FC2ブログ
2014年03月08日 (土) | Edit |

DCF00094ed-blg.jpg

私事になりますが、私はレッスン(ワークショップ)の開催日が近づいてくると、からだの内側が変化してきます。

息が深くなって胴体の内径の感じが桶や樽のようにたっぷりしてきます。
声はからだの底辺から湧きだす感じになり、ことばを発するのもとても楽になってきます。

ワークショップに備えて、意図的にテンションを上げているわけではありません。遠足の前の日にテンションがあがって、興奮して寝付かれないのとも違います。むしろゆったりして、からだが気持ち良くいきいきとしてきます。もちろん心も明るくなります。

実は、しばらくレッスンがない日が続くと、とても落ち着きの悪い気分に見舞われます。このままではレッスンが出来なくなってしまうのではと、不安に襲われることさえあります。

そのため、レッスン前日にからだの変化が感じられてくると、「ああ!またレッスン(=からだ)がやって来てくれた。レッスンは私を忘れないで居てくれたんだ!」と、妙な喜び方をしてしまいます。

こうして書きながら、これは変だ!と自分でも思うのですが、事実なんです。私の場合、自分の意図・意志とは関係のないところで、自分を仕事(レッスン)へと促す何か(誰か?)が在る(居る?)ようです。そんな存在を私は仮に、平仮名で「からだ」と呼んでいます。

きっとこういうのを「病みつき」とか「宿業」云うのかも知れません。良くいえばミッションなのでしょうけれど。

でも間違いなく、レッスンすることは、私にとって掛け替えのない喜びなんです。

そもそも30年前、「野口体操」も「竹内レッスン」も、私が意図して習い始めたわけではなく、何となく成り行きに導かれて教室で学ぶようになり、ハマってしまいました。そのうえ竹内敏晴師匠から誘われて、竹内演劇研究所のスタッフまでやるようになってしまったのが始まりです。

いま思えば、野口三千三先生や竹内師匠のからだに、私のからだが引かれて、ついつい自分もレッスンをやるようになったのでした。

でなければ、恐れ多くて参加なんかしてません。野口さんも竹内さんも怖い人たちでしたから、、、臆病者の私にはとてもとても無理なこと。。。(笑)

テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ
2014年03月05日 (水) | Edit |

DCF00085ed-blg.jpg

「being」と「doing」。being の中に本当に自分を置ければ、doing は自然とはじまるのに、doing ばかり追いかけていると、自分がすり減るばかり。
仲間と共に being に腰を落ち着ければ、物語が始まるのだ (⌒‐⌒)

「囲炉裏端ものがたりプロジェクト(仮称)」企画中~♪

それにしても、一昨日はこんなに晴れたのに、お日様が恋しいです。

テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ
2013年08月11日 (日) | Edit |
楠

 この頃、姿勢が歪んでいることがよく話題になっています。

 姿勢のゆがみを直して、美しくなる、健康になる。調整法や矯正法があちこちで取り上げられています。

 それを見聞きするたびに、私は「?」と思うことが多いのです。

 私は常々「姿勢を支えるのは息(呼吸)である!」と云っています。

 ところが姿勢をよくするための多くのメソッドは、姿勢を支えるのは筋力によるもので、筋力を効果的に増強したり、バランスを矯正することで、姿勢が良くなると語られていることが多いようです。

 姿勢という言葉は、姿の勢いです。人間は機械ではありません。外形としての少々の歪みや偏りがあるのは当然です。定規を当てるように外から、姿勢を正すあり方は、生き物としての身体を扱う態度としては誤りです。

 外形から入っていく技法は、内的な勢いを無視し、力づくで身体という自然を縛りあげることになります。姿勢が良くなったとしても、それは商品や機能的な機械としての身体でしかありません。

 良い姿勢になるためには、良い呼吸ができなければなりません。良い呼吸とは深い呼吸のことです。深い呼吸ができるには、それを妨げている身体の緊張を解き、身体の内側の隅々まで呼吸がいきわたるよう、身体の内的な感覚とイメージを育てなければなりません。

 身体の内的で無自覚な緊張への気づきと、緊張の解除が、息を深くするために必要なことです。身体への感じ方が深まれば、息が身体の隅々まで行きわたることが実感され、息に身を任せていけば、自然と姿勢は伸び伸びとして、勢いを回復していきます。

 地に足がつき腰が落ちつき、上半身は軽やかな解放感に満たされます。外観には力強さと安定感、身のこなしのやわらかさが生まれます。存在感の勢いが鮮やかになってきます。

 私の師匠の竹内敏晴は「からだは空(カラ)だ」と云っていました。空っぽの身体の中を、勢いが立ち上っていく。それが良い姿勢だと、私は考え実践しています。

テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ
2013年05月12日 (日) | Edit |
木と空rs400



「からだとことばのレッスンってなんだろうか?」そんなことを考えながら過ごしています。看板出していながら、代表者が何を言っているかと、お叱りを受けそうですが。。。

実は「からだとことば」というのは、「窓」みたいなもので、例えば「からだ」という言葉の窓によって切り取られた光景の中に飛び込んでいって、本当は「からだ」ってなんだろうかと、探し歩くのが「レッスン」です。

私たちは「からだ」に様々な意味づけをして「からだとは~である」と決めているわけで、それは窓の中にさらに小さな窓を作って、からだを眺めているようなものです。

私は、からだ以外のものから、取りあえず区別をつけるだけの「からだ」という言葉、つまり漢字(象形文字)ほどには意味を限定しない平仮名を使ってそれを表してきました。

ことばは窓

これまでは「からだ」という大海に、着の身着のままで、舟も持たずに泳ぎ出ていくような有様でしたが、ようやく大海の中に目指す小島が見えて来たようです。

わかり辛いかな?
なに言っているのか、知りたい人、質問したい人、どうぞWSにきてみて下さい。

写真は、近所の雑木林に咲いているヒメジョオン。昔からの仲良しです (⌒‐⌒)

   
テーマ:楽しく生きる
ジャンル:ライフ
2013年04月17日 (水) | Edit |


今日も楽しくゆるゆる体操終了。認知症デイサービスは「からだ」文化の宝物館 !

このごろ「正座」を重要文化財にできないものかと考えている。

戦前は学校にお作法の時間があって正座は足の親指を重ねるのが良いとか、いや武道では親指を平行に並べるとか、、、。色々な 話が次から次へと飛び出してくる。ひとつの正しさではなく、様々な血のかよった「正しさ」が、景気よく語り出されてくる。時 には話がぶつかってトンガルこともあるけど、これが多様な豊かさと言うものだろう。

お陰さまで、私のちっぽけな正しさは粉砕され、「正座」への眼差しが更に拓かれる。

社会民族学を勉強してる妹が、オニスケ(お兄助)読むべし!と貸してくれたのが、写真の本。私と同じようなことしている人がい ることを知って嬉しい (⌒‐⌒) こんど著者に会いに行きたいな~~~♪

♪~認知症デイサービスでの「ゆるゆる体操」は脳ミソからだもゆるめちゃう。そうすると、頭もからだも良く働くようになる。 介護士さんが不思議がる ~♪