2017年05月22日 (月) | Edit |
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 世間がミレニアム、2000年紀に沸いていたころのことです。

 私は、鈴木大拙さんの著作に出会いました。彼は、明治時代に米国に渡り西洋の人たちに仏教書の翻訳や禅の紹介をした人物です。私が読んだのは、禅や日本文化について英文で出版されたものを、日本語に翻訳したものでした。

 読んでいると、なにか心にスッと入ってくるものがある。内容を理解しようとしても、意味が分からないところが多々あるけれど、自分の解釈を挟み込まずに、ただ字面を追うように読んでいると、感動して涙が出てくる。ああこれだ!これだ!と文章に頷いたり、読みなれない漢文に居眠りをしたり。心が強く動かされました。

 なんでこんな文章に、自分が感動しているのか、全く見当がつつきません。読みなれない文章が多く、そもそも意味がほとんど分からない。

 大拙さんの英文を、日本語に訳したことに意味があるのだろうと私は考えました。彼は、英米文化という、日本とは全く異なる文化の中に、東洋思想並びに禅と日本文化を伝えてきました。明治時代にサンフランシスコの地で、お経や道教の文献の翻訳をして過ごしたのです。近代合理主義の西洋社会の中で、西洋の言語をもって、一見、前近代的と見られる東洋の思想(=ものの見方と考え方)を伝えようと奮闘した人です。

 西洋人に理解できるよう、彼らの論理や思考(言語)に則って著わされた文章が、月日を経て日本語に翻訳され、私の手元に届いたのです。それを読んで私は感動している。

 本の中で語られる日本の文化は、意識を介さずに、私の感性へと直接に訴えてきました。それに比べて西洋由来の文物は、壁を隔てて無理やりに自分のものにしなければと、いつも努力を自分自身に強いていたのでしょう。自分のものの見方考え方が、いかに西洋化して(されて)いたかを、このとき思い知らされたのです。

 (野に咲く花は言葉少なに春の訪れを私に告げてくれる。
近代的な知と技術によって品種改良を重ねた大輪の花は、私に大きな声で訴える。
私の美しさはあなたの物ですと語り掛けるよう。
大輪の花は、私の意識に訴える。私の脳に刻印を与えるかのように。
野に咲く花は、私の中にいつの間にか入り込み、揺れて微笑む。)

 これまで長らく、人生の中で抱えてきた違和感の正体が見えてきたような気がしました。西洋列強による世界の近代化・植民地化がもたらした文化の移入による変化は、私という存在を内と外(深層と表層)に分断してしていたことがわかりました。

 世間によってこれが素晴らしいと価値を認められるものが、私にとって大切なものとは思えない。高度経済成長と軌を一にするようにして育ったにも関わらず、私はその時代を牽引する西洋由来の価値観(合理主義)を受け入れられずに来ました。あるいは、それを自分とは関係のないもののように感じながら、これまで過ごして来たのです。大拙さんの著作を読むことで、西洋由来の思想や文化に価値を見出すことができずに来た自分を、発見することができたのです。

 その後、3年がかりで大拙さんの全集33巻を読破しました。相変わらず理解は届かないけれど、仏教には、私の心に直に触れてくる「何か」があると感じていました。実際に「坐禅会」に参加してみたこともあり、そこには私が子供のころから、学校や社会から学び学ばされてきた、ものの見方考え方とは全く異なる世界観があることを体感し、理解をしはじめました。

 とくに日本文化を支える大地性と身体性が、私の中に浮かび上がってきました。そしてそれまでずっと掴み切れずに来た、竹内敏晴・野口三千三の両氏が語る、「からだ」(漢字の「身体」ではなく、ひらがなで「からだ」と語る。「野口体操」と「竹内レッスン」のキーワードです)の意味が、おのずと観えてきました。

 それまでは、彼らの語るところを、私の意識の表層にのっかっているだけの、自分の中に根を張ることのない知識で理解しようとしていました。それは骨格や筋肉など近代解剖学の知見に基づいた「身体」への理解、物理科学による運動論、生化学からの医学的身体観、心理学の知識、等々、私が無自覚に頭に詰め込み、身に抱えていたものです。

 (私は物理科の大学を出ています。子供のころから大学を卒業するまでに、人並みに一生懸命そんな科学の知識を身に付けてきたのですが、まあ、「馬子にも衣装」みたいなものですね。馬子には馬子の生き方あるはずなのに、衣装が独り歩きしていたように思います。)

 以来、西洋由来の近代科学的な見方や考え方に囚われず、直接に「からだ」を観ることが始まりました。知識を介さずに直接に自他の「からだ」に関わることへと、道が開けたと言えます。そしてその足取りを導くように、仏教や東洋の考え方がレッスン実践への、行き詰まりを解いてくれる。仏教の考え方は、仏さんが答えを出すのではなく、自ら答えを求める者のダウジングロッド(方向指示器)みたいなものです。「そっちではないよ。こっちだよ。」と暗黙の裡に静かに語り掛けてくれていました。

 以来、私は自分の中に詰まった、近代的なもの見方や考え方(意志や頭脳の能力を第一義とする)を疑い、自分にとって一つ一つ確かめては手放して行くことをしてきました。その呪縛を一つ一つ切り離しては、自由になっていった、自分に還っていったともいえそうです。そのことで仏教の考え方の意味が身に染みてきます。自分の深層に隠されていた仏教の持つ考え方(感じ方)が浮き上がってきて、新たな観点が生まれてきました。

 竹内レッスンも野口体操も、西洋から移入されたものではありませんでした。私の師匠、竹内敏晴は江戸の名残の多い下町に育ち、学生時代は弓の達人でした。彼の度外れた集中力は、弓道で培われたものです。野口三千三は群馬の農家の出身です。彼は土に育まれ、近代体育を極め、それを超えて独自の体操を編み出しました。彼らのレッスンの実践と思想は、日本の風土、大地性を離れては成り立たないものです。

