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2015年02月04日 (水) | Edit |

2015-02-01 015ed

論考『無意識に身体に背負い込んでいる筋緊張の影響について』

ストレスケアによる心の健康法や、脳科学に基づく心の健康法・治療法を指導する人々が、現在「マインドフルネス」と云うキーワードのもとで、活動を展開している。

具体的には、東洋的なヨーガや禅の瞑想法を取り入れた心のトレーニング(マインドフルネス)を利用し、うつ予防や心の健康に貢献するために、様々な研究実践がなされている。

最近では、IT関連の企業が、過激な頭脳労働によるストレスから来る「うつ」等の心身症を予防し、社員の心の健康を守るために、さらには企業の生産性を向上するために、マインドフルネス瞑想法を取り入れ、「マインドフルネス」が一挙に社会の注目を浴びるようになった。

私も近年、「マインドフルネス」関連の実践や研究を趣旨とする、日本マインドフルネス協会に関わるようになった。心理療法家や実践家、精神や心理に関わる研究者、産業カウンセラー養成事業者、心の健康のマネジメントに関わる企業人など、様々な顔ぶれが、人々の心の健康に寄与するために努力を重ねている。

私自身は、演劇(演技)トレーニングに於ける、「からだとことば」の問題を長年にわたり実践研究してきたものであるが、心身のトレーニング法として「野口体操」や「禅」、また師匠にあたる竹内敏晴から「からだとことばのレッスン」の指導を受けてきたことと、友人に紹介された「マインドフルネス」の実践法との間に親和性を感じ取り、協会の活動に関わりを持ち始めた。

「マインドフルネス」との係わりは3年ほどになるが、私の専門としてきた「からだ」の立場から、協会の専門家の人達に問題提起をしておきたいと思い、この文章を書いている。

それは、「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が、生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」という観点の一般的な欠如である。筋緊張とは、筋肉の緊張弛緩と言う、非常に物理的具体的そして単純な現象であるが、それが生体に及ぼす影響に関しては、多くの研究者の眼差しに入っていないことに、協会の活動への参加の中で、私は最近気がついた次第である。

人間の精神を解明するための現代医学的知見や、様々な心理学的解釈に立った心身観、そこに連なる研究実践などには目覚ましい意見が協会の中で共有されているが、「いま現実にここでこうして生きている「私」」という観点が、協会の集まりの中で見えてこない。私が私の考えを提起することで、微力ながらも新たな視座を協会の中に作り出すことが出来ないかと思案し、以下の私観を述べさせていただく。

◎「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が、生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」

「無自覚に」と云うことは、日常的な観点には入らない。意識には上らない、ということである。決して非意識や無意識と言う観念的な言ではない。一般に、意識は自己の全てを把握し監視を出来ている、もしくはそうしなければならないように、思いこんでしまう傾向が強いが、例えば内臓の働きや筋肉の一つ一つの動きを自覚することは、意識には出来ない。(トレーニングによってある程度まで可能ではあるが)

私は「野口体操」の「寝ニョロ」という運動を応用して、「脱力」のワークを指導している。その課程はシンプルであるので、少々お付き合い願いたい。

【実技1:下肢の脱力ワーク】
①先ず、一人の人(「受け手」と呼ぶ)が床の上に仰臥し、眼を閉じる。②受け手は、仰臥したまま、左右の脚に注意を向けて、それぞれの脚の感じを意識してみる(眼は閉じたままである)。このとき介助者も、受け手の左右の脚の印象を見比べる。(ビフォー)③介助者が正座をし、自分の膝の上に相手の左脚を載せて転がす。転がしているうちに筋緊張がほどけてくるので、介助者の側で「脱力」が感じ取れたら、受け手の脚を丁寧に床の上に戻す。④「②」と同様にお互いに左右の脚の印象を比較してみる。(アフター)⑤同様に右脚についても脱力ワークを行う。

②の時点(ビフォー)では、怪我等による変形の無い限りは、左右の脚の感じに大きな違いはない。質的な印象もそうそう違いが無い。ところが④の時点(アフター)、左右の脚の実感に思いがけない差が出る。

例えば、受け手からは右脚が「軽くなった感じ」「柔かくなった感じ」(受け手は眼をつむって答えているので「感じ」が語尾につく。以降省略)「柔らかくなった」「暖かかくなった」「伸びた」「長くなった」「スッキリした」「楽になった」「自分の脚ではなくなってしまった」。各自各様、右脚が「脱力」したことを、それぞれの感じ(イメージ)として語っている。一言でいえば、筋緊張からの解放感なのだが、その受け取り様はさまざまである。

では、まだ「脱力」していない左足の感じも尋ねて見ると「硬い(感じ)」「短い」「重苦しい」「中までギュッとしている」「気持ち悪い」「枯れ枝みたい」「ぎこちない」「自分の脚の感じ」「詰まった感じ」「ふつう」等など。介助者が、左右の脚から看取る印象も様々であるが、ほとんどは受け手と同様の感じを持つことが多い。

長々と実技を述べたが、ここで考えたいのは、②ビフォーの時点では、受け手にも介助者にも、両脚が緊張しているという意識(認識)がないということである。仰臥していて少々腰に痛みがあるとか苦しいとか、また人前で気持ちが緊張すると感じることはあっても、筋緊張によって脚が硬直しているとは、思っていない。

