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2018年05月12日 (土) | Edit |
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『いのちのゆくえ』

郊外の夕暮れ。薬局の量販店前で、銅がね色の空気と黄昏の闇の狭間を人たちが行き交う。「ああ!こんな夕暮れ時があったな」と思う。懐かしさというか、ずっとずっと昔から知っている光景というか。

「私は、私の『いのち』が何を求めているのか、あるいは何処へ行こうとしているのかを、知らない。」そんな言葉がふと浮かぶ。「だから人(他者)が必要なんだ!」

公園の散歩の途中などに、見慣れた景色が、思いがけず息をのむような光景として立ち表れてくることがある。風や光が渦巻き、景色自体がいのちの鼓動を露わにしたような。

動転とか仰天という言葉があるが、その時自分という存在=実感は消え失せる。光景の蠢き、その動揺に飲まれ、我という実感は消え去る。光景が自意識を圧倒し消し去るのだろう。常態を外れるのだが混乱はない。

私自身はそんな光景を求めて出歩くわけでは無い。それは家族であったり飼い犬にせがまれての散歩、何かの用事や已むを得ない事情で外出するとき。日常に居たたまれず、逃げ出すように旅をするとき。自分で求めて歩くのではないことに意味が在るのだろう。

これは他者(家族も含め)や状況に、引き出されてのこと。言ってしまえば他者や自然の「いのち」に。私の外部に存在するものたちに導かれてのことのようだ。私の「いのち」が他の「いのち」と交響し、自我の眼差しの陰に隠れた光景を、露わにするのだろう。

自我によって分断された「いのち」が、本来の一つの「いのち」に還り、原初より「いのち」に蓄えられた光景が一瞬ではあるが、眼の前に展開する。そんな体験かも知れない。

それは自分(自我)の努力によって獲得されるものではない。自意識に追い立てられて、明日へ明日へと自分を駆り立てているときには、光景は姿を見せない。自分の意思を立てることなく、他(人・物)の都合に合わせて何の意図も持たずに歩むとき、まさに意表を突くようにやってくる。

遠くの夕焼けが辺りの闇を染め、人や物を静かに優しく、蠢く空気の中に浮かび上がらせる。

なぜこんな光景を、私の「いのち」が私に垣間見せるのか?その理由を私は知らない。私の意識的な操作や、意図的努力を駆使してそんな光景に見(まみ)えることはできない。

「いのち」は導き手でありながら、どこへ向かおうとしているのか、なにを求めているかを、私に告げはしないのだろう。正確には、「いのち」の行方を識る能力が私=自我には与えられていない。

「いのち」自体が、意識では見ることも聞くことも、要は五感によっては把捉できないものなのだ。しかしながらそれは、私の導き手で在ることに間違はいない。そして私の「いのち」は、他の「いのち」との出会いによって導かれる。私はそのとき、その行方の確かさを知ることが出来る。

我が師、竹内敏晴との出会いは、当時(1981年)の私にとって、師であり、父であり、兄であり、理解者であり、憧れの先生、「身内」としての竹内敏晴であった。そのとき竹内敏晴は私にとって他者ではなかった。そう思うからこそ安心があり、竹内に甘えることが出来た。

いま思えば、竹内の「いのち」と私の「いのち」との響き合いが、そこには在った。それゆえに私は自らの「いのち」を認めることが出来たのだ。竹内は「他者」であったからこそ。

私はだからこそ、私自身の「いのち」の現れに、それからの歩みを委ねることが出来た。私にとって竹内敏晴の「いのち」の歩みと、私の「いのち」の歩みとが、交錯したのが、私の竹内演劇研究所時代だ。

長い間、竹内の実践を我がものとしようと努力を重ねてきた。他者(竹内)の持ち物を自分のものにしようと、師匠だ手本だと自分の中に偶像を描き、それにしがみ付いてなんとなるのだ。それは他者(竹内)を自分流に解釈し、自分の中に虚像を描きそれを崇拝することではないか。