 それを私は、常識的な西洋的知見によって理解をしようとしていた。そこに、そもそも無理があったのです。

 こう言ってしまうと、西洋思想の価値に対する否定になってしまうかもしれません。もう少し丁寧に言うと、西洋思想を手放したといっても、それが消えてしまうわけではありません。生活していくために、世を渡って行くために、合理主義的な考えを理解することはできるのです。手放すとはしがみついていた手を放すことです。それに縛られない。思想や価値観に縛られないということが大切だと今では思うのです。様々な思想や価値観を持っていることに問題はないのですが、それに縛られてしまうと、物事を直接ありのままに見ることができなくなる。

 戦後の教育によって、西洋由来の思想や価値観が、絶対のものとして無自覚のうちに私の頭脳に刷り込まれ、私自身がそれに縛られて、合理主義的意識のフィルターを通してしか、物事が見れなくなってしまっていたのです。そこには自縄自縛があって、物事の本質をありのままに見る自由が、奪われてしまっていたのです。

 また、せっかく自分の中から育ちゆく個性的な考えがあったとしても、一般的常識的な価値観がその表現を阻害してしまう。これは東洋思想、もちろん仏教についても同じことです。それが縛りになって、現実を直視できなくなっては何の意味もないのです。

 多様な価値観という言葉が流行っていますが、多様な価値観を認めるということは、そう思う一人一人が、自分の思想や価値観の呪縛(しがみつき)から自由になるということがポイントではないかと思うのです。これは、キリストもブッダも同じことを言っているかもしれません。

    *    *    *

(以下Facebook補足のコメント)
【ブログを更新しました】
「自由」って何だろう。鈴木大拙さん曰く「今一般に使われている「自由」という日本語は、英語の「freedom」あるいは「liberty」からの翻訳である。どちらも「何々~の自由」つまり束縛するものが前提として在って、その束縛からの「自由」が「freedom」あるいは「liberty」である。けれども日本語の伝統や仏教の中の「自由」という言葉には、束縛・拘束からの解放というニュアンスは入ってこない」とあります。「自由」とは「自ずからに由りて」とも書いています。この「自」は「自我」つまり「私」ではない。「いのち」の働きそのもの=「自(おのずから)」に由りて、生かされ行動していくのが日本語の「自由」だと言っています。これは日々「いまここ」を生きることでもあるようです。私の師匠たち(野口三千三・竹内敏晴)は、「からだ」は「から(空・無・虚)」「だ(た・たち・立・経)」だ、などと言っていました。「身体」=肉体・ボディーではなくて「からだ」。これも「いのち」の働きを前提としています。それでは「いのち」とは何を表す言葉なのか?一つ一つの言葉の定義を見直していくことの重要性を強く感じています。そうしないと形骸化して中身の得体のしれない言葉が飛び交って、人間のつながりがが切り離されていく、そんな危惧を感じている今日この頃です。(せとじま・ばん)


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2017年05月12日 (金) | Edit |
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 逆から言えばわかりやすいと思いますが、新宿の雑踏を行く人たちの姿を見ていると、ほとんどの人が、意識が胸から上に揚がってしまっている。腰から下、下半身への意識がなくなってしまっています。

 道行くその姿は、隙を見せぬかのように、息を飲み込み胸と喉を詰め、顎を持ち上げ、まるで胸像が互いに人ごみの中を行き交っているような有り様です。意識を総動員して上半身で自分を表現しているのかも知れませんが、足腰は自動ロボットのよう。足元に個性や性格などありはしないしないと言う塩梅です。
 様々な履物に足を包みながらも、どれも同じような表情の足。足は物体としか見ていない。生き物ではない。ギクシャクとした足取りなど、誰も問題にしていません。足腰のことなど老人の問題で私には関係ないとでもいうように、街中を闊歩している姿が目につきます。

 前置きが長くなりましたが、新宿の路上を行き交う人の意識の置き処(自分)は、胸から上になってしまっているのです。時代の成り行きで仕方のないことかもしれませんが。

 この頃は「いきと姿勢のレッスン」を大切にしています。意識が上に揚がっているのだから、それを下半身に下げる練習です。
 胡坐(あぐら)をかいてお尻に座布団を敷きこんで、臍の下あたりに意識を置きます。
 息の出入りに伴なってお腹の中身が変化しています。内圧の変化というと難しいかもしれませんが、息を吸うのに伴って横隔膜が下降し、お腹の中の気圧が高まります。吐けば気圧が低くなる。

 お腹の皮が張ったり緩んだりで、誰にでも分かることですが、表面的な皮膚の伸縮運動よりも、お腹の中の感じが変化することに注意を向けることを大切にします。
 骨盤に囲まれた空間は、後ろは仙骨、横は腸骨、お腹の前側を囲む骨はありませんが、盤とは器ですから、恥骨や座骨も合わせて、ワイングラスの底のように骨盤は胴体の中身を下から支えているわけです。

 骨盤の中身の変化に注意を向け、呼吸に伴う骨盤の内側の微かな動きを感じてみます。基本はこれだけです。
 姿勢は頭蓋骨のてっぺんの蓋を開けて、上からのぞき込むと、からだが柔らかい管になっているようなつもりで軽く姿勢を支えます。

