FC2ブログ
2015年02月04日 (水) | Edit |

2015-02-01 015ed

論考『無意識に身体に背負い込んでいる筋緊張の影響について』

ストレスケアによる心の健康法や、脳科学に基づく心の健康法・治療法を指導する人々が、現在「マインドフルネス」と云うキーワードのもとで、活動を展開している。

具体的には、東洋的なヨーガや禅の瞑想法を取り入れた心のトレーニング(マインドフルネス)を利用し、うつ予防や心の健康に貢献するために、様々な研究実践がなされている。

最近では、IT関連の企業が、過激な頭脳労働によるストレスから来る「うつ」等の心身症を予防し、社員の心の健康を守るために、さらには企業の生産性を向上するために、マインドフルネス瞑想法を取り入れ、「マインドフルネス」が一挙に社会の注目を浴びるようになった。

私も近年、「マインドフルネス」関連の実践や研究を趣旨とする、日本マインドフルネス協会に関わるようになった。心理療法家や実践家、精神や心理に関わる研究者、産業カウンセラー養成事業者、心の健康のマネジメントに関わる企業人など、様々な顔ぶれが、人々の心の健康に寄与するために努力を重ねている。

私自身は、演劇(演技)トレーニングに於ける、「からだとことば」の問題を長年にわたり実践研究してきたものであるが、心身のトレーニング法として「野口体操」や「禅」、また師匠にあたる竹内敏晴から「からだとことばのレッスン」の指導を受けてきたことと、友人に紹介された「マインドフルネス」の実践法との間に親和性を感じ取り、協会の活動に関わりを持ち始めた。

「マインドフルネス」との係わりは3年ほどになるが、私の専門としてきた「からだ」の立場から、協会の専門家の人達に問題提起をしておきたいと思い、この文章を書いている。

それは、「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が、生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」という観点の一般的な欠如である。筋緊張とは、筋肉の緊張弛緩と言う、非常に物理的具体的そして単純な現象であるが、それが生体に及ぼす影響に関しては、多くの研究者の眼差しに入っていないことに、協会の活動への参加の中で、私は最近気がついた次第である。

人間の精神を解明するための現代医学的知見や、様々な心理学的解釈に立った心身観、そこに連なる研究実践などには目覚ましい意見が協会の中で共有されているが、「いま現実にここでこうして生きている「私」」という観点が、協会の集まりの中で見えてこない。私が私の考えを提起することで、微力ながらも新たな視座を協会の中に作り出すことが出来ないかと思案し、以下の私観を述べさせていただく。

◎「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が、生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」

「無自覚に」と云うことは、日常的な観点には入らない。意識には上らない、ということである。決して非意識や無意識と言う観念的な言ではない。一般に、意識は自己の全てを把握し監視を出来ている、もしくはそうしなければならないように、思いこんでしまう傾向が強いが、例えば内臓の働きや筋肉の一つ一つの動きを自覚することは、意識には出来ない。(トレーニングによってある程度まで可能ではあるが)

私は「野口体操」の「寝ニョロ」という運動を応用して、「脱力」のワークを指導している。その課程はシンプルであるので、少々お付き合い願いたい。

【実技1:下肢の脱力ワーク】
①先ず、一人の人(「受け手」と呼ぶ)が床の上に仰臥し、眼を閉じる。②受け手は、仰臥したまま、左右の脚に注意を向けて、それぞれの脚の感じを意識してみる(眼は閉じたままである)。このとき介助者も、受け手の左右の脚の印象を見比べる。(ビフォー)③介助者が正座をし、自分の膝の上に相手の左脚を載せて転がす。転がしているうちに筋緊張がほどけてくるので、介助者の側で「脱力」が感じ取れたら、受け手の脚を丁寧に床の上に戻す。④「②」と同様にお互いに左右の脚の印象を比較してみる。(アフター)⑤同様に右脚についても脱力ワークを行う。

②の時点(ビフォー)では、怪我等による変形の無い限りは、左右の脚の感じに大きな違いはない。質的な印象もそうそう違いが無い。ところが④の時点(アフター)、左右の脚の実感に思いがけない差が出る。

例えば、受け手からは右脚が「軽くなった感じ」「柔かくなった感じ」(受け手は眼をつむって答えているので「感じ」が語尾につく。以降省略)「柔らかくなった」「暖かかくなった」「伸びた」「長くなった」「スッキリした」「楽になった」「自分の脚ではなくなってしまった」。各自各様、右脚が「脱力」したことを、それぞれの感じ(イメージ)として語っている。一言でいえば、筋緊張からの解放感なのだが、その受け取り様はさまざまである。

では、まだ「脱力」していない左足の感じも尋ねて見ると「硬い(感じ)」「短い」「重苦しい」「中までギュッとしている」「気持ち悪い」「枯れ枝みたい」「ぎこちない」「自分の脚の感じ」「詰まった感じ」「ふつう」等など。介助者が、左右の脚から看取る印象も様々であるが、ほとんどは受け手と同様の感じを持つことが多い。

長々と実技を述べたが、ここで考えたいのは、②ビフォーの時点では、受け手にも介助者にも、両脚が緊張しているという意識(認識)がないということである。仰臥していて少々腰に痛みがあるとか苦しいとか、また人前で気持ちが緊張すると感じることはあっても、筋緊張によって脚が硬直しているとは、思っていない。

これが、③の「脱力」体験を経て、④アフターに至り、左脚の筋緊張が脱力した状態を意識することで、通常の身体(この場合に右脚)が、筋緊張で満たされていたことに「気付く」ことが出来たわけである。

これが先の「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が」の意味である。意識自体には筋緊張状態を認識することができない。つまり、通常、私達の意識は、自らの身体に内在する筋緊張を知覚し認識することが出来ないのである。

筋緊張の影響について別の観点から考察すれば、緊張した筋肉は、その硬直によって周辺の知覚能力をブロックする。筋肉内や筋肉周辺の神経・知覚器官を物理的に圧迫し、その部分の知覚能力を低下させる。意識の側から見れば筋緊張の情報は消滅し認識不能になる。