「いのち」に師匠も弟子もない。上下も高低もない。卑下も尊敬もない。竹内敏晴を師匠と呼ぶならば、私自身の「いのち」に道を開いてくれたことに関してである。その他何も頂戴したものはないのだ。竹内への義務もない責任もない。

「いのちの行方」は、私の生きている状況の一瞬一瞬の中で、他者や物に導かれていることを識れば良い。私の周りの全ての「いのち」が先生であり師匠なのだ。

レッスンの場は私にとって、参加者と私の、「からだ」と「ことば」の交響(響き合い)を通じて、私の「いのち」の行方を見出す場なのだ。参加者にとっても他者の「いのち」の開けに出会い、互いの「いのち」を開示することで、「いのち」の行方、一人一人の見ず知らずの自分=新たな可能性の原点から繰り返し歩みを踏み出す。

自らの「いのち」の存在は、他の存在を通じてしか、それと知ることの出来ないもの。学校で学ぶことはできないもの。そもそも近代自我意識による私物化は在りえないのである。私物化は「いのち」の死物化である。生きるためには、はかりごとを捨てて他者に仲間に「いのち」を差し出すのだ。私の「いのち」はそれを励ますのが嬉しいようだ。

振り返れば「いのち」は私と共にあった。これからも。

2018年05月09日 (水) | Edit |
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『初心』

対人援助の仕事をしている友人から、「仕事を辞めたいと思ったことはありませんか?」と聞かれた。彼女は自分の仕事のことで悩んでいるようだ。

考えて見たら私の場合は、竹内敏晴に出会ったのが1981年秋。現在は2018年。「からだとことばのレッスン」を37年間続けてきたことになる。その間私は、レッスンを辞めたいと思ったことは一度もない。

不思議なことかも知れない。常識的に稀なケースなのかもしれない(笑)「レッスンを辞めなければならない」と思ったことは何度かある。でもそれは経済的な理由からだ。このままでは生活が立ち行かない故だ。

結局はレッスンを続けてきた。そのたびに周りに迷惑をかけたと思うが、辞めることはしなかった。しなかったと言うより出来なかったという方が正確かもしれない。

今さらながらであるが、それは何故だろうと考えさせられる。
世間では、仕事へのモチベーションとか情熱とか使命感とか責任とか、いろいろ言うようだが、私にそんな言葉は当てはまらない。

「~ゆえにレッスンがしたい」と言うところの「~ゆえ」が抜け落ちている。理由が無い。ただ(レッスンを)やりたいからやっているだけである。世間的には目指すところもない。

「そもそも私はなにをやりたいのか。なにを実現しようとしているのか。」状況が八方塞がりになるたびに、心に浮かぶ言葉である。自分に向かって尋ねる「ばんよお前は何がやりたいのか?」

経済的なことや家族のことでほとほと困り果て、アーカシックレコード(前世記録・記憶)のセッションを受けたことがある。施術者いわく「あなたは生まれ変わり死に変わり、ずっとからだのことをやってきた」といわれ、自分の無力感に途方に暮れている私を「先生」扱いまでしてくれた。

だからと言って、覚悟をもってレッスンで身を立てて行こうと決心が固まったと言うでもない。レッスンを止めろと言われなかったことが救いかも知れないが、先行きが見えたわけでは無い。結局ズルズルとレッスンを続けた。その時はたしか、親に金銭の援助を申し出たと思う。

その前には、こんなことがあった。竹内演劇研究所から受け継いだスペース(ライヒ館モレノという地下スタジオ)を使って活動を続けていたのだが、賃貸料支払いのあてがつかず切羽詰まっていた時、たまたま足を運んだ北鎌倉で、円覚寺の学生摂心のチラシを目にして、二泊三日の座禅会に飛び込んだ。

禅会が始まって見れば、こんな状況で坐禅などしていて何になるのかと、さんざん身もだえし続けて、それでも家族や友人に格好をつけて出てきた手前、帰るに帰れない。腹立ちまぎれに丹田にいきを押し込んだら、なんと見性してしまった。自己突破、悟りである。

