怖い人が歩いてくるな、、、と云うような、気づかいから来るうっとおしさも消えてしまいます。全てはオーライの気持ちになります。

どんなにウォーキングのテクニックを学んだとしても、この観点=景色がやって来る感じを掴まないと、光景と自分の間に壁が出来て、歩くことが自閉的になります。歩くことは努力が必要なものとして、距離やタイムを前提とした、達成感ばかりに価値が置かれてしまう。登山も山道を歩くこと自体の喜びが等閑(なおざり)になり、困難への挑戦や克服が目的になってしまうように思います。

自己を超える必要なんてありません。自己=光景なのですから。気もちいいですよ。

【歩くと景色が自分の中に飛び込んできます。ちなみに、走ると光景が水流のように流れ来たる中を泳いでいるようです。自分が魚になった気分です。】


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