同時に血管が圧迫され、血液循環は阻害される。要は、筋緊張によって、その周辺の生体反応は低下する、鈍麻するのである。素朴に言えば、組織・器官が自分で自分の首を絞めている状態で有りながら、意識的な自覚が無いために、何か憑き物にでも襲われたような憂鬱な気分を感じる状態である。

これが「生体に重大な負荷を掛け」である。「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張」と、それが「生体に重大な負荷を掛け」ることが、無自覚に意識することなく身体の中で進行すれば、当然何が起こって来るかはもうご想像がつくと思うが、ここでは、もう少し「脱力」のワークについて話しを進めてみたい。

【実技2:上肢の脱力ワーク】
実技1とおおよそ同様である。①受け手は、床の上に仰臥し眼を閉じる。②受け手は、仰臥したまま、左右の腕に注意を向けて、それぞれの腕の感じを意識してみる(眼は閉じたままである)。このとき介助者も受け手の左右の腕の印象を見比べる。(ビフォー)③介助者が受け手の右腕を床から持ち上げて、水平に捧げ持ち、赤子を抱きあやすように、上下に優しく揺らす。揺らしているうちに筋緊張がほどけてくるので、介助者の側で「脱力」が感じ取れたら、受け手の右腕を丁寧に床の上におろす。④「②」と同様にお互いに左右の脚の印象を比較してみる。(アフター)⑤同様に左腕についても脱力ワークを行う。

ここでは詳細の説明は省略するが、さらに四肢以外の胴体や頭部も含めて、ビフォー・アフターの実感(気付き)を重ねながら、介助者の手を借りて「からだ全体の脱力」を深めていく。意識は無自覚の筋緊張の存在を認め、自らそれを解除することに協力することが可能となる。無自覚のまゝでは、協力のしようが無かったのである。

さて、このようにからだ全体の脱力を進めた結果、何が起きてくるか。先ず心理的には「安心感」「安堵感」である。「母に抱かれていたころの、懐かしさを思い出した。」と感想を述べた人がいた。「仕事場から持ち込んだイライラが消えてしまった。」「来る時には落ち込んでいたのに、いまは大丈夫。」・・・。身体的には、「スッキリした」「楽だ」「軽くなった」「背が伸びた」「動くのが楽だ」「肩こり腰痛がなくなってしまった」などの解放感。意識としては、「視野が広くなった。」「周りが良く見える。」「周りが明るい。」・・・。等々。

ここでは、脱力ワークの効果云々を述べるつもりはない。そうではなく、「生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」ところの
「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張」からの開放が、身体感覚のみならず、心や精神をも活性化する、その事実を知って欲しいからである。

素朴に言えば、無自覚の筋緊張に気付き、生体の頸木となっている緊張を解除すれば、生体本来の治癒・調整力が十分に発揮され、心身(精神(腦)と肉体)は自ずからその恒常性を保たれるのである。現代の医学や心理学は筋肉と云う存在を、脳や神経の働きの低位に置いて見ているような気がしてならない。また、運動学でもこのような事柄に関しては興味を持たない様である。

そのために、心と身体の様々な治療法やストレスケア技法に於いて語られる「緊張」という言葉の中から、この部分だけがブラックホールのように、抜け落ちている印象を私は持っている。

繰り返しになるが、専門家だけではなく一般にも「無自覚に身体に抱えこんでいる筋緊張が、生体に重大な負荷を掛け、それが身体のみならず、心や精神の働きにも悪影響を及ぼしている」ことが見えていない。この単純な事実に目を向けてほしいと思い、悪筆を重ねた次第である。

補遺 「怒り」は感情(心)の問題であると同時に生体の生理的反応でもある。そして私達が「怒り」の感情に襲われたとき、それを抑制するために、ほとんど無自覚であろうが、筋緊張による姿勢のコントロールに拠って生理的反応を押し殺している。例えば煮えくり返るハラワタの動きを、筋緊張によって圧しとどめることで、「怒り」(情動=内臓の動き)を無自覚に抑制・抑止している。ストレス状況に対する「怒り」とその抑止が繰り返されると、その緊張状態は常態化(抑圧)し、生体の維持機能を障礙し、脳や内臓のダメージからの復元力を低下させる。またこの対情況的な筋緊張のパターンは、脳の記憶領域に書きこまれ、相似のストレス状況に晒される度に、無自覚自動的に情動と筋緊張を発動するようなる。(筋緊張と情動の相関に関しても、考察を行うべきであるが、今はこの程度に補遺することに留めておく)


2015年01月09日 (金) | Edit |

2015-01-09 001-ed

2001年(14年前)、北鎌倉円覚寺学生座禅会での、私(当時43才)の参禅体験です。長文になったので、三回に分けて掲載しました。参禅体験【一日目】は→こちら。参禅体験【二日目】は→こちらをご覧ください。
三日目です。本日一日を終えれば、明朝8時には開放です。

さすがに、痛みも痺れも気になりません。坐禅の姿勢をとることに、苦痛や不安はなくなりました。昨夜のことで、坐禅の集中の仕方も分かりました。けれども、その分余裕が出来たせいだと思います。「一炷」の時間が、ひどく長く感じられてきました。

一炷45分という時間が無限に引き伸ばされて行くようです。「終わりの時間はまだかまだか?」と心の中で繰り返し、線香の燃え進み具合が気になってしょうがない。もうそろそろだろうと線香を横目で見ると、まだ半分も燃えていない。これではいけないと、呼吸に注意を戻すのだけれど、すぐにまた線香に眼をやりたくなる。これでは線香依存症(時間依存症?)です。禁煙や酒断ちの、何ともいえない突き上げられるような不安感と一緒でしょう。

線香の誘惑から注意を引きはがし「息の数」(お腹)に注意を戻そうとすると、こんどは、明日からの仕事や生活の心配ごとが意識の中に膨れ上がり、親からの借金など、様々な対処法が考えに浮かんで来ます。駄目だと分かっていることが、何とかなりそうだと思えてきたりもします。

こうして考えごとに耽ってしまうと、こんどは眠気が襲ってくる。坐が崩れそうになる。姿勢をただし意識を呼吸(お腹)に戻すけれど、すぐにまた時間の経過が気になり出します。灰に埋まるようにしながらも、時間を飲み込むような顔をして、赤熱色の火を消さない、ちびた線香を見た時には、胸が詰まって苦しくて「早く終わりにして!」と叫びたいくらい。線香と妄想と眠気の無間地獄です。数息観に集中することが全くできません。