悟ったからと言って、状況が変わるわけでもない。この時は一緒にスタジオを運営していた仲間が、虎の子をほどいて運営資金を捻出してくれた。私も料理店や清掃のアルバイトをしながら、その後5年ばかりはなんとか食いつなぎ、スタジオで活動を続けた。

あの頃はいつも、貧乏の原因は自分に在ると、無い頭で考えた。自分のレッスンの力量が足らないからだとも考えた。そうして出る答えと言えば「常識的に考えればレッスンをやめて就職するしかない」となる。でも「分かっちゃいるけどやめられない!」である。家内から介護の仕事を勧められたのもその頃だ。

あれから既に10年を過ぎた。最近はその原因を自分に求めなくなった。そしてようやく竹内と出会い分かれた80年代のころ、三十数年前のことを考えるようになった。

私は1981年の秋に竹内演劇研究所からだとことばの教室に受講生として参加した。1984年から1988年にかけては、竹内のレッスンのアシスタントをするようになった。20代のころだ。いろいろ苦労はあったけれど、ともかくレッスンの場にいることが、楽しくてならなかった。

いま思えば、あの頃の楽しさというのは、竹内レッスンの中で自分自身が毎回毎日のように更新されて行くことだった。ラッキョウの皮を剥くように、新たな自分が露わにされていく。別に竹内敏晴に強制されてのことではない。だからと言って自分で努力しているわけでもない。

レッスンの課題に向かうと、自分の皮が破れ落ちていく。内側から自分を突き破るようにして、見ず知らずの自分=いのちの奔騰があふれ出す。あとはその流れに身を委ねるだけ。

いつの間にやら、自分も竹内レッスンが出来るようになりたいと思い、仲間を集めて試行錯誤を始めたりした。竹内からはアシスタントを頼まれ、研究所でもレッスンをするようになった。

といっても、理系の頭でっかちの私である。他人の「からだ」や「こころ」のこと、表現やコミュニケーションにまつわることが、分かるわけがない。演劇の体験も研究所での発表会のみ。見よう見まねでレッスンを手伝っていたが、本当のところはチンプンカンプン!けれどもレッスンに向かう私の心は明るく弾んでいた。

竹内敏晴の下で過ごしたのは、たかだか7年である。密度の濃い日々ではあったが、そこで何かを得たわけでは無い。おそらく竹内との出会いの中で、私の「いのち」に灯がともされたのだと思う。それまで自分を縛り上げていた常識的な観念。それは自己卑下の洞穴となり、私を独房の中に閉じ込めていた。

その真っ暗な闇の中で、私自身の「いのち」の輝きを、竹内が垣間見させてくれた。その輝きと共にあることが、以降の私の進む道を決定したのだろう。「いのち」の光が私の導き手であり、灯を消そうとする者たちとは、我武者羅に闘った。そこに現在に至る道筋が出来て行った。

レッスンの場に立つと、私の「からだ」の内側から仄かに明るい柔らかな流れがあふれ出てくる。意図してのことではない。竹内演劇研究所の解散によって、一人でレッスンをするようになって以来、それはずっと続いている。そういえばこのことを言葉にするのはなぜか初めてのことだ。誰にも話したことは無い。

今では「いき」のことがレッスンの大切な課題になっている。レッスンの場は私にとって「いき」が出来る場なのだろう。「いき」が生きることの主体となることが、レッスンの目指すところ「いきをしようよ!」だ。

いやはや!ずいぶんと時間がかかってしまったが、私を導いてきたのは「いき」だったのだ。37年を経てようやく分かった。

このごろ「初心」という言葉が気になる。私のこれまでの生き方を貫き導いてきたのは、私の歩みを促してきたのは、「いき」だったのだろうと思う。そしてこの「いき」が「初心」なのだ。

仏教では「発心」あるいは「初発心」といって、仏門に入ることを決意し学びを始めたその時に、既にその人は仏なのだと言う。(初発心時、便成正覚)

