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2014年06月04日 (水) | Edit |

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「脱力」のこと

理解しているようで、一般に、本当にはよく分かっていないのが「脱力」=「力を抜く」です。

「脱力」とは、筋肉や体組織の緊張を感覚的集中によって消去することであり、筋肉の意志的な伸縮運動であるストレッチやヨガとは筋緊張へのアプローチが異なります。

身体の部分に意識を集中し、そこに起きるてくる身体内の動きや変化に感覚を向けることで、身体の緊張がほどけて来ます。

呼吸を考えてみます。まず呼吸は全身運動です。身体は大気圧の中に浮かぶ水玉のようなものであり、息の出入り(呼吸)による水玉内の気圧(身体内圧)の変化は、身体の隅々にまで伝わります。肺や胸腹が動く(運動する)だけではなく、脚や腕の指先まで、普段は意識しないような微細な変化ではあるけれど、呼吸運動に伴って、圧縮されたり解放されたりと、全身の細胞が受動的に運動させられます。もちろん筋肉も受動的な伸縮運動をすることになり、ある意味呼吸は全身の非意識的なストレッチ(伸縮)運動になるわけです。

けれども、その微細な変化(伸縮運動)は、普段は意識に上ることはありません。私達の意識の分別能力は、非常に粗い網の目のようなもので、微細な運動(動きの)変化はその荒い網の目を素通りしてしまい、意識によって掬い取られ感知されることはない。集中とは、その微細な変化への感受能力を高めることです。職人が機械ではかなわないような、繊細微妙な手作業によって物作りができるのは、この種の集中力によるものでしょう。

始めのころは、意識の目の粗さに囚われて、微細な変化を感じ取ることは難しいのですが、時間をかけて繰り返し身体の様々な部分の感覚に集中をする(注意を置く)練習をすれば、意識の感受能力は回復し、より細やかに身体内の変化を意識することが出来るようになります。

それは同時に、意識(記憶)に書き込まれた自己の身体地図(イメージ)からの開放をもたらします。意識は既に決定された自己実感(実体感・個別の身体イメージ)を保とうとする働きを持ち、意識が働いているときは、無自覚ながらもその指令によって身体に緊張を強います。(全身麻酔をかけると身体が完全に脱力するそうです。意識の指令をストップした結果です。)

深い休息とは、この意識の働きからくる緊張を取り去らなければなりません。身体内の繊細微妙な変化に集中し意識するということは、日常的な自己に実体感を与えている目の粗い意識による緊張束縛から、身体を開放する(手放す)ことになります。

その結果、微細な伸縮運動が、自在に活躍し始める。自己実体感という身体を固定する型枠を外せば、呼吸による筋肉や内臓、全ての身体器官、細胞までが、内圧の変化による伸縮運動をはじめます。体組織の強張りが解かれ、緊張感が消去していきます。

そこに生まれてくる実感(身体感覚)は、「スッキリした」「気持ち良い」「軽くなった」「無くなった」「伸び伸びした」・・・。一般に力を抜いた結果を「だらりとした」「ぶらぶらした」「ぐったりした」「ぐにゃりとした」と云い現わすことが多いようですが、「脱力」の場合はこれとは異なる、開放感を伴う身体実感が生まれて来ます。

もう一点、「脱力」に関して重要な観点があります。呼吸によって伸縮運動を受け緊張から解放された体組織に、整序を与えバランスを整える働きは、重力によるものです。地球の中心と地球上の存在を結びつけるのは重力でです。身体組織が安らぎ、更に深い「脱力」を可能にする力は、地球の重心から天頂に向かう鉛直線(垂線)が重要な意味を持つ。身体組織は、鉛直船に沿って働く重力によって引き下されます。

実際の「脱力」は、初めての場合、床に仰向けに寝た姿勢で行います。呼吸による伸縮運動で柔軟性を得た体組織は、重力によって鉛直方向に引き降ろされます。卵の殻が割れてその中身が床に置かれるように、身につけた外殻が消え去り、身体は重力によって、床にぴったりと吸い付くように、さらに床と身体の一体感に溶け込んでいくように変容します。自分という、外部と自己を分ける実体感は消え、世界に包容されたような安心感に満たされる。意識は監視者としての役目を離れてクリアーになります。

この呼吸と重力・身体組織との交流関係の中で、私達は生きている。(生かされている。)その理解の前提の中で「脱力」のレッスンは進められます。

「脱力」についての説明は大変に難解かもしれませんが、実際はとても単純な運動です。始めは二人で協力して行うことが多いです。これらのことが、自分の中で実感として捉えることが出来るためには協力して行う方が分かりやすい。基本が分かってくれば、坐ることも、立つことも、歩くことも、、、日常動作の全てが「脱力」の機会として捉えることが出来るようになります。

以上、身体のことばかりで、心のことには触れていませんが、心の苦しさは、心と身体の一体感を忘れたところから生じる不安に由来しています。身体の感覚を育てることは、心を育てることでもあります。それはそれで、丁寧な説明が必要かもしれませんが、いまはこれまで。

最近、アメリカから輸入された「マインドフルネス」という瞑想や坐禅によるストレスケア法が、話題になっていますが、これは東洋や日本古来の坐法と呼吸法を応用した技法のようです。その基本的な意味付けは、以上の様なことだと、私は思っています。

せとじま


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