昨日までは、痺れや怒りや激痛といった直接の実感と向かい合うことで、自分の内側に向かって、手がかりとなる道筋を辿っていくことが出来ました。ところが今日は、手がかりがなくなってしまっている。猫がつるつるの傾斜面を登ろうとして、爪で宙を掻くように地面を引っ掻く感じです。掻いても掻いても斜面に手がかからず、やがて手を止めると、意識は蝋燭の燃え尽きる時間や、明日を思い悩む妄想へと、ズルズルと引きずり出され、お腹に注意を向けることができません。

そんなことを、3~4ラウンド(三~四炷)も続けていると、何かの拍子で、手がかりにヒョイと爪がかかる。手がかりに力を込めて意識を身体の内側へともぐりこませると、ようやく数息観に集中が出来る。一所懸命に「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」と呼吸の出入りを数えていると、呼吸の手ごたえが感じられて、息が深くなって行く。波に押しあげられて水面がせり上がってくるように、結跏趺坐の身体の中に力が満ちてきて、高圧で固くなった水でできた丸太ん棒のように、天地に向かって身体の芯がつき立ちます。

ようやくひと山越えれば、ふたたび奈落へ落ちる。ゼロ地点にもどされ、また地面に爪を立てて手がかりを探す。次の数ラウンドへ。また無間地獄の長い長い格闘の始まりです。もう終わらせてほしい。勘弁してほしい。でも抜け道がない。手をかけ足を踏み出し、山を登るしかない。その先に何が見えるか、何が待っているのかは、全く考えられないのですが。

3日目は、こんなことを朝から夕方までの半日近く、坐禅のたびに繰り返していました。日暮れ時、まだ明るさの残る中で、何とか呼吸を掴まえようと努力を繰り返していた時です。

ふたたび坐身に力が満ちて来ました。呼吸に連れて、箍(たが)を締めつけた様に、身体の芯が太くがっしりと固まっていき天地に突き抜けます。いつの間にか日が暮れて堂内は闇に満たされていました。

坐身にガッチリと力が満ち切ると同時に「カンカンカンカン…」と板木を打つ澄んだ音が響きだしました。山上の専門道場から夕飯の時を知らせる合図です。

境内の参道は樹木に囲まれた谷筋に沿って、弓なりに専門道場へと続いています。こちらの居士林(禅堂)からは、坂道を500mほど登った山の中腹に専門道場があります。そこから槌打つ響きが、木立や谷間の起伏に木霊しながら参道を駆け下りてきました。

やがて、木霊する響きが白い一筋の光芒に見えてきました。つぎつぎと波濤をもたげ参道の石畳を滑り降りていきます。夕闇に黒く浮かび上がる木立に沿って、響きは白い光のしぶきを撥ね散らし、光の帯となり、谷間をこちらへ向かって下りてくるのです。(不思議ですが、体験したまを書きます)

もちろん坐禅を組んでいる室内からは、境内を見ることは出来ません。私は考える間もなく、とつぜん眼の前にひらけた美しい光景に、ただただうっとりと魅入っていました。視野の中心は坐禅を組んでいるこの場にあるのですが、坐禅をしている自分の身体も室内の景色も消し飛んでしまっています。敢えて言えば、透明人間になってしまい、周りを遮るものも無くなってしまった感じです。

谷を下る光芒がこちらへ届きそうになりました。山の中腹からこちらへと、光の奔流が流れ着くその時です。その流れを遡るように、こんどはこちらからも光の流れが上流を目指してはしりだしました。まるで光を帯びた小魚の群れが波を蹴立てるように、流れの急な光の渓流を昇っていきます。光の群れが水面を滑るように、板木を槌打つ専門道場を目指して遡っていきました。

ところが、光の群れは専門道場を乗り越え、勢いのままに山の中腹を山頂へと昇っていきます。光の帯となって、夕闇に浮かぶ山の端のシルエットを乗り越え、上空へと僅かにはみ出したところで、光はピタリと止まり消えてしまいました。その先には何もありません。向こうに側には、漆黒の虚無の闇があるだけです。

闇のこちら側に、円い鏡の中に取り込まれるようにして、円覚寺の境内とその背景の山並みが広がっています。世界は円空に囲われたこの空間だけしか在りません。「ああこれが自分なんだ!」と云う言葉が浮かんできました。この円空に収められた空間、円覚寺の境内が、その世界が、そのまま自分なのだという感じです。

山の端までの広さを確かめ「私の大きさはこんなものなのか!」と一瞬不満に思うと、その光景が消えて行きましたました。

間もなく、意識は坐禅の姿勢に帰り、こんどは身体の内側に注意を向けていました。結跏趺坐をした姿が、身体の輪郭に沿って中空になっていて、その内側を覗き込んでいる感じです。

意識は居士林の庭から円覚寺の参道に抜ける道を辿っていました。庭の植え込みに沿って散策をしました。自分自身の実体(感)は無いのですが、普段の散歩のように、境内の小道を自由に歩き回ることが出来ます。その散策の光景が、自分の坐した輪郭の中にありました。「(世界の)全部が自分の中にある!」と云う言葉が浮かびました。普段、道を歩くときの感じと何も変らず、周りの景色も背後に過ぎていきます。ただし眼の前に展開する世界が、視界の向こう側にでは無くて、坐っている自分の内側で体験されているのです。

やがて吐き出す息が、涙とともに「ありがとうございます!ありがとうございます!・・・!」という言葉となって、身体の奥底から溢れだしました。禅堂の中で他の参禅者に囲まれて座禅を組んでいる自分に戻っていました。嬉しさが身体全体を満たし、結跏趺坐のまま息が弾み、とめどなく涙が流れ出ていました。

そのあと、夕食後の参禅では、「経行」といって、円覚寺境内を列になって早足で巡り歩きました。見上げる木立の間に、ぽっかりと満月がかかっていました。先の体験を誰に告げたらよいのか困っていた私は、お月様を見つめ、無言でお礼を述べていました。