仏教と言わずとも、人が仕事につくとき、肉体労働者であれ介護師であれ看護師であれ、教師・医者・役人・政治家であれ、、。当人が世間(社会)の中で自らの仕事(役割)を選ぶとき、その決断を後押しするのが「初心」なのではないか?当人は社会的な地位や収入の安定を求めて計算ずくの選択であったとしても、その根っこには無意識にかも知れないが「初心」の促しが働いているのではないだろうか。

自分の仕事を選択した瞬間に成仏とは言えずとも、自分の心(=からだ=存在)の奥底には自身の仕事をまっとうさせ他者を幸福に彩る、そこに至る「種子」が「初心」として蒔種されているのではないだろうか。

そういえば、1982年から一年半、私は公立中学校の理科教員を勤めた。春に新任で入って翌年の夏休みには辞職した。早々に逃げ出したのだ。当時、東京の公立中学は荒れに荒れていた。設備破壊・対教師暴力・校外での非行。教師並びに教師集団は、生徒の管理に必死であった。

私が教師を目指した「初心」は、生徒や子供たちと共に学び過ごす喜びを求めてのことであった。ところが教師たちは、生徒の氾濫を鎮圧するために団結し、目を吊り上げて生徒の「管理」に血道をあげている。

(余談だが、日本人には人権という発想が無い。人権というのはもともと日本の伝統文化にはなかったのだ。近代化に伴って体裁として西洋の発想を取り入れたものだ。血肉化されない思想は酷い結果を強いる。当然現代においても「人権」という考えは成り立っていない。そのため日本人が管理を持ち出すと、それは管理しようとする側から管理される側への脅迫や恫喝へと進展する。当然のことなのだ。「人権」という西洋思想に代わるものが、あるいはそれより深く日本人の心に根差した発想が在りそうな気が私にはするのだが。当時、生徒の将来をおもんばかってと言う教師たちの思いは正当かも知れないが、実際に教師集団のやっていたことは生徒への脅迫と恫喝以外の何ものでもない。)

「喜び」と「管理」とは、絶対に相容れない。大学出たての私は、そんなことには考えが回らない。だからただただ不安と苦痛のままに学校で過ごし、宵になれば飲んだくれて、夏冬の休みを待ちわびる。

エンデの「モモ」の中で、広場に集まる子供たちが学校に接収され、仲間は仕事(=金儲け)にかかりきりにされ、モモが一人きりになる場面がある。私もそんな孤独感に苛まれていた。「どうなっているの?どうしちゃったの?」というところ。

カメのカシオペイアの代わりに、竹内敏晴に導かれて、時間泥棒との闘いの世界へ飛び込んでしまったのかもしれない(笑)

対人援助職の友人を見ていると、初心と現場の求めが、逆方向を向いてしまっている気がする。これが世間の常識なのかもしれないが、人のために良かれと思い、自分もぜひ働きたいと願って入った職場なのに、実際には施設の業務と組織の運営に明け暮れくたびれ果てている。

結局、施設利用者との人間的な交流やその喜びはほとんど得る機会を持つことができない。利用者からは有能な管理者と認められるだけである。初心としての本流、その人の中に蒔かれた種子は、その伸びるべきところを遮られ、押しつぶされ閉じ込められてしまう。苦しいだろう。

「初心」に還れないものだろうか?初心は死に絶えはしない。表立っては見えないかも知れないが一人一人の中にある。そこに帰って、今一度自分の道を築き直すことはできないだろうか。今の職場(仕事)はそのままでも。

2018年05月06日 (日) | Edit |
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『繭籠りの時季』

『「からだ」を「いき」にゆだね、「いき」に「ことば」を語らしめる。』
私にとっては「ことば」は誤魔化しようもなく逃げ処の無いものとして、眼の前にある。どうもこの辺りのこだわりが世間と折り合いのつかない原因なのだろう。

最近自分の立ち位置がハッキリしてきた分、世間との繋がりが希薄になってきている気がする。繭籠りの時季なのだろうか?

