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2015年03月23日 (月) | Edit |

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10年ほど前のことだと思います。レーシングタイプの自転車に乗り、自宅から都心に向かう途中で、転倒事故を起こしました。

駅前の渋滞した車道を、自動車の隙間を縫って走っていた時、一台の車が、私の自転車を路肩に押しやるように迫って来ました(幅寄せ)。衝突を避けようと急ブレーキをかけたところ、からだが宙に浮き、前方に回転しながら投げ出され、ゴムまりのように丸くなって落下し、固いアスファルトの地面に肩甲骨から叩き付けられました。

後続の自動車から身を避けなければと焦りながらも、痛みと衝撃に息が詰まり恐怖に襲われ、車道の真ん中で立ちあがることも眼を開けることさえ出来ません。そのとき眼を閉じた視野の中に、黒い闇が、溶岩(マグマ)のように重々しくうねりながら移動し流れていくのが見えました。

息を深くし呼吸を整え、痛みをこらえてからだを起こし、路肩から歩道に退避しましたが、先ほどの「闇の流れ」のことが印象から離れません。その圧倒的な闇の深さと力強さ(力感)。重くうねるような音にならない響き。

闇の流れ自体に恐ろしさを感じることは無いのですが、事故の恐怖が私を捉えていたのだと思います。逃げ去った事故車への腹立ち半分で、混乱したまま、「都市の闇の流れ」と恐ろしげな名称を付けていました。

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先のブログで、重奏音(「無音の音」「地の声」)について述べました。いま思えば、このときの「都市の闇の流れ」も「重奏音」のことだったようです。事故に会ったその瞬間、意識が混乱し、日常的な聴覚は停止していたようです。幅寄せをして私を転倒させた自動車が、私を置きざりにしたまま、音の無い世界をすべるように遠ざかって行った光景を覚えています。

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私は、レッスン者でありまた演出者でもあります。演出者の仕事は演技者の言葉(声)を聴き、そのリアリティーを最大限に引き出す手伝いをすることです。そのためには、常識的に耳で判別可能な表層的音声を聞くだけではなく、その奥底に響く、本源的な音声へと注意の焦点を置くことが、聴くという行為になっているようです。

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大地の立てる音の響き(重奏音)、大地の声と云っても良いでしょう。それは混とんとした、様々の音色のまじりあった、闇なのです。太陽光のスペクトルのように、また様々な絵の具の彩りを混ぜ合わせると暗灰色になるように。

大地の声(重奏音の闇)は音声の生まれるプールです。私たちは、その中に浸って生きています。声を出したり楽器を奏でると云うことは、耳には聞こえないながらも、常に身辺にある、混とんとして渦巻き震え鳴り響いている音のプールの中から、声帯の共振と「骨」の共鳴を利用して、虹の七色のように、色鮮やかな音声や音色をチョイスし浮かび上がらせることなのだと、私は思います。「骨の鳴る声」です。

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大地(地球)が、私達の「からだ」を通じて自らを表現する。大地によって私達は語らせられ歌わされ踊らされる。そうして、共に生き抜こうという、大地からのメッセージが私達にもたらされる。それに答えるように人間はまた語り歌い踊る。それが物語や音楽の本来の有り様なのではないかと、私は考えています。

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このときの事故では、肩甲骨の一点から固いアスファルトの路面に落下しました。地面に叩き付けられてからだがバウンドし、肩甲骨が変形してしまうような酷い事故だったのですが、骨折や裂傷は全くありませんでした。この事故で、花巻への自転車ツーリング予定が中止になりました。眼の前の現実から逃げ出すな、もっと他に大切なことがあるだろうという、当時の私への大地からのメッセージだったようです。

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