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2015年02月11日 (水) | Edit |

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胴体の背中側の各部分(首・胸・胸・腰)の緊張が緩んだところで、四肢(腕・脚)の状態を見てみます。「四つ這いの姿勢のまま、腕や脚(手足)が、胴体の重さ(重量)をしっかり支えることが出来ているかどうか、見てあげてください。」二人組の一方の人が様子を見ます。

腕をハの字に開いて踏ん張っている人、両脚の膝と膝をくっ付けて今にも倒れそうな人、腕と脚の間を大きく距離を取り地面に突っ伏してしまいそうな人・・・。これも人により様々ですが、土台(腕や脚)を安定させようと、一所懸命に手足を固め、緊張している様子です。

「四肢は4本の柱です。建物の柱は地面に垂直にたてられます。柱を斜めに立てる人はいません。同じように腕と脚が床に垂直になるようにしてください。」見ている人が手足の位置を直し、二人で協力して土台となる四肢を床に垂直に据えます。胴体の緊張を弛めると、からだ全体の力みが消えていきます。

四つ這いになっている当人は、からだの実感が無くなり、四つ這いの姿勢を取っているという意識もなくなります。自分が空気になって空気の中に溶け込んでしまった感じ。(仏教で「無」とか「空」と云うのは、このような「からだ」の有様です。こころとからだが意識の強張りから解放された状態です。)

「さあ、もういちど、からだ(=こころ)の赴くままに動いてみてください。動き出したら、手・足・頭・胴体の区別も忘れてください。」風に煽られるように、水流が渦巻くように、火焔が躍るように、それぞれのこころの動き(イメージ)に任せて、からだの枠を忘れて、自由奔放に動き振舞います。(このとき「こころ」と「からだ」の区別はなくなります。仏教用語では「心身一如」と云います。)

意識的な操作では為し得ないような、思いがけない動きが「からだ」から湧きだし迸ります。みんなの表情には、深い解放感を体験した、開けっ放しの笑顔が広がります。

    *    *    *

普通には、「からだ」は、「こころ」のはたらく「場」と考えられていると思います。その「場」は、頭であったり、胸であったり、中にはお腹と云う人もいるでしょう。踊りやスポーツなどでは、「こころ」の働く場は全身となることでしょう。

ここでは、その意味での「場」を取っ払うことで、「こころ」と「からだ」の区別をなくし、「こころ」は空間に満ち広がる「からだ」と一つになります。自由自在とはこのことでしょう。

「からだ」と「こころ」が一つのところ。「からだ」はイメージに反応し、イメージは「からだ」を開放し、開放されたからだはイメージへの反応をさらに鮮やかにし・・・やがて「ことば」を結晶します。イメージとからだの感応、ことばとからだが融け合うところ。そなふうに、「からだとことばのレッスン」は進んで行きます。

「脱力ワーク」とは、「心と身体」という常識的な心身二元論に縛られない自由な立場から、新たに「いのち」の可能性を問う作業です。「いのち」はやがて「ことば」の花を咲かせます。

止めども無く、溢れて来るままのレッスン模様、次回に続きます。

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