自分の「いのち」を晒し、他者の「いのち」と響き合い、「からだ」と「ことば」の再生に取り組む。それが私にとってのレッスンである。

レッスンに入ると、私の「いのち」は自由にはばたく。時間と空間の流れを「いのち」が風のように自在に舞う。その流れに身を投げ込むように、私はレッスンの場に自分を委ねる。

ただそれだけ、計画や指導法などといものは無い。

流れは静かに流れることもある。笑いの渦となることもある。激しく沸騰して高ぶることもある。けれども2時間なり4時間なりのレッスンの時空を行くとき、新たな発見に満ちたひと時の旅を終えるように、無事に旅を終えたささやかな喜びが身内を満たす。帰途につく私の足取りは悠々として、夕闇は広々と私を包む。

くり返されるレッスンの旅が、参加してくれる一人一人の存在感の変容を新たにする。そこには目に立つような派手やかな変化はない。けれども一人一人の根底からの、ささやかではあるが確かな変容が息づいている。

私自身は、他者の変容を目指してレッスンをするわけではないが、レッスンの中で一人一人の個性=存在が開かれてくる瞬間に立ち会うことは、私にとって何よりの喜びである。私を繰り返しレッスンに向かわせるのは、その喜び在ってのことだろう。もちろん他者の変容を意図して狙い、旅をしているわけでは無いのだが。

レッスンの場においては、私の「いのち」が、参加してくれる一人一人の「いのち」の風を受けて、共に自由に舞い踊りながら、流れを行くのだ。生かされ合う場なのだから、もちろん私も生かされる。「いのち」の自由を生きるのだ。

私は技能を教えない。教えるとすれば一人一人が自分の「いのち」にふれ合うための、手がかりとなる野口体操くらい。これも参加者が正しいやり方を覚えることを目的にはしていない。

ただ「いのち」の流れに身を委ねる手がかりとして、体操の動きをやって見せる。簡単な説明をする。頭でっかちな人には、雷を落とすこともあるが、基本その人自身の「からだ」とのつき合いが、一人一人の中で深まっていけば、それ以上に文句はない。

「からだ」の流れの方に、一人一人が身を寄せることが出来ていれば、「からだ」は自ずから「いのち」の流れに身を委ねて変容を生み出す。それだけのこと。ただしいつまでも頭でっかちで、自らの「からだ」を支配し、「いのち」を見下す人がいる。そんなとき私の「いのち」は渦巻く風となって、その人の固まった脳みそを打ちのめそうとする(笑)

そんなこんなで、私にとっての立ち位置、、、というか在りようというかは、ハッキリしてきたのだが、どうやらこういうことは世間の百花繚乱する様々なカテゴリの中には、収まりどころがないようだ。

世間は「タメになる」ことを求めて、次から次へとまさに百花繚乱のメソッドや情報や品々が溢れる。消費者は自分の欲求に応ずるものを、次から次へと求めて歩く。世間は求めに応じる物を次から次へと提供してくれる。

私は、提供するものを持たない。持とうともしない。消費とは、取って捨てることである。「いのち」は取ったり捨てたりしなくても、いつも私と共にある。そのうえ個々にあらかじめ個性的なものでもある。個性と個性が共にあれば、響き合い擦れ合い熱を帯び、新たな花を咲かせる。

私自身は、何かを世間に求める気にはならない。だから世間との繋がりは希薄になる。

そうそう、レッスンでよく逆立ちをやるが、逆立ちの原則は、無駄足掻きをしないことである。逆立ちをしようと努力・緊張することが無駄足掻きなのだから、それを止(や)める。そうすると誰でも楽々と逆立ちが出来てしまう。

世間は無理してでも「タメになること」を次から次へと求め続ける。無駄足掻きをしないとは、無理をしないこと。無理とは、理にかなわぬことを一生懸命やること。ご苦労なことだ。

