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2014年03月15日 (土) | Edit |

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 40年前のことですが、私は浪越徳次郎さんの施術を受けたました。仮性近視を直してもらおうと文京区の伝通院前にあった指圧学校を訪ねたときのことです。
  
 お弟子さんに指圧をしてもらっていたところへ、「指圧のこころ、母心、おせば生命の泉湧く。ワッハハッハ~」の笑顔そのまま、院長の浪越先生がやって来て、首筋に指圧をしてくれました。
  
 先生の柔かくしっとりとした親指に首すじを押されたとき、私の身の丈よりも大きな親指に指圧をされた感じがしていました。
  
 指圧のツボを圧されているときに「施術者の親指が自分の身体より大きく感じる」というのは、常識的には不合理な話しです。

 けれどもそれに比べると、お弟子さん達の指圧はツボに錐をねじ込まれるような感じがします。私の身体のコリを、力でねじ伏せるようにグイグイ押される。私は痛みに身体を緊張させて堪えるばかり。次に何をやられるのか不安でなりませんでした。
  
 浪越先生の大きな親指には、温もりと安心感がありました。まさに「母心」の優しさと「生命の泉湧く」爽やかさ。当時多感な16歳の私。そのときの感覚的記憶は今でも私の中にはっきり残っています。このときの体験は、いまでも私の「からだ」観の基底に生きています。
  
 浪越先生は、顔を大きくほころばせて「ワッハハッハ」と笑います。痛みに見まわれたり傷ついたとき、病いは人の心を捕えて縛り上げます。痛みや苦しさだけが心を占め、その他のことは、何の意味も持たないように思えてくる。

笑うことは囚われからの開放です。囚われから自分をほどき、現実の中にある自分の可能性に眼をひらかせます。生きていることはどんな状況にあっても、不幸なだけではないことに。生きていることは幸せによって支えられていることに。
  
 施術とは、施術者にとってもクライアントにとっても、そんな幸せを育てる機会なのだと私は思っています。それは知識や技術だけではどうしようもない部分です。ではどうしたら良いのか?そこのところをみなさんと一緒に探るのが、今回の講座になると思います。
  
 (浪越徳次郎さんといっても、今の人はもう知らないかも知れませんね。マリリンモンローが来日した時に指圧で腰痛を直したことで有名です)
『セラピストならびにヒーラーのための脱力講座』(3月18日(火)・19日(水)18:30~21:30(二日間通し)新宿区大久保地域センター)ご案内はこちら。あと二名ほどの参加が可能です。

テーマ:セラピー&ヒーリング
ジャンル:心と身体
2014年03月07日 (金) | Edit |

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 「身体が硬い人なんて一人もいません。誰もがみんな身体は柔らかくできています。」と私はよくワークの中で話をします。

 ワークの前に、参加者の雑談に耳を傾けていると、「私はからだが硬くて」と云う声が聞こえてきます。テーマが「からだほぐし」ですから、そんな話題が出てくるのでしょうが、私はその言葉を聞くたびに内心、「チョットなァ~」という気分。

 いわゆる柔軟体操やストレッチでは、身体は固いものだから努力して柔らかくしなければいけない、という考えが大もとにあるみたいです。ヨガでも身体が硬くてポーズがとれないなどと云う声を良く聞きます。

 もともと固いのが身体だから、身体が柔かい人は特別で、それだけで偉い・凄い、自分も努力しなければと思っている人が、ほとんどですのようです。

 その結果として皆、身体の固さのほうばかりに、意識が囚われてしまいます。身体の柔らかさには目もくれなくなります。

 力が抜けるというのは、ちょっと分かりずらいかもしれませんが、柔らかさの「感じ」が自分の身体の中を満たすことです。自分の中の柔らかさが硬さを溶かし、清々しい解放感が身体を満たすともいえます。(可動域が何度などというのはあまり関係ありません。)

 そのためには先ず、柔かさ=緊張からの解放感を体感しなければならないのに、何かと云うと硬さの実感ばかりに注意を囚われ、自分は硬いと決めつけて諦めてしまう。自分は硬い、だから出来ないという言い訳を無意識にしているわけです。

 自分の身体の内側に感じる柔かさ、それは小さな部分的なことでも構いません。柔かさを感じながら、それを無視したり置き去りにすることなしに運動や体操(もちろん生活動作も)をしてみてください。少々時間はかかるかもしれませんが、身体を動かすことの内側から溢れてくる楽しみや喜びが、分かってくると思います。もちろん心も、緊張へのこだわりから自由になります。

 たとえば、マラソン大会で、自分に打ち勝つために緊張努力してゴールを目指すのではなく、ゴールに至るまでの過程を力を抜いて楽しんでほしいとおもいます。その楽しみがわかれば、もっと楽しむためには途中でゴールを変えてもいいんです。

