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2014年03月07日 (金) | Edit |

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 「身体が硬い人なんて一人もいません。誰もがみんな身体は柔らかくできています。」と私はよくワークの中で話をします。

 ワークの前に、参加者の雑談に耳を傾けていると、「私はからだが硬くて」と云う声が聞こえてきます。テーマが「からだほぐし」ですから、そんな話題が出てくるのでしょうが、私はその言葉を聞くたびに内心、「チョットなァ~」という気分。

 いわゆる柔軟体操やストレッチでは、身体は固いものだから努力して柔らかくしなければいけない、という考えが大もとにあるみたいです。ヨガでも身体が硬くてポーズがとれないなどと云う声を良く聞きます。

 もともと固いのが身体だから、身体が柔かい人は特別で、それだけで偉い・凄い、自分も努力しなければと思っている人が、ほとんどですのようです。

 その結果として皆、身体の固さのほうばかりに、意識が囚われてしまいます。身体の柔らかさには目もくれなくなります。

 力が抜けるというのは、ちょっと分かりずらいかもしれませんが、柔らかさの「感じ」が自分の身体の中を満たすことです。自分の中の柔らかさが硬さを溶かし、清々しい解放感が身体を満たすともいえます。(可動域が何度などというのはあまり関係ありません。)

 そのためには先ず、柔かさ=緊張からの解放感を体感しなければならないのに、何かと云うと硬さの実感ばかりに注意を囚われ、自分は硬いと決めつけて諦めてしまう。自分は硬い、だから出来ないという言い訳を無意識にしているわけです。

 自分の身体の内側に感じる柔かさ、それは小さな部分的なことでも構いません。柔かさを感じながら、それを無視したり置き去りにすることなしに運動や体操(もちろん生活動作も)をしてみてください。少々時間はかかるかもしれませんが、身体を動かすことの内側から溢れてくる楽しみや喜びが、分かってくると思います。もちろん心も、緊張へのこだわりから自由になります。

 たとえば、マラソン大会で、自分に打ち勝つために緊張努力してゴールを目指すのではなく、ゴールに至るまでの過程を力を抜いて楽しんでほしいとおもいます。その楽しみがわかれば、もっと楽しむためには途中でゴールを変えてもいいんです。

 相手の身体を硬い物として見るか、柔らかい者として見るかによって、他者との係わり方も変わってきます。硬い他者と硬い自分が一緒にいては、気持ちや感動が流れあうことはありません。自分も他者も柔らかいと思えば、おおらかで柔軟性に富んだ、人間関係が始まります。ストレスなどそこにはありません。

 「柔かさの眼差し」は、自他を世界を変えていく手がかりかもしれません。「身体が硬い人なんて一人もいません。誰もがみんな身体は柔らかくできています。」とは、私自身のワーク(野口体操・ZEN体操)での体験によって実感されていますが、皆さんはそこは嘘でもいいですから、「私もあなたも、からだは柔らかい (⌒‐⌒)」と心の中で唱えてみてください。あらたな眼差しが育ってくるはずです。

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