就寝前の最後の坐禅を終えたあとは、阿弥陀様の納められている、小さなお堂に集合させられました。もうひと踏ん張り、夜坐に向かうと指示されてお堂に入ったのですが、そこには茶菓子が用意されていて、砕けた雰囲気が漂っていました。スタッフをしていた、したり顔の学生さんたちが、構えを解いて穏やかな表情を見せています。

拍子抜けとはこのことでしょう。何も知らない私は、薄墨色の世界からいきなり、カラフルな日常的な人付き合いの場に戻されたよう。言葉を失いあたふたとするばかりです。打ち上げパーティー(茶話会)です。もう、坐禅の話などはどこかへ行ってしまい、楽しげに日常の話題に言葉を弾ませている様子。それまで沈黙を守っていた坐禅会指導担当の僧侶も、自分が地方のお寺の跡取りでその修行のために円覚寺に来ていることなどを、気安くほかの参禅者に話しています。

私は夕方の体験への説明と承認を求めていたのだと思います。けれどもそんな話を持ち出す雰囲気も無く、ただ息を潜め黙ってその時間を過ごしました。

      *         *         *

翌朝4日目、早朝の坐禅を終え朝飯の粥をすすり、夜が明けました。帰宅の荷物を纏め、禅堂の坐に着き、足立大心老師を上座に迎えて体験報告会です。

参加者全員が順番に、坐禅会への感謝の意を述べていきます。私は「大変貴重な体験の機会をありがとうございました。」と一言、涙に胸を詰まらせながら感謝を告げました。老師は私の体験を見知っているかのように「良かったですね」とにこやかに頷いてくれました。

8時には「(体験の意味を老師に)もう少し聞いておけば良かったかな?」と、名残を惜しみながらも円覚寺の山門を踏み出しました。北鎌倉駅前から、鶴岡八幡宮を抜け、鎌倉駅へと散歩です。道行く光景が、鮮やかで清々しく感じます。駅前で喫茶店を探し美味しい珈琲で一服。一区切りを終えた心持ちで、東京へと向かいました。
「私自身のマインフルネス体験って何だろうか?ともかく自身の体験を文章にすることで、整理し直してみよう!」と、先日掲載した『内観体験』→こちら と、今回の『参禅体験』を書き出してみました。いざブログに掲載すことを考えていると、なんだかこれは Coming out かも知れないなと思えてきます。でもこの二つの体験は、『からだとことばのレッスン』まっしぐらの私にとっては、それぞれ「守」・「破」の節目となる、大切な体験のように思えてきます。

テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ
2015年01月07日 (水) | Edit |

2014-12-29 008-ed

二日目になりました。

坐禅会では、「経行」といって境内を列になって歩く修業、「作務」という掃除の時間、禅の作法に則った食事、老師の訓話など、坐禅以外のプログラムも入ります。それらを次々にキビキビとこなしていかなければなりません。

起床も然りで、起床の合図(鐘が鳴らされます)で、布団を飛び出し、寝具を畳み、着替えと寝床回りの片づけ。柄杓一杯の水で歯磨きと洗面をこなす。手洗いを済まし、定位置に座布団を敷き正座。線香に灯がともされ、鐘の音で坐禅を組み、また「ひとつ」「ふたつ」・・・と息を数えることをくり返します。

私は、寝覚めのぼんやりしたまま坐を組み、朝の三炷が過ぎていきます。やがて板木を叩く音が、境内から堂内へカンカンカンと響き渡ります。朝飯の合図です。飯台を準備し、禅の作法に則って、粥と汁と香の物を食し、お茶を頂きます。

そのほか、観光客の参拝開始前に円覚寺境内の掃き掃除。開門してからは、草むしりや土運び、畑仕事。春の連休を楽しむ観光客が溢れるなかで花壇の手入れ。老師の講話を聴きに広い境内を列を成して移動。観光客の人混みを縫って講堂へ。お釈迦さまの骨が収めてあるという舎利堂の見学。雲水(正式の修行僧)の起居する専門道場へ。

これらは、坐禅の合間を縫ってのことですが、観光客には入ることのできない場所へも案内してもらいました。初夏の日差しをあびて心地よい気候なのですが、心の中に硬い石ころを飲み込んでいるような気分が常にあり、せっかくの機会を楽しむことは出来ませんでした。

禅堂では相変わらず、坐禅を組んで息を数えることをくり返します。二日目になって、ようやく脚の痺れにも慣れ、昨夜のことで呼吸法の手がかりを得ることが出来ました。半跏趺坐(片脚を腿に乗せかける胡坐)から結跏趺坐(両脚を交差させる坐法)へと脚の組み方を変えられるようになりました。

けれども、数息観(息をを数える行法)は進歩がありません。たかだか呼吸を10回数えるだけのことなのに、それが出来ない。息をゆっくり深く吐いていくので、一炷(約45分)の間の呼吸数は300回くらいだと思います。「ひとつ」「ふたつ」・・・「ここのつ」「とお」で10回ですから、これを30回繰り返せば一炷がお仕舞です。

「ひとつ」「ふたつ」までは容易に、吐く息と吸う息をお腹で数えることが出来るのですが、「みっつ」くらいからあやふやになって来る。「むっつ」「ななつ」になると、いくつまで数えたか分からなくなり混乱してきます。集中できない。一応「とお」までは、済ませるのですが、どこかで数字を数え間違えているかもしれない。自信が持てません。坐禅会中を通して、10回連続で間違えなく数えられたのは、一回もないかもしれません。

そのうえ、今日の足の痛みようが昨日とは違います。昨晩同様に坐を組んで呼吸を繰り返していると下腹に力が満ちてくるのですが、それにつれて結跏趺坐で交差している左右の脚の、皮膚の薄い脛骨(弁慶の泣き所)と脛骨とががっちり噛み合わされ、火が着くような痛みが、腹圧の変化と伴にやってきました。足首がもげそうな怖しさも高まってきます。骨格の全ての関節が万力で締め上げられ、その力が交差した脛骨の一点に集約される感じです。肉体と云うより、骨(骨格)が坐禅をしているような気持ちがしてきて、坐禅のラウンドを繰り返すごとに、脛骨を締め上げる力が増し、烈火のような痛みが弁慶の泣きどころを襲います。

坐禅から開放される、午睡(ひるね)の時間、禅堂の窓辺に差し込む陽光と、参拝客が散策を楽むさざめきを聞きながら、どろりとした闇を纏った病人のように、道場内の布団にごろ寝をしていました。