 あくまで大切なのは、呼吸(いきの出入り)に伴う、骨盤の中身の微細な変化に着目することです。できれば臍から下の骨盤に加えて、足・脚・床の下まで注意を広げてみます。
 「いき」に意識を向けていると、面白いことに脳が抵抗を始めます。
 「どうやって息をすれば良いのか?」「このやり方で良いのだろうか?」「息が苦しいのだけれどどうしたら良いのか?」「こんなことして何の意味があるのか?」「今晩のおかずはどうしよう?」「腰が痛い、膝が痛い、足が痛い、鼻が詰まる、息ができない」「眠い」「気持ち良い!」「光が見えた!」「これは素晴らしいことだ!」「宇宙がイメージできる!」・・・。
 書き出せばキリがないことですが、これらは全て「いき」の微かな変化に意識を向け続けようとするとき現れてくる、脳が意識に介入しようとして見せる妄想です。

 脳は、意識が「いき」に向かうことを嫌うようです。集中を妨げようと、ありとあらゆる幻想を見せてくれます。
 まあ、妄想だからといって毛嫌いすることはありません。ただ、問題となるのは、妄想に意識を捕らわれているときには、「いき」の変化への注意がおざなりになってしまっていることです。

 子供の我儘に耳を貸さずに、大人が大事な用件に注意を向けるのと同じです。妄想は脳の我がままですから、自分がその雑音に捕らわれていることに気が付いたら、お腹の「いき」に意識を戻せば良いのです。これだけ!

 なのですが、脳(自意識・自我)は繰り返しあの手この手で、チョッカイを出してきます。その都度、お腹に注意を戻すしかありません。実はこのチョッカイは、意識が「いき」に集中していることへの証明でもあります。集中への道標の役割を果たしているのです。

 妄想が出てきたら、それを離れてお腹に意識を戻す。これを繰り返すのが、「いきと姿勢のレッスン」の内容です。
 一種の筋トレです。普段の浅い呼吸に合わせた呼吸筋の使い方(身体全体の筋肉の使い方でもありますが、その運動イメージ)は、脳の中にインプットされています。それを深い呼吸の身体運動イメージへと書き換えていくのです。
 脳は一度インプットされた身体の使い方の情報を守ろうとします。これが脳の性格です。そのため、先に書いたように、それを意識的に変更することに、脳は妄想でもって徹底的に抗おうとするのです。

 お腹の中の「いき」の微細な変化に意識を向ければ、脳は妄想を見せます。「いき」に集中できている証拠です。集中できていなければ妄想は現れません。
 ただし妄想に耽っていては「いき」への注意を離れてしまう。そこでまた「いき」に意識を戻します。しばらくするとまた妄想が浮かんでくる。「素晴らしい考え」や「光が見える」など、魅惑的な妄想もありますが妄想に変わりはありません。そこでまたお腹の中の「いき」に意識を戻す。
 「いき」と「妄想」の間を行ったり来たりするその往還運動の繰り返しが、実は「集中している」ということなのです。集中とは、不動の静止の中に浸ることではありません。変化とともにあることなのです。

 この往還する変化の渦中を、自分の置き処とすることができるようになるのが、「いきと姿勢のレッスン」なのです。
 当たり前のことですが、生きている限りは呼吸に終わりがないのと同じように、当然「いき」のレッスンに終わりはありません。
 けれども僅かずつではありますが、繰り返すことで「いき」の置き処が変わっていきます。

 あまり目先の効果を謳いたくないのですが、10分ほど「いき」に意識を集中するだけで、「からだ」(感覚)と「こころ」(気持ち)に変化が出ます。ともかく「気持ち良い!」という感想が多いのですが、そのほかにも「からだもこころも楽になった」「スッキリした」「ずっと坐っていたい」「重心が低くなった」「からだは軽いけれどもどっしりと安定している」「安心して坐っていられる」等々。

 胡坐をほどいて立ち上がってみると、「地に足がついて、立っているのが楽だ」「背が伸びた・背が高くなった」「視野が拡がった」「周りの様子がよく見える」「立っていることが楽しい」「動き出したくなる」「重荷を下ろしたようだ」等々。普段とは違う自分の「からだ」と「こころ」が現れてきます。

 そして、明るく柔らかく静かな空気がその場を満たします。一人一人の「からだ」がゆったりとその場に解き放たれます。人とともにいることの安心感が生まれます。

 冒頭で、新宿の雑踏を行き交う人の意識の置き処(自分)が胸から上になっていることに触れました。
 自意識(自我意識)を前面に立て路上を闊歩する人々の姿がそこにあります。脳を司令塔の頂点に立て、意志の力で自分を引き上げ、人群れの中を渡っていく。それは、意志のアンテナを張り続け、意志的な緊張を常に心身に背負いながら、自分(自我)を保ち続けている姿です。

 意識の置き処は脳であり、その支配力を持って自分をコントロールし、状況や他者に向かい自分を在らしめている。
 そのため脳は常にフル回転をしている。睡眠時のほかは、脳の休まる暇がありません。
 さらに脳が回転しているときには、常に身体も状況に対して緊張し身構えています。自意識も次から次へと考える作業に明け暮れています。

 こんなことを続けていれば、心と体を四六時中張り詰めていることになり、神経症や心身症に陥って当然です。その上せっかくの休日でも自意識は普段通りに働き続けてしまう。本当の休息は成り立ちません。

 さて、意識の置き処がお臍から下に降りてくるとどうなるか。まず、自意識の暴走する様子を、距離をとって眺めることができるようになる。

 お腹の位置から頭上を眺めて「脳(自意識)のやつ、相変わらず頑張ってやがる。そろそろ脳スイッチをオフにしないとヤバイぞ!」という区別がつくようになる。
(働きすぎの警告は脳にはできない。脳は情報処理にひた走るだけ。壊れるまで走り続ける)

 「あの人はああ言ったけど、私の腹には響かない。くよくよ考えてもしょうがないから、放っておこう」などと、何が私にとって肝心なことかそうではないかという区別がつき始める。結果としてクヨクヨすることがなくなる。
(脳の働きは、コンピューターみたいなもので、どんな情報でも構わず処理をしようとして、様々な状況の変化を一律に取り込み、すべての情報にしばられ引きずりまわされ、選択ができなくなる)

