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2014年12月03日 (水) | Edit |

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日本マインドフルライフ協会さんより、定例会講師のお誘いを受け、先日ワークショップを実施してきました。
準備を進めるなか、「私自身にとって、マインドフルネスって何だろう?」と、繰り返し考えさせられました。
その整理の過程で、私のこれまでの体験を書き出してみました。

もう、30数年前の出来事、時を経たからこそ、言葉にできることも在るように思えて来ています。
私にとっては楽しい振り返りの機会になりましたが、読んでくれる皆さまにとっては意味があるかどうか分かりません。
長文になりますが、以下。

私の「からだ」体験【1】(内観体験) 2014.11.28

82年春、私は中学校の教員になりました。新任ということで、担任を持たずに中学一年生の理科の授業の担当。私が24歳のころです。

大学時代、ろくに勉強をせずに、自身の適正を考えた事も無かった私は、ただ教員試験を通るためだけに、ペーパー上(机上)でのみの勉強をして教職につきました。

教科の指導法も、生活指導の方法も、教師の職務についても、現場の知識を全く持たない、また指導体験もないままに、学校に飛び込んだ訳です。

惨憺たるものでした。生徒を授業に集中させることが出来ず、教室は混乱状態、騒ぎを聞きつけてベテランの教師が教室に飛び込み指導をすれば、生徒は静かになります。けれども教科の指導はしどろもどろ。当然生徒は授業が分からない、つまらない、そわそわし始める。近年、学級崩壊という言葉が話題となっていますが、授業崩壊状態でした。

授業の進度はどんどん遅れていく。帰宅し授業の準備をしようと机に向かっても、疲れ果て睡魔に襲われ、頭が働かない。準備ができていないから、さらに授業は荒れる。他の教職員の眼差しが厳しくなる。針の筵に坐らされるとはこのことでしょう。

日に日に身動きが付かなくなってなって行きました。何もできない。息を抜けるのは帰宅途中に酒を煽るだけ。そうこうするうちに夏休みを迎えました。

本来ならば夏休みのうちに、教科指導や生徒指導の勉強をするのが当然でしょうが、そんなことを考えることもできない程に余裕を失っていました。教員としての知識や技能の欠如に問題のあることに考えが及ばず、むしろ自分自身の人間性やコミュニケーション能力に問題があると考えました。

そこで浮かんできたのが、学生時代に本で知った「内観療法」でした。「自分が変わらなければならない」と云う思いから、奈良の大和郡山内観研修所にお世話になったわけです。

「内観」とは、畳半畳のスペースを屏風と壁で区切り、その中に入って自分を見つめる心の修養法です。「母にしてもらったこと」「母にしてかえしたこと」「母に迷惑かけたこと」の課題を、心の内で繰り返し思い起こします。研修所での一週間、自分の過去を、子供時代をスタートに現在までを二年間ずつに区切って、就寝時以外上述の課題を心の内で調べ続けます。

結果から言うと、全くの惨敗でした。課題に集中しようとしても、頭がぼんやりしたり、眠気が襲ってきたり、関係のない考えが頭の中をぐるぐる廻ったり。坐っているのが苦痛になり、横になりたくても半畳の広さでは横になることも出来ない。

二時間毎に、指導の吉本伊信先生が屏風を開き、内観の進展を尋ねに来てくれるのですが、「母にしてもらったこと」「母にしてかえしたこと」「母に迷惑かけたこと」という単純な課題に答えることが出来ない。「ご飯を作ってもらいました」「ありません」「分かりません」等と答えるしかない。いくら考えても答えが出ません。それでも先生は、優しい笑顔で励ましの言葉をかけ、内観への集中を促し、屏風を閉めます。

そのうちに、二時間何もせずにぼんやりと過ごし、先生が訪れる直前になって記憶の断片を継ぎ合せて、「遠足のお弁当を作ってもらいました」「お土産を買って帰りました」「準備に苦労をかけました」などと答えをでっち上げる始末です。

しまいには、あまりに課題に集中できないことが心苦しくて、先生が訪ねてくるのが怖くなりました。教員の仕事の場だけではなく、ここでも針の筵に坐らされた気分で、誤魔化し誤魔化し、何とか一週間をやり過ごしました。