夜のことだと思います。夕食後の坐禅です。照明を落とした道場の中で脚を組み、呼吸を数え始めました。もうあれこれ思い悩んだり考える余地はなくなっていて、その分意識はクリアーでした。かと言って、数息観(呼吸を数える)のほうは相変わらずつっかえつっかえで、進展がありません。

坐禅を開始して10分くらい、息が深くなるに連れて、痺れとともに、またもや交差した脛が火がついたように痛み出します。足首の折れそうな痛みも。それでも致し方なく、呼吸を深くしていきながら、痛みから注意を逸らすように、息を数えることに集中していました。

そのとき、なにかこれまでと違う手ごたえがありました。呼吸をするごとに、息の入る余地がなくなり、呼気は吐いている感じが持てない。おう吐するとき、胃の内容物が空になっていて、吐こうとしても吐き出せない。それでも気持ち悪くて、全身の力を込めて吐きだそうとするような。そんな感じです。

息は微かになり、息を吐いているのかいないのか良く分からないままに、長く細く押し出すように吐く。呼吸を数えながら、グイグイ息を吐き切っていくと、骨格が締め上げられ身体は地面に打ち込まれた丸太のよう。短い吸気とともに、身体の芯が高圧高密度になり、全身がギュウギュウガチガチに固まっていく。何ともいえない心地よさがある。あれだけ苦しみ抜いていた脚の痛みがなくなってしまった。と云うか、痛みも痺れもあるのですが、それが自分から離れてしまっている。「痛みは自分に属さないんだ!」その瞬間に浮かんだ言葉です。

高度の緊張は、その後、潮が引くように静かになって行きました。さらに二炷を済まし、二日目最後の坐禅を終了。夜坐(修行者は夜通し自主的に坐禅をするそうです)の話があり、就寝です。
<三日目に続く>
一日目の参禅体験はこちらです。

テーマ:心と身体
ジャンル:心と身体
2015年01月05日 (月) | Edit |

2014-12-29 018-ed

2001年5月、私は北鎌倉円覚寺の学生座禅会に参加しました。

当時、竹内敏晴「からだとことばのレッスン」と野口三千三「野口体操」の理解を深めようと、仏教関連の解説書を読み漁っていました。仏教、とくに禅の考え方に照らしてみると、竹内・野口の語る「からだ」と云う言葉の意味が、見えて来る様に思えていたからです。

とくに、鈴木大拙博士(1870-1960、禅者・禅仏教学者・明治から昭和にかけて、欧米に禅を紹介した人)の語る、「即非の論理(AはAにあらずして即ちAである)」と云う言葉に興味を魅かれていました。私自身は哲学や論理思考には無縁で来たのですが、この言葉の意味を理解できれば、竹内・野口の語る「からだ」の意味が分かるのではないかと、理由は分からないながらも心が強く動きました。

      *         *         *

円覚寺に向かったのは、「鈴木大拙全集」第5巻(全30巻のうち。後に全巻を読破しました。)を読んでいた途中でした。北鎌倉の駅に昼過ぎに到着したので、駅近くのカフェで、手にずっしりと重い本に目を通しながら、15時の入門時間を待っていたことを思い出します。普通は禅の修行と云えば「悟り」とセットで語られますが、私は悟りには関心がない。大拙さんの書いていることが分かりたい。その一心で参禅しました。

5月連休、大きなボタンの花が咲く時節でした。円覚寺境内にある居士林の中庭に集合。鎌倉観光として物見遊山に訪れることはあっても、自らの坐禅修行のためにお寺の門をくぐることなど、考えた事もありませんでした。初めて訪れる禅堂です。私は無言のまま受付の開始を待ちました。集合した人達も無言。この世からあの世にわたる時刻の訪れを、皆で待ち構えているような、不思議な感じが漂っていました。

禅堂の玄関をあがり、受付と会費の支払いを済ませ、道着を着た学生さんに案内されて、道場の脇にある小部屋に正座をします。前後の人と膝が触れ合うほどの鮨詰めで、他の40名ほどの人達が受付を済ませるのを無言で待ちました。

全員が揃ったところで、禅堂生活についての説明や指示。座禅の組み方の指導。一段高みに立ったところから言い渡すような担当者の言葉に、私自身が囚人にされたような気がして、少々心がけば立ちました。どうやら楽しさとは無縁の世界のようです。

荷物を所定の場所に片づけ、堂内の坐る場所を指示されました。座布団に腰をおろし正座。他の参加者の姿を見まわすと、みな堅苦しい表情。袴姿に身をかためた学生スタッフは、経験者であることを誇るようなしたり顔。人から威張られるのが嫌いな私は、不機嫌を持てあまして、もう早速参加を悔むような気持ちになっていました。

当時の円覚寺館長足立大心老師と、学生坐禅会の指導担当僧侶の挨拶。説明、読経。その後、坐禅のスタートです。

80㎝四方くらいの大きな座布団に、丸い饅頭のような尻当て座布団(坐布=ざふ)を置き、坐布に腰を掛け、脚を胡坐(半跏趺坐または結跏趺坐)に組みます。腰を立て背すじを伸ばし面を挙げ、眼は開いたままで、1メートル向こうの畳の上に視線を置く。お腹(丹田)に意識を集中し、お腹で息を数える。息を吐いて吸って「一つ」、また吐いて吸って「二つ」と、十まで呼吸を数えたら、最初に戻って一つ、二つと、お腹で繰り返します。(数息観=息を数える行法)

線香に灯がともされ、煙が上ります。一本の線香が燃え尽きるまで、おおよそ45分間、お腹で息を数え続ける。あいだに10分間の休憩を挟んで、また坐禅をくり返します。

先ずは足の痺れとの闘いです。普段は痺れがくれば、伸ばしたりほぐしたりすれば済むことですが、坐禅では組んだ足をほどくことが出来ない。(左右で組む足を組み替えることは許されています)姿勢も直立で固定したまま身動きも出来ない。なすすべなく、足の痺れが意識の中で膨れ上がっていきます。