 感情に巻き込まれることがなくなる。あるいは感情の働きの豊かさ(喜怒哀楽)を楽しめるようになる。
(情緒の不安定は脳の働きを阻害する。そこで脳は感情を押し殺そうと緊張を強いる。そこに葛藤が生まれ感情を閉じ込めたしこり=トラウマが形成される)
 胸の中でもやもやしているものが、お腹から眺めれば、解決の糸口が見えてくる。大変だねと、お腹の側から声をかけることができるようになる。

 これは、私にとって何よりの意味といっていいのですが、道端に色とりどりに咲き誇る、小さな花々の姿が私の意識に飛び込んでくる。
先に脳とお腹(呼吸)の往還運動と書きましたが、そこに心の空間が開けるのだと思います。
 風の吹き渡る声、鳥の囀り、花の彩りや香り、自然の息吹が見るとは無しに、向こうから私の「からだ」=「こころ」に飛び込んでくるのです。

 お腹に意識を置くことは、古来、日本の風土の中では当然のことだったようです。明治に始まる西洋由来の近代化以降、私たちは「自意識」=脳に置いた意識を中心に、物事を捉えるようになってきました。
 「からだとことばのレッスン」は、古来日本の身体文化、あるいは身体哲学の価値の復権・生まれ変わりを願うものです。意識をお腹に置く。自然や他者とは、ひとつながりの「いのち」より現れては消える、多様な個々であることが身をもって了解されてきます。

 満員電車も新宿の雑踏も、「いのち」の花の咲き誇る場となれば素敵かもしれません。「妄想」ですね(笑)


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2017年04月30日 (日) | Edit |

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 「からだとことばといのちのレッスン」の成立する場は「いまここ」である。

 例えば何かを見るとき。「これは木だ」「これは水だ」「これは草だ」「あれは人だ」「これは女だ」「これは男だ」「あれは誰それだ」などなど、一瞬ではあるが、私たちは目に入ったものが何であるかを頭の中で考え、眼に見えたものを区別している。

 聞くことも同じだ。「風の吹く音だ」「虫の声だ」「鳥の囀りだ」「自動車の騒音だ」「川のせせらぎだ」などなど、私たちは頭の中に納められた過去の体験(記憶)をたどって、それに相応しい名前を充(あ)てている。

 今現在、目の前に起きている出来事を理解しようとするとき、私たちは五感でとらえた体験を、一瞬のことではあるが、必ず頭脳にある過去の記憶に照らしてその意味を考え出しているのだ。(実は未来を思い描くのも同様の作業である。過去の体験の組みなおしによって、描かれるのが未来である。未来を描くことも、意識が過去に向かうという意味では同様のことである)

 ここで注意したいのは、理解が成り立つためには、それが一瞬であれ、僅かに時間が掛かることである。目の前で起きていることを眼でとらえ、その意味が分かるまでには、脳の働きを待たなくてはならない。眼に入ったものごとが意識されるのは、僅かな時間を措いてのちに成り立つのである。私たちの認識は体験から僅かに遅れて成立するのである。私たちが見ていると思っているのは、過去の出来事となる。現実の方が僅かに先を走っているのである。私たちが現実と感じとり見ているものは、厳密には現実から切り取られた断片をもとに、脳の描いた過去の虚像なのである。

 それだけではなく、脳の働いている瞬間、私たちの注意(意識)は対象を離れて自分の中(頭脳)に向かう。五感の対象であった現実から意識が離れ、一瞬ではあるが、目の前の対象は消えてしまうのだ。私たちの対象への意識集中は、実は途切れとぎれの、フィルムのコマ送りである。

 「いまここ」は、現在の体験を、「ある時ある所で」というような、過去に照らして意味づけしようとする脳の働きの介入を許さない。「いまここ」とはいまその時々に私と対象との中に交流(交感)し合い息づいている、途切れることのない「いのち」のあらわれである。「いのち」が自ずより活躍する場なのである。

 それでは、過去にとらわれずに、「いまここ」に立つにはどうしたらよいか。意識が頭脳に囚われる瞬間、それ以前に行動を起こすことである。そしてそこに現れる「いのち」の働きに我が身をゆだねることである。

 「自分に話しかけられたと感じたらパッと(その瞬間に)手を挙げてください」これは「竹内からだとことばのレッスン」の中で代表的な、「話しかけのレッスン」。その始めに語られる言葉である。5~6名の人が床に座り、ひとりの人がそのうちの1人に向かって短い言葉で話しかける。自分に話しかけられたようだと手を挙げた人がいれば、話しかけられたその時にはどんな体験があったのかを聞いてみる。それ以外の人にも、彼が話しかけた瞬間を振り返り、その時の体験を話してもらう。

 実際にやってみると「自分に話しかけられた」とサッと手を挙げる人は先ずいない。一人一人の体験を尋ねてみると「声が手前に落ちた」「あっちの方の誰かに話しているようだ」「自分に話しかけているような気はするが、はっきりとそうだとは言い切れない」「私とは関係ない人に話している」等々、声の軌跡(光跡)が目に見えてくる。声が聞こえるだけではなく、声が見えるのである。

 ここでは、「こえ」自体が「いのち」の現れである。そこに見えてくるのは、話しかける者の「いのち」が、聞く者の「いのち」との合一(出会い)を求めて、「いまここ」にその働きをあらわにしている。分断された「いのち」は元来の「ひとつ」であることを求める。