レッスンでは無理をしない。出来ないことはできないことのままで良い。「いのち」の「理に適う」ところ見出して行けば、生きることは生きてるだけで、案外楽しいものだ。

こんな楽しさを共感・共有できる場を、創って行くしかないのかな?今はそのための繭籠り=変態のときか?貧乏は致し方ない時か?喰うためにはバイトでも探さなきゃならないのかな(笑)

繭籠りの枕の夢より。

(せとじま・ばん)

2018年05月04日 (金) | Edit |
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『無明と分別知』

分別知という言葉がある。日本語にすれば、分けて知る。
無分別知という言葉もある。これを智慧・知恵・智恵という。恵まれたものをそのままに知る知である。やってくるものを手を加えることなく、計らいによって加減されることのない、そのままの姿。

「知」とは意識の働きである。意識とは本来、透明なスクリーンのようなものである。鏡に譬えることもあるようだが、そこに映るすべてをそのまま映す。意識自体はそこに映りこむものに対して選り好みをしない。

ふつう私たちが意識と呼ぶものは、フィルター越しの映像である。価値観=分別の網の目によって篩い分けられ取捨選択され残されたものが、意識されたものであり、スクリーンに映ったものを仮の事実と見做している。

分別知とは、この取捨選択されたものである。取捨の「取」を私たちは意識に映す。「捨」は意識に映ることなく捨てられる。スクリーンから排除される。それがどこへ行くのかと言えば、眼に入らないだけで実際には存在し続ける。これを仏教用語では、「知」の「明」に対して「無明」と呼ぶ。

「光」と「闇」とも言う。明暗は逆転するが、「地図」がこれである。地図の背景は白紙であり、この「地」の上に、黒ペンでもって「図」が描かれる。背景が黒地の地図を考えた方が良いかもしれない。黒地=闇の上に、白のインク=光で模様が描かれる。

描かれるのは図式であり言葉である。それらは抽象されたもの=観念であり、実体から本来の特徴の多くをそぎ落としたものだ。そのそぎ落としたものを、私たちは「地」=この場合は黒地=闇の中に落とし込むのである。

地図の「図」の意味するところを理解するには、前提となる「地」の豊かさを育てることが必然である。どのように細密な「図」を描いたとしても、「地」が十分に耕され、経験という豊かさに満たされていなければ、「図」を読み取ることはできない。

「意識」は、スクリーンであり同時に光でもある。写されるもの(スクリーン)と映すもの(光)は別物ではない。これが分別的な理性によっては、把捉、認識の敵わぬところである。体験として捕まえることしかできない。

物理学では、「光」を質量を持つ物質的な存在として見るのと、波動として見ると言う二つの観点が書かれていたと思うが、これが分別知の限界なのだと思う。「光」は説明され得るものではなく、その恩恵を体験をもって善しとされるものなのだろう。

ともあれ、「意識」とは本来、映し映される光そのものである。仏教用語ではこれを「無」とか「空」と呼ぶ。「空」おいてすべてのもは、自在に流れ合い舞い踊り歌うのである。これを日本語では自由と呼ぶ。

ちなみに英語のfreedomという言葉が「自由」と邦訳されているが、鈴木大拙さんの言うにはfreedomというのは「~からの解放」という意味を持つそうで、日本語の「自由」とは、その意味するところが違うそうだ。大拙さんは「Aは非AにしてAである(即非の論理)」と言っていた。西田幾多郎さんは「絶対矛盾的自己同一」と言った。

分別知の活躍にとって無明は必然のものである。無明無くして分別知は在りえないし、分別知無くして無明も在りえない。エデンの園で知恵のリンゴの実を齧って、人間は人間になって、エデンを追放されたと言うが、知恵を持つことの苦労は「いのち」の全体性から自らを切り離したと思い込んでしまうことにある。

人間は全体性を回復しようとして、故郷に帰ることを望みながら、分別知を働かせる。「古里は遠くにありて思うもの」である。分別知は、近づこうと意図しながら、次々に区分けの壁を造り出していると言う矛盾に気がつくことが無い。