 相手の身体を硬い物として見るか、柔らかい者として見るかによって、他者との係わり方も変わってきます。硬い他者と硬い自分が一緒にいては、気持ちや感動が流れあうことはありません。自分も他者も柔らかいと思えば、おおらかで柔軟性に富んだ、人間関係が始まります。ストレスなどそこにはありません。

 「柔かさの眼差し」は、自他を世界を変えていく手がかりかもしれません。「身体が硬い人なんて一人もいません。誰もがみんな身体は柔らかくできています。」とは、私自身のワーク(野口体操・ZEN体操)での体験によって実感されていますが、皆さんはそこは嘘でもいいですから、「私もあなたも、からだは柔らかい (⌒‐⌒)」と心の中で唱えてみてください。あらたな眼差しが育ってくるはずです。

テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ
2014年02月28日 (金) | Edit |

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私は月に1~2回、友人の主催するマインドフルネス実践会に参加しています。

マインドフルネスが何かということはさて置いて、実践会では2時間のうち30分程度を必ず瞑想の時間としています。

私の参加の理由は、この瞑想の時間を利用して坐禅をすることです。友人がファシリテーターをしているので、私自身はレッスン者(ファシリテーター)として進行に注意を払う必要がなく、何の気兼ねもなく坐禅に集中できるのがありがたい限りなのです。

月2回、2週に一遍の坐を組んで、座禅に集中することができるので、生活や仕事のリズムの区切りができます。坐禅は私にとって自分のからだをリフレッシュして、スタート地点を新たに確かめる大切な機会になっています。

お尻の下に座布団を二枚折にして敷き込み、骨盤を立てて背すじを楽に伸ばします。脚を結跏趺坐に組んで姿勢を整えて、眼を開いたまま自分の呼吸の変化をお腹で感じます。

あとは、静かに息をしながら、呼吸に伴う身体の内部の変化の感じに注意を向け続けるだけです。そのまま30分。坐り始めは意識が散漫になり、なかなか意識を呼吸に集中できませんが、10分程で息の動きが感じられて、注意がお腹に収まり重心が足腰に安定し、上半身の力が抜けて姿勢がのびやかになってきます。坐を組む(坐る)ことの気持ちよさが、身体を満たします。

30分程度、坐して呼吸を感じているだけで、自分の心と身体が整ってきます。坐をほどけば、清々しくスッキリとした気持ちで、実践会終了です。

私がお寺で、座禅の指導を受けたのはこれまでに3度しかなく、あとは自己流なのですが、こんなにシンプルで、難しいことの全くない心身の健康法は他にはないと思っています。

坐って息を感じるだけで、新陳代謝が促進され、以前はよく二日酔いのアルコール抜きに一人で坐禅をしたものです。10分間も坐っていると汗が滝のように流れ出し、アルコールや老廃物が汗と一緒に排出され、朝の仕事(からだとことばのレッスンWS)に間に合う。また、いろいろごちゃごちゃと抱えていた思いが真っ新(さら)になり、頭が働き始める。くよくよグズグズしていた気持ちが吹っ飛んでスッキリする。身体も元気を取り戻す。ともかく、心身共にリフレッシュし新たな気持ちと眼差しが開けてきます。

私自身は、禅宗の信仰を持っているわけではないのですが、坐禅を大いに有効利用させてもらっている次第です。

慣れないうちは、足がしびれたり、背中が痛くなったり雑念に囚われて、息に集中することが難しいのですが、それは何度か坐っていると慣れてくるし、野口体操で身体の強張りを弛めれば、坐ることの気持ちよさを感じられるようになります。

最近とみに思うのですが、坐禅は古来からの日本の文化遺産。どんな筋トレやリラクゼーションにもまさる、身体と心の元気を育てる方法だと、私は思っています。

近々、お坊さんとコラボして、座禅会(ZENの会)のお手伝いをさせてもらう機会ができそうです。私は野口体操(ZEN体操)で皆さんの身体をほぐして、参加された方が楽に気持ちよく坐れるお手伝いをする予定です。



テーマ:心と身体
ジャンル:心と身体
2014年01月27日 (月) | Edit |

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たとえば「をだすのは誰か?」と突きつめていく。

私たちはふだん自分がしゃべっているときに「」をだしているのは自分だと、何も考えることなく当然のこととしている。

上記の問いは、これを疑うことになる。「誰か?」というのは、難しい言葉になるが、行動の主体という。(この場合は「しゃべる」が行動、主体が自分)

何をわけのわからないことをと思って当然だけれど、私のようにをあつかう仕事をしている者や、何らかの理由で自分のを失った者、のことで不自由をしている者にとっては、ここのところが肝腎なことになる。