 「話しかけのレッスン」の中で体験される届かぬ声とは、「いのち」のあらわれに対してそれを妨げる自我のあり様を、その瞬間にあらわにする。「いのち」を私物化し、それを自我の管理下に取り込もうとする意志と、「いのち」の持つ自発性との葛藤が、その瞬間の中=「いまここ」に浮かび上がってくるのである。

 レッスンの中で、「話しかける」という行為は、じつは「いのち」から「いのち」への呼びかけである。それが私たちを「いまここ」へと誘(いざな)う道を劈くのである。(のちに竹内敏晴はそれまでの「話しかけのレッスン」という呼称を「呼びかけのレッスン」へと変更した。竹内もこんな思いを持ったのかも知れない)

 「いのち」は止(とど)まることのない「はたらき」である。その働きが私たちを捉え行動を促す。自己や種の生存に費やされていた力(エネルギー)は、再び「いのち」として解放され、ひとつの「いのち」へと還っていく。自我意識によって囚われ閉ざされた自己は、互いに互いを生かしあう自由の中に生きはじめる。ひとつの「いのち」とそこから生まれる、多種多様な一人一人の「あらわれ」は、春を迎えた草花たち、その一木一草の一つ一つの「いのち」の、まるであらかじめの約束に従うように、個々であることの鮮やかさを曇らすことなくひと時に咲き誇る、ひとつの「いのち」となる。「さきはふ」のである。

 これらは、非常に矛盾を孕んだ物言いと思われるかもしれない。しかしながら「いまここ」つまり「いのち」の働く場とそこでのあらわれに矛盾はない。そこに矛盾を見るのは、私たちの思念の側が矛盾を孕んでいるからに過ぎない。

 不思議という。「思い計らえず」と読むならば、不思議という言葉は、思い計らうことのできない存在のあることを認めることになる。不思議とは、分からない理解できないという表白ではない。思い計らえないものの側から、自分が問われることなのだ。これが「からだとことばといのちのレッスン」の不思議であり、一般向けにその意味を伝えようとすることの困難なところである。私たちはすべてが思議可能なもの、自意識で把握(思い計らう)のできないものは存在しないと、いつの間にか思わされてしまっているからである。

 思い計らうことによっては把握ができないのが「いのち」であり、その働きの現れる場が「いまここ」である。そして「いのち」の側からの働きかけに「からだ」を委ね、「いのち」の語る「ことば」によって、わが身は劈(ひら)かれる。「からだとことばといのちのレッスン」の目指すところである。

 瀬戸嶋 充・ばん

《付記》私は、竹内敏晴「からだとことばのレッスン」の実践と研究を続けてきた。竹内敏晴は「呼びかけ(話しかけ:旧称)のレッスン」のほかにも、「からだ揺らし(ほぐし:旧称)のレッスン」「出会いのレッスン」「砂浜のレッスン」「声とことばのレッスン」等々、「からだ」と「ことば」へのアプローチの形を残してくれた。その継承を目指して長年歩んできた私の中で、今では「何か」が変容しつつあるようである。そこで「からだとことばといのちのレッスン」へと名称を変えていきたいと思う。けれどもどのレッスンも名称や、やり方に関わらず、その根本に在るのは竹内の遺した「いのち」によって『劈かれる』ことだと、私は思っている。

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テーマ:創造と表現
ジャンル:学問・文化・芸術
2017年04月19日 (水) | Edit |

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2月の下旬にはLINEを乗っ取られ、3月末には眼鏡と手拭いを終電に置き忘れ、一週間前にはパソコンがクラッシュ、昨夜は奥歯の根っこが抜け歯茎の皮一枚で口の中に納まっている。そのうえ2月の始めから、どんなに頭をひねってもブログが書けない。(けっしてサボっていたわけではありません)

「受難続き・・・!とっても大変だ~悲惨!」とは思っていませんが・・・。変わり目なのです。今までの自分を超えて何かあらたな局面が開けつつあるときには、以前にもすべての歯が口の中で砕ける夢を見たり、眼鏡を踏んづけて壊したり、ビーサンの鼻緒が切れたり。いろいろと予想外のことが起こるのです。

去年の暮から、この春は何か大きな変わり目の予感がしていたのですが。どうやら現実になってきているようです。それにしても今回はずいぶんと激しい変化の予告です。

おいおい整理していこうとは思っているのですが、3月中旬に開いた大滝村合宿が大きな転換点になっていると思います。まずなにより「野口体操」と「からだとことばのレッスン」へのかかわり方が変わってしまったようです。レッスンをしていて、参加メンバーのために何かをしなければならない、何とかしてあげなくてはという発想が、すっぽり抜け落ちてしまったのです。指導をする瀬戸嶋がそれでは、合宿が成り立たないではないかと怒られそうですが、その場の集中度は、以前に比べてはっきりと深まっていました。

あれ以来、私のレッスンが変化をしているのです。何かを工夫して、レッスン指導の中に持ち込んでいるわけではありません。むしろ私の意識できないところで、私の何かが変わってしまったようです。

蝶々が、芋虫からサナギを経て蝶へと成長するとき、サナギの中ではそれまでの芋虫のからだの中身が一旦ドロドロに溶けてしまい、そののち蝶の姿がサナギの中で形作られるそうです。私の変化もそれに近いような気がしています。

    *    *    *

今は新たに歩みださざるを得ないところにいます。そんなとき竹内演劇研究所時代にスタッフをしていたMさんから、「竹内敏晴研究」の立ち上げに協力しないかと誘いを受けました。その内実はまだこれから作り上げていくものですが、「竹内敏晴研究」の旗印のもと、これまでに竹内敏晴に影響を受けた人や著作に触れて心がうごいた人に、ブログに記事を投稿してもらうことからはじめていきます。

【以下に「竹内敏晴研究」ブログへの、私の所信表明を転載します】

『「竹内敏晴研究」の立ち上げに臨む私の思い』(せとじま・ばん)