「良し悪しをすべて己と見て歩む」それが無分別=本来の「意識」の姿に則った生き方であろう。そこには矛盾は無い。矛盾が無いから葛藤の苦しみが無い。すべてが良し悪しの分別に色付けされることのない、在るがままの豊かさと自由がある。

「天地人」とは、天と地と人を分けて考えろと言うことではない。その分け隔ての無いところを生きろ、と言うことだ。キリスト教で言うところの、「エデンの園」である。古里であり、豊かさに満ちた「いのち」の交響するところ。それは今ここにある。

無知の知、無分別を知る(識る)ことによって露わになる世界。幸せの青い鳥を求めて流離うことは無いのである。もちろん悲しみも喜びも怒りさえも、そこにはある。ただしそれが無明の中に蓄積することは無い。必要とあらば感情は姿を現し、必要を終えれば過ぎ去っていくのである。

2018年05月04日 (金) | Edit |
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『無明をこえて煌めくもの』

「からだ」を「いき」にゆだね、「いき」に「ことば」を語らしめる。

自我の発生

意図的な身体操作の始まりと、自我の発生。
思い通りになる、ということ。

細胞を囲む膜のこと。ここには内外の区別が生まれる。然しながら内と外は同一である。区別する細胞膜自体が、区別されたものなのだ。

細胞膜自体が、区別そのものか?
内外に区別があると見るのは、細胞膜自体であって、水や海水は、内外の区別なく浸透し合っている。
内外には差異があるだけで、区別という固定したものは無い。

細胞膜自体は、内外の調和した関係を保つためにあるものか?


痛みは自分ではないという。痛みは自分には属さないという。では、痛みの最中に生じている、痛みではない自分とは何だろうか。それをどう言い表せばよいのだろうか?

火渡りの修行が行われるが、火傷も痛みもないはずだ。
時間と空間というのも、観念である。それに対抗する考えとしては、自分が時間であり空間であると言う考えが成り立つかもしれない。

天・地・人、人が無ければ天も地もない。天地が無ければ人もない。

海の水から生命は誕生したと言う。果たして誕生をしているのだろうか。私たちは相変わらず、海の水ではないか?海の水に包まれているのではないか?

「いき」とは、運動である。固定してこれだと掴むことは不可能である。体験として「いき」そのものとなって過ごすしかない。それを体験後に「いき」と認識するのである。自我が破れ、新たな自我の形成が成される。成長である。自我とは取って付けて武装する類のものではない。常に更新を繰り返し、その運動を全うするのが、生きることではないだろうか?

この運動にも、繰り返されるパターンがある。しかしながらそのパターン自体が、重ね重ねの変容を孕む。

天体の動きがパターンを持つが、それは同時に機械のような精密軌道に収まるわけではない。変化を伴う運動である。

天体の運動というゆっくりとした変化に対して、私たちの時間は極端に短い。だから天体の運行は変化のないパターンを繰り返すように見えるのだろう。

時計の針は動いているが、その動きを目で見て捉えることはできない。
しかしながら、時計の針は動いていると、私たちは見ている。
目で見て耳に聞いて捉えられない運動がある。心臓の鼓動に重きを置くのは、それが運動をしている証拠となるからだろう。振り子の往復は時針の動きそのものではないが、秒針の動きもしかりであるが、分針時針の動きをそれらは証拠づけている。

自我と「いき」の関係。「いき」のみになるとき、自我は経緯を見守る透明な視点となる。「いき」が活動を始めるとき、自我は身体という実体感を持たない、或いは身体との結びつきの実感を離れる。

私=自我の実体感は、「いき」の運動にブレーキをかけるときに、意識される。ブレーキを外せば、自我は成り行きを見渡すための特定の観点を持たない視点である。

「いき」の繰り広げる劇場で「いき」に伴走をするのが自我と言っても良いかもしれない。

感情は「いき」の在りようだろう。喜・怒・哀・楽。感情はやってくるものだ。私を満たし私を走らせる。荒ぶる「いき」。これは他者の自我、つまり他我との関連において、私を通り道として、他者に向かう者か?

