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2015年01月11日 (日) | Edit |

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二人組ペアに戻ります。相手に床に寝てもらい、左足の親指を軽くつまんで、左右に小さく振るわせます。取るに足らないほどの、小さな力で親指を動かしているのに、足先から頭の天辺まで、さざ波が立つように揺れうごきます。「気持ちいい!」つぶやきが何処からか聞こえてきます。

ほかの人達も、からだに波が伝わり、ユラユラユルユルしています。初めての体験なので半信半疑で慎重になっていたのが、波が伝わるうちに緊張が解けていく。子供に帰って玩具で遊んでいるみたい。水風船や氷嚢、食べ物ならばプリンのようなフニャフニャな物を、手のひらに乗せてプルプル揺らしているような感じです。ちょっとの揺れだけで、からだは余韻でユラユラします。

(野口三千三先生は「生きている人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」というイメージ(流体的身体観)に基づいて、野口体操を研究開発しました。一般的常識的に私たちは、「骨格と筋肉で固められた構造物の中に、臓器が収められており、血管や神経の配管によって生命活動が維持されている」というような、機械的なイメージ(固体的身体観)で身体を扱うことが多い様に思います。「からだとことばのレッスン」の「からだ」は流体的身体観としての身体です。平仮名で「からだ」として、機械論的な身体と区別をしています。)

こんどは、寝ている相手の片脚を、横から自分の両膝に乗せてコロコロころがします。持ち上げるのは重いけど、膝に乗せてしまえば力はいりません。脹脛(ふくらはぎ)の筋肉も太ももの筋肉も力が抜けているので、小さな力で軽くころがすだけです。つき立てのお餅のように柔らかく、フルフルユルユルと揺れはじめます。

さらに、足首を回したり、脚の付け根(股関節)を回したりしてから「如何ですか~?」と聞いてみると「いや~、気持ちいい!」と相手はゆったりとした笑顔。

脚を膝から床にそっと下し、もういちど親指をつまんで揺らします。波の伝わり方が変わっています。細やかに滑らかに、ふっくらとして透明感のある脚の中を、波の伝わりが通り抜けています。はじめのときは、まだ力が入っていたのですね。

手を休めて、左の足と、まだ揺らしていない右足とを見比べてみます。「あれ!足が長くななってる」「真っすぐに伸びた」。他の人たちからも「(揺らした左の脚の方が)床にべったりくっついてる」「スッとしてる」「明るい印象」・・・。まだやっていない方の脚は、「固くて重々しい」「曲がった枯れ枝みたい」「靄がかかって薄暗い」「普通」・・・。じつにさまざまな受け止め方をしている。けれども云いたいことは良く伝わります。ちょっと揺らすだけで(からだの力が抜けて)、こんなにも変わるんですね。

寝ている相手に「如何ですか?どんな感じですか?」と聞いてみると、(眼を閉じたままですが)「軽い感じがする」「伸びた」「スッキリ」「自分の脚じゃないみたい」「動きたくなる」「プチプチしてる」「(脚の中が)流れてる」「気持ち良い」・・・。反対側のあしは。「固い」「重い」「自分の脚の感じ」「力が入っている感じ」「(緊張が気持ち悪いので)早く反対の脚もやって(笑)」・・・。

(力が入っている(緊張)状態と、抜けた(リラックス・緩んだ)状態を、自分のからだの中で、感じ分けるられることが、からだの(こころの)緊張をほぐしていくための、前提条件です。このレッスンの始まった時点では、自分の足・脚が緊張していると、ほとんどの人は思っていなかったことでしょう。
緊張すると、神経が締め付けられて、感じる働き(感覚)は鈍くなります。そして、その鈍くなったままの状態が、意識にとって日常的で当たり前のことになります。緊張していることが感じられないと、緊張を何とかしようとするからだの自然の働きが、不快感やイライラとして、心に昇ってきます。
力を抜くことは、からだの感受性を育て直すことです。幼い子供のような豊かな感受性を自らのからだの深みに発見し直していくことです。感受性を育て、自分のからだの言い分に耳を傾けることができるようになれば、行動は生き生きとして来る。ストレスへの対処も自然とできるようになります。マインドフルネスです。)

反対側の脚も力を抜いていきます。脚だけではなく。胴体から腕や首まで、丁寧に揺らして、緊張をほどいていきましょう。

次回「からだとことばのレッスン模様」へと続きます。

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