竹内敏晴のいまを観てみたい」それが「竹内敏晴研究」の立ち上げに臨む私の思いです。

竹内敏晴によって蒔かれた種子が、あるいは劈かれた「いのち」が、今現在一人一人の個人の中にどのように息づいているか、それを私は観てみたいのです。

私にとって「竹内敏晴研究」は「いまを生きる竹内敏晴」の研究です。竹内敏晴はすでに亡くなりました。けれども竹内敏晴との出会いを通じて私たちに引き渡された「いのち」の流れは、目には見えないながらも、伏流水のように私たちの中にいまだ流れ続けていることでしょう。

竹内敏晴の「いのち」の流れの大きさ・深さ・激しさ故に、私たち一人一人の中に竹内との出会いによって劈かれた「いのち」の流れは、ときには世間と衝突し、あるいは社会からの突出を余儀なくされたこともあったでしょう。

けれども私たちが今現在もこうして生きているということは、自らの「いのち」の流れが閉ざされることなくこれまでの人生を乗り越え、いまだ流れつづけているということです。

私が観てみたいのはここの所です。竹内敏晴という存在や彼からの影響を、自らの過去の体験や知識、既成の研究方法によって意味づけすることに、わたしは興味がありません。学会や研究機関・団体、あるいは資料館や博物館のような役割を「竹内敏晴研究」に当て、竹内敏晴の事跡を浮かび上がらすことにも必要を感じていません。

竹内敏晴と出会った、あるいは影響を受けた一人一人が、自らを貫き流れつづける自らの「いのち」を深く見つめることで、竹内敏晴という存在の意味や意義は自ずと浮かび上がってくることでしょう。個人の「いのち」は川の流れや、樹木の枝が成長につれて枝分かれするように、一つの全体の一部分なのですから。

さらに、竹内敏晴レッスンのもつ独自性、それは同時に普遍性に通じるものと私は思っています。時代の振り子がその向きを大きく転回しようしている昨今、時代の変化に流されることなく、「いのち」の未来を指し示す手がかりが竹内レッスン(竹内敏晴の実践)にはあると思うのです。

    *    *    *

「竹内敏晴研究」立ち上げの私の所信表明になりました。あえて「研究会」としなかったことには理由があります。それは「竹内敏晴研究」が場を現すものとしたいからです。それぞれの思いを、会や団体の趣旨や決定に縛られることなく、自由に放り込める「場」。「竹内敏晴研究」を合言葉として、一人一人がその興味関心に基づいて、正直に自分の思いをさらす。

議論や対話・正解を求めるのではなく、それぞれの深い思いをそのまま放り込んで行く「場」としてネット上にブログを立ち上げたいと思ったのです。インターネットの時代だからこそできることだと思うのですが、さまざまな人たちの投稿の結果として、竹内敏晴の「いのち」がブログの中に息づいてくる。

竹内敏晴あるいは竹内レッスンを語る難しさは、彼が常に「いまここ」に足場を置いていたことに依ることでしょう。「いまここ」とは、常に流動し止むことのない「いのち」の涌きいずる「場」です。このブログが、そんな「いのち」の場に花開く、一人一人の「ことば」で満たされることを私は願っています。

    *    *    *

「竹内敏晴研究」のブログに、自ら投稿を希望される方がいらっしゃれば、メールtakeuchi.toshiharu.kenkyu@gmail.com宛てにご連絡ください。投稿の手続きをご案内します。

    *    *    *

最後になりますが、簡単に自己紹介をさせていただきます。
瀬戸嶋 充・ばん と申します。
私は1981~88年の7年間、竹内演劇研究所に於いて竹内敏晴の活動にかかわり、竹内演劇研究所解散のあと人間と演劇研究所を創設。その後現在に至るまで「からだとことばのレッスン」を自ら学びつつ実践を繰り返してきました。
私の近況は、人間と演劇研究所ブログhttp://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/ に公開しています。ホームページhttps://ningen-engeki.jimdo.com/とあわせてご参照ください。

    *    *    *

勝手ながらの長文にお付き合いありがとうございました。

【以上が、新たなはじまりに立つ私のひとつの思いです】
人間と演劇研究所ブログにも、もちろん投稿を続けます。
どうぞよろしくお願いします。

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2017年03月06日 (月) | Edit |

2017-02-21 020ed 


 前回ブログで、竹内に切り劈(ひら)かれた体験を書きました。

 (竹内敏晴の名著(と最近私は思っています)、その表題は『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫)です。「劈」は「つんざく」とも読みます)

 よく切れる包丁は、食材を細胞の断面まで綺麗さっぱり切り分けます。刃物職人の技ですね。細胞がつぶれたり傷つくことがないので、刺身など舌触りが滑らかで、おいしく食べられるそうです。

 鎌鼬(かまいたち)という自然現象があります。風が渦巻き小さな竜巻が起こることで、空気が吸い出されて真空の空間が生じる。その真空に皮膚が触れると、痛みも打ち身も感じることなく、一瞬にして皮膚が裂けてしまう。本人の気がつかぬうちに、傷口から血が流れでているそうです。

 剣の達人の話を聞いたことがあります。頭上から自分に向かって太刀が振り下ろされたと見たその瞬間に、真横の太刀で首を落とされる。切られた方は、自分が切られたと意識せぬうちに、もっといえば自分が死ぬという意識を持たずに死んでしまうということです。

 私は、光の白刃で切り劈かれたと書きましたが、やはり切られたという意識はありません。気がついたら自分が真っ二つに「切れていた」・・・「切られて」ではなくて、他人ごとのように「切れて」いた。「あっ!切れてる。」という感じです。