これが、③の「脱力」体験を経て、④アフターに至り、左脚の筋緊張が脱力した状態を意識することで、通常の身体(この場合に右脚)が、筋緊張で満たされていたことに「気付く」ことが出来たわけである。

これが先の「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が」の意味である。意識自体には筋緊張状態を認識することができない。つまり、通常、私達の意識は、自らの身体に内在する筋緊張を知覚し認識することが出来ないのである。

筋緊張の影響について別の観点から考察すれば、緊張した筋肉は、その硬直によって周辺の知覚能力をブロックする。筋肉内や筋肉周辺の神経・知覚器官を物理的に圧迫し、その部分の知覚能力を低下させる。意識の側から見れば筋緊張の情報は消滅し認識不能になる。

同時に血管が圧迫され、血液循環は阻害される。要は、筋緊張によって、その周辺の生体反応は低下する、鈍麻するのである。素朴に言えば、組織・器官が自分で自分の首を絞めている状態で有りながら、意識的な自覚が無いために、何か憑き物にでも襲われたような憂鬱な気分を感じる状態である。

これが「生体に重大な負荷を掛け」である。「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張」と、それが「生体に重大な負荷を掛け」ることが、無自覚に意識することなく身体の中で進行すれば、当然何が起こって来るかはもうご想像がつくと思うが、ここでは、もう少し「脱力」のワークについて話しを進めてみたい。

【実技2:上肢の脱力ワーク】
実技1とおおよそ同様である。①受け手は、床の上に仰臥し眼を閉じる。②受け手は、仰臥したまま、左右の腕に注意を向けて、それぞれの腕の感じを意識してみる(眼は閉じたままである)。このとき介助者も受け手の左右の腕の印象を見比べる。(ビフォー)③介助者が受け手の右腕を床から持ち上げて、水平に捧げ持ち、赤子を抱きあやすように、上下に優しく揺らす。揺らしているうちに筋緊張がほどけてくるので、介助者の側で「脱力」が感じ取れたら、受け手の右腕を丁寧に床の上におろす。④「②」と同様にお互いに左右の脚の印象を比較してみる。(アフター)⑤同様に左腕についても脱力ワークを行う。

ここでは詳細の説明は省略するが、さらに四肢以外の胴体や頭部も含めて、ビフォー・アフターの実感(気付き)を重ねながら、介助者の手を借りて「からだ全体の脱力」を深めていく。意識は無自覚の筋緊張の存在を認め、自らそれを解除することに協力することが可能となる。無自覚のまゝでは、協力のしようが無かったのである。

さて、このようにからだ全体の脱力を進めた結果、何が起きてくるか。先ず心理的には「安心感」「安堵感」である。「母に抱かれていたころの、懐かしさを思い出した。」と感想を述べた人がいた。「仕事場から持ち込んだイライラが消えてしまった。」「来る時には落ち込んでいたのに、いまは大丈夫。」・・・。身体的には、「スッキリした」「楽だ」「軽くなった」「背が伸びた」「動くのが楽だ」「肩こり腰痛がなくなってしまった」などの解放感。意識としては、「視野が広くなった。」「周りが良く見える。」「周りが明るい。」・・・。等々。

ここでは、脱力ワークの効果云々を述べるつもりはない。そうではなく、「生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」ところの
「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張」からの開放が、身体感覚のみならず、心や精神をも活性化する、その事実を知って欲しいからである。

素朴に言えば、無自覚の筋緊張に気付き、生体の頸木となっている緊張を解除すれば、生体本来の治癒・調整力が十分に発揮され、心身(精神(腦)と肉体)は自ずからその恒常性を保たれるのである。現代の医学や心理学は筋肉と云う存在を、脳や神経の働きの低位に置いて見ているような気がしてならない。また、運動学でもこのような事柄に関しては興味を持たない様である。

そのために、心と身体の様々な治療法やストレスケア技法に於いて語られる「緊張」という言葉の中から、この部分だけがブラックホールのように、抜け落ちている印象を私は持っている。

繰り返しになるが、専門家だけではなく一般にも「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が、生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」ことが見えていない。この単純な事実に目を向けてほしいと思い、悪筆を重ねた次第である。

補遺 「怒り」は感情(心)の問題であると同時に生体の生理的反応でもある。そして私達が「怒り」の感情に襲われたとき、それを抑制するために、ほとんど無自覚であろうが、筋緊張による姿勢のコントロールに拠って生理的反応を押し殺している。例えば煮えくり返るハラワタの動きを、筋緊張によって圧しとどめることで、「怒り」(情動=内臓の動き)を無自覚に抑制・抑止している。ストレス状況に対する「怒り」とその抑止が繰り返されると、その緊張状態は常態化(抑圧)し、生体の維持機能を障礙し、脳や内臓のダメージからの復元力を低下させる。またこの対情況的な筋緊張のパターンは、脳の記憶領域に書きこまれ、相似のストレス状況に晒される度に、無自覚自動的に情動と筋緊張を発動するようなる。(筋緊張と情動の相関に関しても、考察を行うべきであるが、今はこの程度に補遺することに留めておく)


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