喜・怒・哀・楽は、他者や外部の状況を受けて、他の「いき」の解放を目指して、他我を揺さぶる「いき」の運動である。

私自身の内的な状況からの解放を目指して、意識化され頸木からの解放を狙って、蠢き身もだえをもたらす、喜・怒・哀・楽の感情=「いき」の運動もある。

「いき」の連なり=「いのち」の一つであることへの再生を目指して、「いき」は変幻自在である。連なりを切り殺そうとする者への、「いき」の氾濫は、様々である。

自我・他我は、「いき」を絶ち「いのち」を私物化し飼いならそう、支配しようとする。
そこを逆転させて、喜・怒・哀・楽をあえて表現することで、自我・他我の消滅を成り立たせる。演劇や歌など、「いき」の解放と、自我・他我の焼却再生を目指すものだろう。理性=既得概念と「いのち」の葛藤を、「いのち」の側から超えるのだ。新たな地平へと飛び出し、俗世の価値観を離れて、新たな価値世界を作り出す地平に共に立つのだ。

対立や相克の根を断ち切るのだ。自我も他我も、互いに他があってのこと。相対的な価値観の尺度は、自から見れば正、他から見れば誤。それを互いに他に投影し合う。正を持つことは誤を排除すること。無明の始まりである。

自我・他我の対立は、互いにその無明より来る。自我との同時発生による無明を閉じ込める、それと同じことを他者にも求める。自我は自らの無明に抗して自分の正当性を求める故に、その正当性に反する他者の行いをも、無明の中に閉じ込めようと努力を始める。

正⇔誤、美⇔醜、善⇔悪、好⇔悪、良⇔悪、賢⇔愚、永遠⇔刹那、富⇔貧、好⇔嫌、愛⇔憎、執着⇔自由、、。いずれにせよ自我は、一つの価値を持つときそれに対抗する価値を、切り捨てる。どこかに切って放り出すわけには行かないから、無明の中、意識の光の届かぬところに仕舞い込む。

集団的にそれが成されるとき、無明は深く力を増す。一つの正義の旗印のもとに人が集うとき、その集団の団結の向こうには、自分たちの正義を脅かす、つまり無明の悪を体現する他の個人なり集団を発見する。憎悪は、それらの悪と見做される個人なり集団を滅ぼすことへと向かう。内なる無明の悪の投影スクリーンとしての、異なる価値観を持つ他我あるいは集団への攻撃。それは行きつくところ、自分あるいは自分たちの集団を滅ぼすことに向かうのだが。

「いき」は、自我と他我、そしてそれぞれの無明を貫き、自己の全体性を垣間見せる。雷が走り世界を一瞬にして浮かび上がらせるのと一緒だろう。すべてがあるがままに、現前する。無明に閉じ込められていた、「いのち」の片割れも含めて。他者の中にもその片割れを見る。

無明とは、私たちが相対的な価値観を重用する故に、生まれてきたものか。「いき」から見れば、明(意識)と無明(無意識)を含めて、私なのである。どちらかに偏り、互いに他を排除することは無い。明にせよ無明にせよ、その一部でも排除することは、自分の存在を切り捨てること。それは自分を殺すことなのだから。

自分の一部を殺すことは、恐怖であり苦痛である。それを他者を傷つけることで埋め合わせようとする。それは自分を殺していることだ。

良し悪し含めて、私は私であり、他は他なのだ。それを事実あるいは真実として認める以外に、道は無いのではないか?

「いき」の流れ合いは、自我・他我を粉砕するのではないようだ。自・他それぞれの良し悪し含めた自・他を、そのまま露わにするだけだろう。在るがままというが、分別の色眼鏡を取り払って、自分と他者の姿をそのまま認めることだろう。

カッコつけるでもない、裸になるのでもない。そのまま全て自分であり、そのまま全て他者なのだから。

無明への得体のしれない恐れもない、明(知)への力みや奢りもない。気楽なものである。靄に陽が差し込むような静かな喜びがあるだけだ。