 あまりに見事に断ち切られた傷口は、切断面に裂傷のような打撃による凸凹を残さない。痛みを感じませんでした。痛みがなければ、傷を治そう、傷を塞がなければとは考えることはありません。

 くどくどと何が云いたいかと言えば、真っ二つに切り劈かれた傷を、塞ごうとしたり、縫い合わせる必要を、私は全く感じていませんでした。つまり傷口を取り繕うことなしに、ただ合わせ置いただけ。以来、裂け目をそのままに、日々をを過ごしてきてしまったようなのです。(こんな切りひらき方をした、竹内敏晴師匠は凄い!とこのごろ思うわけですが。)

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 竹内の光の太刀に切り裂かれ、闇の中に仄白く浮かぶ私の姿とは、心理学や精神を研究する人たちの言葉を借りれば、おそらく私の「自我」そのものなのでしょう。

 自我が切り劈かれていながら、切り劈かれていることに気づくことなしに、その後30年あまりを過ごしてきたことになります。

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 「自我」に傷を受けることは、普通はトラウマ(心的外傷)と言い、その修復・回復が、災害時などの問題として取り沙汰されています。

 心的外傷とまで言わなくとも、心が傷つけば、その得体の識れない痛みや苦しみを何とかしようと、誰もが一生懸命になることでしょう。

 ところが私は傷を塞ぐことに、まったく注意を払わずに来ました。痛みも苦しみもないのですから、当然と言えば当然のことかも知れません。

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 あのとき「自我」が切り劈かれたのだと気がついたのは最近です。同時に自分が光にまつわる体験(前回ブログ)をしてきたことの意味・理由が見えてきたように思ったのです。

 ここでは「自我」という言葉が使いやすいので、これを続けて使いますが、私にとって「自我」とは、このとき切り劈かれた「私」です。

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 「自我」とは私と他者を区別する境界です。皮膚・体表の内側、それを「自分」として、他者や外界と区分け・区別するのが、自我の役割です。目の前の人の「からだ」を見て、その「からだ」は自分のものだとは、普通は言いません。

 同時に自分の心の内面に区別を立てるのも「自我」です。無性に腹が立った時、それは自分ではない。除去しなければならない、消し去らなければならないと、自分とそれに必要が無いものを区分けするのも「自我」といえます。

 内外の世界から自分を区別して、これが自分だと決めつけるのが自我のはたらきです。(この「自我」を取り去れば、内外という区別も、人間の意識が作り上げた時間と空間という概念も消え去ることでしょう)

 私の場合、そのような区別にたいして、無自覚に隙間を抱え続けて来たことになります。心的な世界が現実の中に噴きだしてしまう。あるいは他者のからだの内側の動きも含めて、他者のからだに同調(シンクロ)してしまう。

 実は、これがレッスンの時に無くてはならない能力なのです。常識的にはあり得ない「ものごと」への見方・受けとり方・考え方がこの時以来、竹内敏晴師匠によって私の中で始まったのでした。

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 お寺で、坐禅の最中に自分(からだ)が、光に連られて山中一杯まで広がった体験も、一般から見れば狂気・頓狂に属する体験でしょう。妄想と決めつけられても仕方がないと思います。けれども私自身にとっては、現実の体験です。

 この時は「いき」(呼吸・息)に集中することで、自我の裂け目を思い切り押し広げ、自我の壁=限界を打ち破ってしまった。その結果として内外の区別の無い世界を体験したのだと思います。

 もともと裂け目があったものだから、向こうから来るものと、ひと繋がりになってしまったのでしょう。自我のすき間を狙って、木霊が押し寄せてきたともいえます。

 また心理学的な見方・言葉を借りれば、赤ん坊の世界観を体験したということでしょう。自他の区別が無い世界です。

 赤ん坊が大人の視線を引き付けるのは、その身体の内側から兆して来るいのちの光に、大人が照らされるからでしょう。

 そういう「私」という存在と出会うことができたわけです。あの赤ん坊の笑顔を自ら体験するって、嬉しいことだろうと思います。何よりも何よりも幸せ!有難いことだった理由(わけ)が今ではわかります。

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 レッスンや舞台演出の時に、どう指導すれば良いかの見通しがつかなくなったとき、或いは二進も三進も行かなくなったとき、それは勿論、無い頭で考えに考え抜いた末なのですが、私は目の前の場や人に向かって、自分のからだ(=こころ)を投げ出してしまいます。

 見通しなど何もない地点に向かって、自分をさらけ出す。自分の心の内側から動いて来ること、湧きでてくる言葉を、何の覆いも無しに相手に向かってぶつけていくのです。

 やはり「自我」の裂け目から噴き出してくる言葉(何の修飾もしない生の言葉)を、そのまま投げかけていくのです。ある意味、常識的には無責任極まりないことです。

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 精神障がい者のデイケアでの演劇の稽古の時がそうでした。「相手役に、言葉を届けろ!」「駄目!」「相手を見て!」「声が出てない!」「しっかり言葉にしろ!」、「そうだ!」こんな調子です。ずいぶんと荒っぽい言葉で有無を言わせず攻め立てて行きます。そうしかできないのです。

 どういう風に演技をするようにとか、こまごまと戯曲の解釈を述べたり、相手の状態を尋ねることも一切ありません。

 本番二日前にメンバーの一人の所在が分からなくなりました。担当精神科医曰く「あそこまでやられたら、私だって逃げ出したくなるよ」。

 それでも私は、戯曲の言葉が生き生きと語りだされることのみを見つめながら、説明や意見を差し挟むことなく、ひたすらグイグイとプッシュをくり返しました。

 相手が病気であるとか、職員であるとか、お構いなしです。私の「いのち」の赴くところへと、わたし自身の中身を晒し、真っ向から関わっていきました。

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 レンズを通して太陽光を一点に集める。隣り合うレンズからも一点に集められた光がある。私のレンズの焦点と演技者の焦点が一点に重なり、白熱し光を放つ。私は演技をするメンバーの隣りに立ち、その一点から、その人が注意を反らすことを許しませんでした。