に不自由を感じたことのない人は、自分の思い(意識)どおりに声がでるものだから、声を出すのは自分だと思っている。逆に声を出さずにいるのも自分であることに疑いはないだろう。つまり声をだしたりださなかったりするのは自分である。

さらに発声器官と神経の関係も研究が進んでいるものだから、意識(=自分)の指令に従って音声がでる仕組みも解明されている。いずれにしても声をだすのは自分であることに疑いはなさそうである。音響機器を扱うように意識がスイッチを入れたり切ったりボリュ-ムをひねって増減することで、声がでていく。

これに対して、私がレッスン中に言葉にするのが、「声をだすのは声である」「声じたいが発声器官をつかって声をだす」「声じたいが自分で出たがっている」などである。常識から考えればわけのわからないことかもしれないが、実際に声がでない人に対しては、この考え方にもとづいて指導をすると声がでてくる。

常識にのっとって「声をだすのは自分」という発想に乗っかるとき、自分の思うとおりに声をだそうと努力を始める。努力=緊張である。喉に力を入れたり、大きく口を開けたり、息を大きく吸って胸をはりあげたり、顎をつきあげたり、腹に力を込めたり。。。さらには自分の体内の響きの強さに注意を奪われ、声のむかう対象を意識することが出来なくなる。閉塞感に襲われることさえある。

「声じたいが出たがっている」と考えるとき、まず声がでるために必要なことは、声がでやすい身体の環境を用意してあげることである。喉(声帯)や胸の緊張をゆるめ、さらにからだ全体にわたって、声が出ていくことを妨げる緊張を解除して行く(呼吸とからだの関係も含む)。もう一つは、声がどこに行こうとしているのか、他者なり対象物なりそれを意識しそこに心を向けることである。

このとき声自体が、自分のからだの中から対象にむかって流れでる。そして面白いことに良く声がでているときには、自分では声がでている、だしているという実感がないことが多い。自分が声をだしているという実感がない、無自覚な責任感からくる重責からの開放感(自由)がある。

逆に、自分で声をだしているという実感があるときには、思うように声は相手に届いていかない。

私は、こんな体験を重ねるうちに、自分の意識的な努力(緊張)によって目的を達成するという考えを信じなくなってきた。立ったり座ったり歩いたり走ったり、すべての人間行動全般についてが然りである。意識し考えることですら。

私にとって「生きている(行動する)しているのは誰か?」の答えは「自分」(意識)ではない。無意識といっても仏・神・魂といっても何かピンと来ないので、私はその「誰か」(行動主体)をひらがなで「からだ」とよんでいる。

そして「からだ」主体の発想のもとに行われる人間行動は、立ったり歩いたりという単純なことから生活や仕事全般に至るまで、気持ちよく明るい出来事となり、苦難さえ自分を育てる糧となる。禅でいうところの「日日是好日」とは、このことであろう。

自意識の不全感は、自分(意識)主体から「からだ」主体への路線変更へのチャンスである。「自分が生きている」(意識主体)ではなく「からだ」によって「自分が生かされている」ことを認めるとき、自由の意味が初めてわかるのだろう。

テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ
2014年01月25日 (土) | Edit |

またまた途中経過です。WSに向けて思案中です。2月半ばには詳細をご案内したいと思っていますが、、、。いま時点の提案です。
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セラピストならびにヒーラーのための「脱力講座」WS
『癒える力・癒す力・幸せをめざす「いのちの力」』

セラピーやヒ―リングの力のみなもとは「いのちの力」です。
セラピストやヒーラー、クライアント、誰もが持ち合わせているのが、いのちの力です。
いのちといのちの出会いが、人のこころとからだを癒し幸福をもたらします。

セラピストやヒーラーのテクニックや知識がひろく普及しはじめているようですが、肝心の「いのちの力」を開発・開放する方法に関しては、充分に意識されていないようです。

人のこころとからだを癒す仕事・勤めにつきながら、その喜びを感じられない、消耗するという声を聞きます。それは、テクニックや知識の向上によっては得られない、いのちといのちの触れあいの大切さが分からなくなってしまっている結果だと思います。

「いのちの力」は、施術者自身のこころとからだを開放することによって得られる力です。「脱力」とは、施術者自身のこころとからだの構え(緊張)をほどき、持てるいのちの力を充分に活用できるようにするワークです。

ZEN体操(野口体操)の基本となるからだを弛める感覚を育て、からだとことばのレッスンによって他者のからだに向かう集中力を開き深めます。
2014年3月18日(火)19日(水)の二夜通しのWSに向けて、色々頭を絞っています。途中経過で御免なさい (⌒‐⌒)

テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