一週間の研修の後、指導をされている吉本伊信先生を囲んで研修生全員が体験を語り合うのですが、私は「何も変わりませんでした!」と報告しました。吉本先生は、何も言わずに優しい微笑みでその言葉を受け止めてくれましたが。

何の解決もないままに、二学期が始まりました。生徒にとって中学一年生一学期は小学校の延長で、教師集団に頭ごなしに抑えられてきたのですが、夏休みに解放され悪さも覚えて、学校の中ではガラスを割ったり、教師に楯突いたりと、様々な問題を起こします。秋は運動会などの行事も多く、目まぐるしく過ぎていきます。

私は相変わらず、授業の工夫に全く手がつかず、行き当たりばったりのいい加減な授業で日々を凌いでいました。この時期、学校全体が荒れて授業が成り立たないのは私だけの問題ではなく、何とか生徒を落ち着かせようと、生活指導に多くの時間が割かれていました。そのため、私の教師としての未熟さは、取り沙汰されることがありませんでした。

何がなにやら分からぬままに、冬休みを迎えました。振り返れば相変わらずで、教えなければならないことがたくさん残っている。教科書の進み具合を見れば、とても年度内には消化できそうもない。授業中、生徒は私の前でこれぞとばかり自由勝手に振舞い、手におえない。生徒だけではなく、教員集団ともコミュニケーションが取れずに、内心の孤立感が募るばかり。

「自分が変わらなければ!」と、ふたたび思い浮かんだのが「内観」でした。前回、何も得ることのなかったけれど、自分にはそれしか無ように思える。「今度こそ何とかしなければ!」と、再び奈良にある内観研修所に参加を申し込みました。

いま落ち着いて考えれば、今度こそ、研修会などで、生徒指導や、教科の指導法を学ぶべきだったのでしょうが、余程思いつめて状況が見えなくなっていたのでしょう。針の筵なら痛みをこらえれば身動きくらいは出来るでしょうが、にっちもさっちも行かないと云う言葉そのものに心が固まってしまい、自分が身動きが付かなくなっていることさえ分からなくなっていたのだと思います。すがりつくようにしてふたたび奈良の内観研修所へと向かいました。

前回と同じく、畳半畳の屏風の裡にこもり、小学校低学年のころに「母にしてもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」を、心の中に調べます。

二回目の参加ということで、子供時代の記憶に印象深く残っていることは、だいぶ整理がついています。思い出せるシーンを手がかかりにして、記憶の狭間を埋めていくようにして、母との出来事を思い出そうと努力します。母に手をとられて耳鼻科に通ったシーン。母に勧められた剣道の稽古を内緒でサボって友人と遊びほうけていた思い出・・・。

けれども考えれば考えるほど、母に対する内観は記憶の表層を滑っていき、努力すればするほどに、記憶の闇が立ちはだかり、努力が押し返される様に肝腎な課題に答えることが出来ません。やはり睡魔に襲われたり、心があらぬ考えに囚われて内観を離れてグルグル回ります。楽しみは三度の食事のみ。待ち遠しくてたまりません。とても課題に集中しているとは言えない状態が続きました。

二時間ごとに吉本先生に報告する「母に迷惑かけたこと」も、差しさわりのない作り事を報告することしか出来ません。二度目参加の意味が無い、前回と同じではないか、切り上げて東京に帰ろうとまで考えました。一回目の内観よりも更に課題に集中できない日が続きました。課題を見つめる心は塞がり、就寝時以外は狭い屏風に囲まれて坐り続けで、寝転がることも出来ない身体に、身もだえしかできない苦痛。

そんな日が四日ほど続いたころ、小学校高学年の頃のことを内観していた時だったと思います。「自宅の、六畳間と一畳の台所が一つながりの、木造都営住宅。母が台所仕事をする姿を背に、私は畳にゴロリと横になって、テレビ番組に夢中になっている。」そんな光景が突然眼前に浮かんできました。捜していた記憶を思い出したというよりも、闇の中からシーンが浮かび上がって来た感じです。私は、母の視点から自分の姿を見ていました。「私のこんな態度を見ながら、母は何も言わずに(家事を)やっていたのか!」と申し訳なく思う刹那、羊水が破れだすように、涙とともに「ありがたい、ありがたい・・・。」という言葉が、からだの中から溢れ出してきました。

