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2015年01月21日 (水) | Edit |

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一人一人の声を、みんなで順番に聞いていきます。「誰か「らららあ~」の声を出して下さい。」みんな困って顔をキョロキロ見合わせています。

たまたま私と眼のあった人を指名します。照れくさそうに立ちあがって、声を出しはじめました。「ら・ら・ら・らぁ~~ぁ~~」けれども、直ぐに声を出すのを止めてしまいます。「声を出したけれど、次はどうしますか?」と眼で問いかけてきます。

「もう少し長く、繰り返し声を出して下さい」当人はこんなことに何の意味があるのだろうと当惑した顔をています。それでも「らららあ~」と繰り返します。ところが声を出しながら、「こんなことで良いのだろうか?」「どうすれば良いのだろうか?」と考え込んでいる模様です。周りのみんなの眼差しも気になるようで、視点が定まらない。声を出すことに集中しきれていないようです。

「あの人に向かって、声を出して下さい」。誰かもう一人の人に、4メートルくらい離れたところに立ってもらいます。その人に向かって「らららあ~」と声を出していきます。声をとどける対象がはっきりしたからでしょう、相手を見て一処懸命に声を出しています。

「声を聞いていてどんな感じでしたか?」と相手(聞き手)の人に聞いてみますと、「どんな感じがしたかと聞かれても困るけど・・・。とっても頑張っているのは分かるのですが、力づくな感じです。ちょっと辛そうで、聞いていると苦しい感じがします。」声を出している人(話し手)に聞いてみると「自分では、ただ声を出しているだけで、どんな感じと云われても、よく分からない」といいます。まわりで見ている人にも聞いてみると、みんな要領を得ないという顔。

質問を替えてみました。「あなた(聞き手)のところまで、相手(話し手)の声が、届いていた感じがしていましたか?」(ささきほどの発声を)ちょっと振り返って考えてから「声は良く聞こえていたました・・・」でも届いていたか?と云われると「私のところへ届いていたという感じはありません」むしろ「あちら側、声を出している人のところで、声が止まっている感じでした」みんなもああそうか!と云う表情。

声を出した本人に聞いてみると「(云われていることが)自分では良く分からない」と云います。そこでもういちど「らららあ~~~」と声をだします。すぐ驚いたように声を止めました。「ホントだ!」本人も、自分の声が相手に向かっていないことに、声を出そうとした瞬間に、ハタと気が付いたようです。ようやくレッスンの意味が呑込めたようです。ちゃんと声を届けなければと、真剣な眼差しでさらに力を込めて、相手に向かって声を出し始めました。「らららあ~」。相手もまわりで聞いているみんなも、どうなるのかと耳を澄まして真剣に魅入っています。

「こんどはどうでしたか?」声を出した当人は、「さっきよりは良いと思うのですけれど、、、ちょっとまだ良く分かりません。」聞き手の人は頷いて、二人の間の空間を指さし、「そこのくらいまで(二人の中間まで)、声が届いてきました」。あなたの所へは?「私のところへはまだ届いていません。」まわりの人もホッとして、顔がゆるみます。みんな声が見えてきたようです。

「あなたは、声を出すときに自分の(頭部の)中で、声を響かせているようですね。そして相手に向かって声を届けようと、喉や胸に力を込めて、自分の中の響きを強く大きくしようと一所懸命になっているように見えます」と私。

さらに、「注意が自分の中(頭部)の響きに向かってしまっていて、相手に集中ができていません」、「こんどは、声を出そうと頑張らないで、向こうの人(聞き手)に向かって「息」を届けるつもり」で声を出してみて下さい。

「息を届ける」と云われて、どうすれば良いのか、当人は戸惑っているようです。それでも考えていても仕方ないというように、思い切って声を出しはじめました。声とともに吐き出した「息」を相手に届けていくつもりで「ららららあ~。」

私は二人の間に入り、「声(息)がここまで届いていますよ」と手のひらで指し示します。手のひらを追って(話し手の)声が前に前にと、押し寄せてきます。私は少しづつ相手(聞き手)の方に歩を進めながら、声の焦点を導いていきます。ときどき話し手の集中があやふやになって、声が戻ってしまうと、手を振って意識をこちらへと促します。

ほんの僅かでも気を抜くと、注意が自分のほうへ戻ってしまい、声が引っ込んでしまう。集中を支え、一生懸命向こうへ、相手の方へと意識を差し向け続けます。

とうとう聞き手(相手)のところまで声が届きました。聞き手の人が、両腕でで大きな輪を作って頷き、ようやく緊張から解き放たれたという笑顔を見せています。周りからは拍手が聞こえてきます。声を出していた当人は、一世一代の仕事を為し終えたというような、上気した表情で、目を丸くしてみんなの様子を伺っています。

「声が(外に)出ましたね。相手に声が届きましたね。いま、声が出たときはどんな感じでしたか?」と私。「やっぱり良く分かりません。ふだんこんな声の出し方をしたことがありませんから。それに声を出している実感が無いのです。」と頼りない返答。周りの人からは「そんなことはないでしょう。とっても良い声が出ていましたよ」と励ましの声。

「さあ次の人に行きましょうか?」と話し手と聞き手をほかの人に交代です。

    *    *    *

骨導といって、骨を通して響いてくる声を聞いて、自分の声をコントロールしている人が結構います。自分の頭の中で大きな音(声)が鳴り響いていることが、相手方にとっても大きな声が出ていると考えている。思いこんでいるわけです。

そのため、相手にちゃんと声を届けようとすると、注意が、自分の中の響きを強くはっきりすることに向かってしまいます。相手にしてみれば、声は良く聞こえているけれど、自分の方へは注意が向いていないので、声を聞いていると単調で押しつけがましい印象を受けてしまいます。

また当人も、声を出すために無理な緊張をしているので、長く話していると草臥れてしまいます。話をすることが億劫になります。自分を駆り立てないと話しが出来ない。

そのような人が、前述のように相手に声を届けることが出来たときには、自分の(頭の)中で鳴り響いていた声が、自分の外に響き出していってしまい、自分の中の響きの実感が無くなってしまいます。つまり、声を出している感じ(自分の実感)が消えてなくなり、空っぽになり、「自分で声を出している感じ」が持てなくなります。前述の発声者の言った「声を出している実感が無い」がこのことです。

発声時に、「声が良く出ているときには、自分が声を出しているという実感が無くなる」これが、声のレッスンをしている時の難しさです。人が深く行為に「集中」した時には、自分という実感は失われます。「集中しようとしている自分」(努力している実感)が消えてしまいます。「集中」することの難しさがここにあります。(注意=緊張、集中=開放ですので)

文章書きが不得手な私の文章修業(中)、少しばかりスッキリして来たかな?次回も「レッスン模様」つづきます。

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