息を吐いたり吸ったりすれば、お腹の圧力の変化に押されて、足の痺れはますます激しくなります。周囲の人も、同様に苦しんでいるのが伝わってきます。関節も痛み出します。これではまるで自虐行為です。私は脱力法(野口体操)を学んでいるので「坐る前に十分に足腰をほぐしてから坐禅に入れば良いではないか。ふだんの生活で床に坐る機会のない人にいきなり坐を組ませるなんて、拷問だ。伝統主義の悪弊だ。」などと、内心で批判が起こって苛立ちます。

痺れに心が乱れ、息の数を数えることも出来ません。一つ、二つ、三つくらいまでは数えても、不快な思いに意識が囚われて、いくつまで数えていたのか、途中で分からなくなってしまう。やっと七つまで数えても、痺れと痛みで意識は朦朧としてきます。結局一度も10まで数えきることができません。「あれ幾つまで数えたんだっけ?七つまでだったかな?八つまでかな?始めに戻るのも悔しいから、つぎは九からということにして数えよう。九つ、吐いて吸って十。よし始めに戻ってもう一回、一つ、二つ、、。」こんな調子です。

苦しさに堪えきれなくて、線香が早く燃え尽きないかと、線香の燃え具合を横目で何度も見ます。じれったい、じりじりする。拷問。坐禅は鳴り物(鐘)の合図で進行します。線香が燃えつき、指導僧が鐘を鳴らす。その鐘の音を今か今かと、まるで餌に飢えた獣のように待ち受けている。そんな自分にますます苛立ちが募ります。

第一ラウンド(「一炷」いっしゅと呼ぶ=線香一本燃える時間約45分)の終了。ホッとしながらも、身体のことが専門の私としては足の痺れが悔しくて、何くわぬ振りして立ちあがろうとすると、足が無感覚に。よろけて怖々立ち上がる自分が情けない。尿意を催し、トイレ(禅では「東司」=「とっす」と云う)に駆け込む。緊張しているのでしょう。以後、休憩のたびに尿意を催し、トイレに行ってチビチビと排尿をくり返しました。スッキリしないことがとても気持ち悪い。

一日目は、午後3時のスタートから夕方までに2ラウンド、食事や休憩をはさみ、さらに4ラウンド、合計6炷=線香六本、つまり45分×6ラウンドの坐禅をしました。

夕食後の坐禅は、足の痺れに加えて睡魔との闘いです。照明の落ちた薄暗い道場の中、息を数えていると意識が飛びのき、突然頭が前に落ちる。姿勢がくず折れそうになるのをぐいと堪えて姿勢をただす。床にゴロリと横になりたくて堪らない。教室や電車の中でコクリコクリと舟を漕ぐのは心地の良いものですが、禅堂では僧侶が堂内を巡視しています。監獄の囚人さながら、看守の動向を横目に伺いながら、こそこそと居眠りを誤魔化しているような、何とも情けない気持ちです。

その夜、最終ラウンドの坐禅では、坐禅会の雰囲気や自身の情けなさへの憤懣で、イライラがつのっていました。坐禅を組んで息を数えていくうち突然に、腹の底から激しい怒りが湧いてきました。内心、いわゆるキレて何をやらかすか分からない状態です。半跏趺坐(坐禅のポーズ)を崩せば、駆け出して行ってしまいそう。強い怒りが身内をつきあげました。

(これは後に知ったことですが、坐禅会では参禅者のプライドを挫き、感情を煽るように、大上段に立った物言いをしたり、突き放すような指導をするそうです。私はまんまとはめられた分けです。)

円覚寺の門前を、JR新宿湘南ラインが横切っており、夜の闇の中を電車の通過音が身近を走り抜けます。「俺はこんな所で何をやっているんだ!あの電車に乗って東京に帰ろう!こんなくだらないところ(坐禅会)に居て何になる。(新宿の)スタジオに帰ってやれることはいくらでも在るだろう。。。」坐禅会を全否定するような言葉が心の中で渦巻き、坐禅を組みながらも心は電車に乗って、新宿に向かって滑り出している。禅堂から飛び出し、駅から電車に乗りこみ、新宿に向かう車中に居る自分が、本当に見えるのです。あとは怒りの衝動にまかせて、結跏趺坐を崩して走りだせばいいだけ。

当時は、人間と演劇研究所の運営が危機状況に陥っていました。バブル後の影響で、研究所の参加者は減り、西新宿にある研究所スタジオの維持費は負担を増し、そのうえ自分自身の仕事に自信を持てずにいる。このままでは20年に渡って続けて来た活動を休止しスタジオを手放さなければならない。家庭の事情もある。どうあがいても八方ふさがりで、茫然として鬱々とした気分を抱え込んでいる中、突破口を見つけようと挑んだ坐禅でもありました。

坐禅会への否定的な心情と、何も得ることなく帰宅し為す術もなく自分の仕事を諦めなければならない辛さが葛藤を起こし、心が引き裂かれるように激しく揺さぶられます。それでも致し方なく、怒りの底(=丹田)に注意を向け、引き続き息を数えました。

無言でお腹で息を数えます。「ひとぉ~」と息を十分に吐き切り、「つ~」と息を吸うと、風船が膨らむようにお腹に息が満ちてきます。お腹の風船を引き締めるように「ふたぁ~」と息を吐くと、「つ~」の吸い込む息でお腹が膨張します。息をするたびにぐんぐん下腹に力が満ちて来る。

絞り出すように息を吐く。吐き切って息を吹いこむと下腹のマグマにふいごで酸素を送り込んでいるような感じです。下腹に力が満ち気持ちも充実し、「丹を練るとはこのことか!(丹田呼吸法)」と発見の喜びが湧きました。いつの間にか激しい苛立ちは消えています。

一日繰り返した呼吸への集中が、最終ラウンドでピークを迎えての出来事だったのでしょう。やがてその充実感は去り、一炷の坐禅を終えました。夜10時には一日の修練を終え、冷たい布団にもぐりこみ、眠りに落ちました。翌朝は3時の起床です。
<二日目に続く>
13年前の体験を文章に起こしてみました。ほとんど公表することなしに、自分の心の中で温め続けていた体験ですが、こうして書きだしてみると、この時の体験が自分にとって如何に大切なことであったかが、見えてきます。先ずは意味付けぬきに、三泊四日の坐禅会での体験そのものを、数回にわたって掲載します。円覚寺の学生座禅会は都内の大学の坐禅サークルの共催で、歴史ある催しのようです。
2014年12月03日 (水) | Edit |