涙ながらに、涙をすすり上げながら、吉本先生に「母にしてもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」を報告しました。

最終日の体験報告会では、こんな自分を一言も否定することなく信じて見守り、大切に育ててくれた母への感謝を涙ながらに述べ、吉本先生への感謝を告げて、研修所の門を出ました。

大和郡山駅に向かう商店街の路地を歩きながら、傍らを通り過ぎていく光景が、キラキラと輝いて目に映ります。閉ざされていた視野が開かれたのでしょう。足取り軽く東京へと向かいました。

新年が明け、その夏に結局、教員を辞職しました。母の期待を裏切り、また悲しい思いをさせての選択でしたが、いま思えば、内観研修所での体験は、迷いの中に沈潜していた私の眼差しを、自分自身が歩み出すべき方向へと開かせてくれたようです。

「私は身体的には母の子宮から羊水を破ってこの世に生れ出て成長してきたのだけれど、心の破水は大人になっても出来ていなかったのだ。」これが後に私が思った内観体験の意味付けです。

最後に、一つ補っておきたいのは、「内観」における身体体験についてです。
一週間のあいだ、睡眠時間以外、半畳(90㎝四方)の障子で限られた空間の中に、坐し続けることの意味です。

手足を伸ばすことも、からだを横たえることも出来ない情況で、何が起こってくるでしょうか。これは体験してみないと、分かり辛いことかも知れませんが、素朴に言えば、先ず身体的な苦痛です。お尻・背すじ・膝・首・・・等々、身体の痛みに襲われます。

その苦痛に身悶えを繰り返すなかで、意識的に記憶を辿る(心理的に思考をコントロールする)ことは困難になります。記憶を働かせようと思考に集中すると、身体の苦痛に引きずられて、課題(「母にして貰ったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」)とは異なる、あらぬ考えに巻き込まれたり、睡魔に襲われたりします。

記憶の糸を意識的に辿ることは出来なくなり、意識は痛みにひかれて、自分の身体の内部へと向かわされます。自然と「内を観る」=内観になって行きます。また、課題を考える・思い出すなど意識的に記憶を追いかけることが不可能になることで、眼差しも、頭部から自らの身体の内側に向かいます。

結果として、自らのからだの内側に、課題を問うことになる。それは、身体(痛み)と意識(心理)の狭間(あわい)にレンズの焦点を合わせるようにして、課題を問うことであり、結果として、その狭間から答えが浮かび上がってくる。

この心と身体の狭間(あわい)に集中することが、マインドフルネスなのだと思います。そしてそこから帰って来た答えが、気づきであると私は考えています。

心の痛みも身体の痛みも、どちらも大切です。ただしそれらを解決することを意図するのではなくて、その狭間=焦点のありかを明らかにするための道標として見た時に。

もうひとつ、マインドフルネスは人生の苦境を、人間的成長のチャンスへと反転させる意義を持つものだと私は期待しています。

人間と演劇研究所 主宰  瀬戸嶋 充 記
(日本マインドフルライフ協会定例会20141130に於けるワークショップ資料として記述)


若かりし頃の、このような体験を通って、「意識と身体」という日常常識的な世界の見方・感じ方の他に、「自分の内側の世界からの自己存在」という観点が、私のからだとこころの深みから開けて来たのだと、いまでは思っています。
この文章は、日本マインドフルライフ協会定例会での講演とワークショップと云うことでお誘いを受け、講演の下敷きとして文章にしてみたものです。しかしながら当日はこの文章を提示することなく、ワークショップ(実践体験)のみで終わりました。
私の役目は、何か役に立つ話しをすることでは無くて、参加された方がより深く自分自身を体験をしてもらうことなのだと思います。そして参加者の方には、そこでの体験を、自分自身との関わりを深める手がかりとして欲しいのだと思っています。

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