2014-12-02 024-ed

日本マインドフルライフ協会さんより、定例会講師のお誘いを受け、先日ワークショップを実施してきました。
準備を進めるなか、「私自身にとって、マインドフルネスって何だろう?」と、繰り返し考えさせられました。
その整理の過程で、私のこれまでの体験を書き出してみました。

もう、30数年前の出来事、時を経たからこそ、言葉にできることも在るように思えて来ています。
私にとっては楽しい振り返りの機会になりましたが、読んでくれる皆さまにとっては意味があるかどうか分かりません。
長文になりますが、以下。

私の「からだ」体験【1】(内観体験) 2014.11.28

82年春、私は中学校の教員になりました。新任ということで、担任を持たずに中学一年生の理科の授業の担当。私が24歳のころです。

大学時代、ろくに勉強をせずに、自身の適正を考えた事も無かった私は、ただ教員試験を通るためだけに、ペーパー上(机上)でのみの勉強をして教職につきました。

教科の指導法も、生活指導の方法も、教師の職務についても、現場の知識を全く持たない、また指導体験もないままに、学校に飛び込んだ訳です。

惨憺たるものでした。生徒を授業に集中させることが出来ず、教室は混乱状態、騒ぎを聞きつけてベテランの教師が教室に飛び込み指導をすれば、生徒は静かになります。けれども教科の指導はしどろもどろ。当然生徒は授業が分からない、つまらない、そわそわし始める。近年、学級崩壊という言葉が話題となっていますが、授業崩壊状態でした。

授業の進度はどんどん遅れていく。帰宅し授業の準備をしようと机に向かっても、疲れ果て睡魔に襲われ、頭が働かない。準備ができていないから、さらに授業は荒れる。他の教職員の眼差しが厳しくなる。針の筵に坐らされるとはこのことでしょう。

日に日に身動きが付かなくなってなって行きました。何もできない。息を抜けるのは帰宅途中に酒を煽るだけ。そうこうするうちに夏休みを迎えました。

本来ならば夏休みのうちに、教科指導や生徒指導の勉強をするのが当然でしょうが、そんなことを考えることもできない程に余裕を失っていました。教員としての知識や技能の欠如に問題のあることに考えが及ばず、むしろ自分自身の人間性やコミュニケーション能力に問題があると考えました。

そこで浮かんできたのが、学生時代に本で知った「内観療法」でした。「自分が変わらなければならない」と云う思いから、奈良の大和郡山内観研修所にお世話になったわけです。

「内観」とは、畳半畳のスペースを屏風と壁で区切り、その中に入って自分を見つめる心の修養法です。「母にしてもらったこと」「母にしてかえしたこと」「母に迷惑かけたこと」の課題を、心の内で繰り返し思い起こします。研修所での一週間、自分の過去を、子供時代をスタートに現在までを二年間ずつに区切って、就寝時以外上述の課題を心の内で調べ続けます。

結果から言うと、全くの惨敗でした。課題に集中しようとしても、頭がぼんやりしたり、眠気が襲ってきたり、関係のない考えが頭の中をぐるぐる廻ったり。坐っているのが苦痛になり、横になりたくても半畳の広さでは横になることも出来ない。

二時間毎に、指導の吉本伊信先生が屏風を開き、内観の進展を尋ねに来てくれるのですが、「母にしてもらったこと」「母にしてかえしたこと」「母に迷惑かけたこと」という単純な課題に答えることが出来ない。「ご飯を作ってもらいました」「ありません」「分かりません」等と答えるしかない。いくら考えても答えが出ません。それでも先生は、優しい笑顔で励ましの言葉をかけ、内観への集中を促し、屏風を閉めます。

そのうちに、二時間何もせずにぼんやりと過ごし、先生が訪れる直前になって記憶の断片を継ぎ合せて、「遠足のお弁当を作ってもらいました」「お土産を買って帰りました」「準備に苦労をかけました」などと答えをでっち上げる始末です。

しまいには、あまりに課題に集中できないことが心苦しくて、先生が訪ねてくるのが怖くなりました。教員の仕事の場だけではなく、ここでも針の筵に坐らされた気分で、誤魔化し誤魔化し、何とか一週間をやり過ごしました。

一週間の研修の後、指導をされている吉本伊信先生を囲んで研修生全員が体験を語り合うのですが、私は「何も変わりませんでした!」と報告しました。吉本先生は、何も言わずに優しい微笑みでその言葉を受け止めてくれましたが。

何の解決もないままに、二学期が始まりました。生徒にとって中学一年生一学期は小学校の延長で、教師集団に頭ごなしに抑えられてきたのですが、夏休みに解放され悪さも覚えて、学校の中ではガラスを割ったり、教師に楯突いたりと、様々な問題を起こします。秋は運動会などの行事も多く、目まぐるしく過ぎていきます。

私は相変わらず、授業の工夫に全く手がつかず、行き当たりばったりのいい加減な授業で日々を凌いでいました。この時期、学校全体が荒れて授業が成り立たないのは私だけの問題ではなく、何とか生徒を落ち着かせようと、生活指導に多くの時間が割かれていました。そのため、私の教師としての未熟さは、取り沙汰されることがありませんでした。

何がなにやら分からぬままに、冬休みを迎えました。振り返れば相変わらずで、教えなければならないことがたくさん残っている。教科書の進み具合を見れば、とても年度内には消化できそうもない。授業中、生徒は私の前でこれぞとばかり自由勝手に振舞い、手におえない。生徒だけではなく、教員集団ともコミュニケーションが取れずに、内心の孤立感が募るばかり。

「自分が変わらなければ!」と、ふたたび思い浮かんだのが「内観」でした。前回、何も得ることのなかったけれど、自分にはそれしか無ように思える。「今度こそ何とかしなければ!」と、再び奈良にある内観研修所に参加を申し込みました。

いま落ち着いて考えれば、今度こそ、研修会などで、生徒指導や、教科の指導法を学ぶべきだったのでしょうが、余程思いつめて状況が見えなくなっていたのでしょう。針の筵なら痛みをこらえれば身動きくらいは出来るでしょうが、にっちもさっちも行かないと云う言葉そのものに心が固まってしまい、自分が身動きが付かなくなっていることさえ分からなくなっていたのだと思います。すがりつくようにしてふたたび奈良の内観研修所へと向かいました。

前回と同じく、畳半畳の屏風の裡にこもり、小学校低学年のころに「母にしてもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」を、心の中に調べます。

二回目の参加ということで、子供時代の記憶に印象深く残っていることは、だいぶ整理がついています。思い出せるシーンを手がかかりにして、記憶の狭間を埋めていくようにして、母との出来事を思い出そうと努力します。母に手をとられて耳鼻科に通ったシーン。母に勧められた剣道の稽古を内緒でサボって友人と遊びほうけていた思い出・・・。

けれども考えれば考えるほど、母に対する内観は記憶の表層を滑っていき、努力すればするほどに、記憶の闇が立ちはだかり、努力が押し返される様に肝腎な課題に答えることが出来ません。やはり睡魔に襲われたり、心があらぬ考えに囚われて内観を離れてグルグル回ります。楽しみは三度の食事のみ。待ち遠しくてたまりません。とても課題に集中しているとは言えない状態が続きました。

二時間ごとに吉本先生に報告する「母に迷惑かけたこと」も、差しさわりのない作り事を報告することしか出来ません。二度目参加の意味が無い、前回と同じではないか、切り上げて東京に帰ろうとまで考えました。一回目の内観よりも更に課題に集中できない日が続きました。課題を見つめる心は塞がり、就寝時以外は狭い屏風に囲まれて坐り続けで、寝転がることも出来ない身体に、身もだえしかできない苦痛。

そんな日が四日ほど続いたころ、小学校高学年の頃のことを内観していた時だったと思います。「自宅の、六畳間と一畳の台所が一つながりの、木造都営住宅。母が台所仕事をする姿を背に、私は畳にゴロリと横になって、テレビ番組に夢中になっている。」そんな光景が突然眼前に浮かんできました。捜していた記憶を思い出したというよりも、闇の中からシーンが浮かび上がって来た感じです。私は、母の視点から自分の姿を見ていました。「私のこんな態度を見ながら、母は何も言わずに(家事を)やっていたのか!」と申し訳なく思う刹那、羊水が破れだすように、涙とともに「ありがたい、ありがたい・・・。」という言葉が、からだの中から溢れ出してきました。

涙ながらに、涙をすすり上げながら、吉本先生に「母にしてもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」を報告しました。

最終日の体験報告会では、こんな自分を一言も否定することなく信じて見守り、大切に育ててくれた母への感謝を涙ながらに述べ、吉本先生への感謝を告げて、研修所の門を出ました。

大和郡山駅に向かう商店街の路地を歩きながら、傍らを通り過ぎていく光景が、キラキラと輝いて目に映ります。閉ざされていた視野が開かれたのでしょう。足取り軽く東京へと向かいました。

新年が明け、その夏に結局、教員を辞職しました。母の期待を裏切り、また悲しい思いをさせての選択でしたが、いま思えば、内観研修所での体験は、迷いの中に沈潜していた私の眼差しを、自分自身が歩み出すべき方向へと開かせてくれたようです。

「私は身体的には母の子宮から羊水を破ってこの世に生れ出て成長してきたのだけれど、心の破水は大人になっても出来ていなかったのだ。」これが後に私が思った内観体験の意味付けです。

最後に、一つ補っておきたいのは、「内観」における身体体験についてです。
一週間のあいだ、睡眠時間以外、半畳(90㎝四方)の障子で限られた空間の中に、坐し続けることの意味です。

手足を伸ばすことも、からだを横たえることも出来ない情況で、何が起こってくるでしょうか。これは体験してみないと、分かり辛いことかも知れませんが、素朴に言えば、先ず身体的な苦痛です。お尻・背すじ・膝・首・・・等々、身体の痛みに襲われます。

その苦痛に身悶えを繰り返すなかで、意識的に記憶を辿る(心理的に思考をコントロールする)ことは困難になります。記憶を働かせようと思考に集中すると、身体の苦痛に引きずられて、課題(「母にして貰ったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」)とは異なる、あらぬ考えに巻き込まれたり、睡魔に襲われたりします。

記憶の糸を意識的に辿ることは出来なくなり、意識は痛みにひかれて、自分の身体の内部へと向かわされます。自然と「内を観る」=内観になって行きます。また、課題を考える・思い出すなど意識的に記憶を追いかけることが不可能になることで、眼差しも、頭部から自らの身体の内側に向かいます。

結果として、自らのからだの内側に、課題を問うことになる。それは、身体(痛み)と意識(心理)の狭間(あわい)にレンズの焦点を合わせるようにして、課題を問うことであり、結果として、その狭間から答えが浮かび上がってくる。

この心と身体の狭間(あわい)に集中することが、マインドフルネスなのだと思います。そしてそこから帰って来た答えが、気づきであると私は考えています。

心の痛みも身体の痛みも、どちらも大切です。ただしそれらを解決することを意図するのではなくて、その狭間=焦点のありかを明らかにするための道標として見た時に。

もうひとつ、マインドフルネスは人生の苦境を、人間的成長のチャンスへと反転させる意義を持つものだと私は期待しています。

人間と演劇研究所 主宰  瀬戸嶋 充 記
(日本マインドフルライフ協会定例会20141130に於けるワークショップ資料として記述)


若かりし頃の、このような体験を通って、「意識と身体」という日常常識的な世界の見方・感じ方の他に、「自分の内側の世界からの自己存在」という観点が、私のからだとこころの深みから開けて来たのだと、いまでは思っています。
この文章は、日本マインドフルライフ協会定例会での講演とワークショップと云うことでお誘いを受け、講演の下敷きとして文章にしてみたものです。しかしながら当日はこの文章を提示することなく、ワークショップ(実践体験)のみで終わりました。
私の役目は、何か役に立つ話しをすることでは無くて、参加された方がより深く自分自身を体験をしてもらうことなのだと思います。そして参加者の方には、そこでの体験を、自分自身との関わりを深める手がかりとして欲しいのだと思っています。

テーマ:心と身体
ジャンル:心と身体