 その一点は、舞台上の相手役に置かれたり、客席の観客に向かったり。レンズは「からだ」です。「光り」は声であり、その声が相手役や観客に届き、焦点を結び「ことば」が煌めきだします。その煌めきがさらに、相手役や観客の「からだ」に「灯」をともします。

 演技者相互のそんな台詞(ことば)のやり取りによって、舞台上に戯曲の世界が浮かび上がって来るのです。

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 「自我」とは、その内側に光りを囲う、薄い膜のようにも思えてきます。舞台の上で相手役や観客に全力で自分を投げかけるとき、「自我」の薄膜(壁・境界)を越えて自己の深部から光りがあふれ出し、相手の光りに呼応して輝きを増します。

 その光りの力によって、舞台上に日常を離れた、メンバー一人一人の感情の煌めき=「ことば」と、「いのち」の奔騰が満ちあふれるのでしょう。

 精神障害者リハビリテーション医療センターでの演劇上演は、メンバーと職員、その友人・家族・知人を巻き込んで、素晴らしいハレ(非日常)のひと時を体育館の空間に劈いてくれました。空間を光りの粒子が満たし、ほんとうのお祭り(=祝祭)が成立したのです。

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 ここでの演劇公演の成功は、私自身の努力に依るものではありません。努力と言うことから言えば、上演に関わってくれた人たち全員が、一人残らず、それぞれにそれぞれの立場で精一杯、無理を承知で努力してくれました。失踪したメンバーの一人も本番には帰ってきてくれました。河原に行って、気持ちを休めていたそうです。

 私が何をしたかと言えば、「いのち」を信頼し続けたことだけのようです。

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 私は自分が、ぐったりと疲れていたり、悩みに気持ちが塞がっていたとしても、稽古場或いはレッスンに向かおうとした途端に、「からだ」を内側から押し広げるような、ふんわりと柔らかな「いき」が自分の内部に満ちてきます。

 そして、ほんのりと湿り気を帯びて温かなその「いき」が、まるで温泉の湯煙のようにレッスンの場に溢れ出していくのです。(煙が目に見えるわけではありません。湿っている訳でもありませんが、実感として、そんな感じです)

 そして「いき」に乗って必要な「ことば」が、参加者に向かって語られます。息づかいと一つになった「ことば」が、「からだ」の中から零れ(こぼ)れ出してきます。息づかいと言いますが、「いき」が私を遣うのです。

 ただしこのような状態は、私が意識して作り出しているわけではありません。不思議なことにレッスンや稽古を目の前にすると、このようなことが起きてくるのです。

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 「いのち」(=命)の語原は、「息の霊力」。「い」は息を表し「ち」は力を表すそうです。つまり「いきのちから」が「いのち」の意味です。 

 レッスンや稽古の場では、私の意志や計画・努力を差し置いて、「いき」=「いのち」自体が、私の「からだ」と「こころ」を促し、レッスンを進めて行くのです。だから私自身が努力をして、レッスンや稽古をしている感じがしません。レッスン或は稽古自体が、またその場の全員が、どこへ向えば良いかを、私の「いのち」は知っているようです。

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 私が一人でからだとことばの教室を受け持つようになった頃、「ピュアな場ですね」と、見学者に言われたことがあります。ピュア:[pure][名・形動]まじりけがないこと。純粋なこと。と辞書にあります。

 当時はレッスン修行中。参加者のために何をしようとしているのか、何を手渡すことが出来たのか、自信の持てないままにレッスンを続けていました。そして正直なところ、それはつい最近まで続いていました。

 自分の仕事に自信が持てない。意味を説明することが出来ない。だから参加者に申し訳ないという思いがいつも心の片隅にありました。

 ところが今、36年を経て、これまでのレッスンが意味のないことではなかったと思えてきました。その間、出会いも別れも、厳しいぶつかり合いも、辛い痛い思いもありました。けれどもいつもピュアな「いのち」をレッスンの場に、劈き続けてきたことは間違いなかったのだと思えきています。

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 野口体操で「寝ニョロ」という運動があります。竹内レッスンでは「からだ揺らし」と呼んでいます。仰向けに寝転がった人の「からだ」に波を伝えて「からだ」と「こころ」の強ばりを解きほぐして行くレッスンです。

 強ばりとは「自我」の身体への現れです。筋肉の緊張が「からだ」の表層を鎧うように覆っています。その締め付けが強くなれば、「からだ」の中に働いている循環作用が妨げられます。筋肉の強ばりが血管や神経の巡りを堰止めます。

 私たちの生命は、身体内外の様々な物質の循環作用によって、維持されています。それが緊張=強ばりに阻害されることによって、身体の動きが鈍く感じられたり、脳へのエネルギー供給が滞り、気分障害や憂鬱情態が襲ってきたりと、「からだ」と「こころ」に変調をきたします。

 地面(床)に横たわり、「からだ」を揺らすことで強ばり(緊張)がほどけ、「からだ」のなかに起こる微細な変化へと感受性が深まり、「からだ」の中の「いき」の流れが観えてきます。同時に「からだ」は循環力を解き放たれて、解放感に浸されます。

 これも「いき」=「光り」の流れです。
 
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 繰り返しになりますが、私にとって「いき」は「光り」です。また「こえ」も光りであり、「ことば」とは「こえ」によって浮かび上がる光りの色彩・姿です。もちろん「いのち」は光りの力です。

 「からだ」「いき」「こえ」「ことば」「いのち」、それらの根底を眺めれば、「光りがある」と言った方が良いかも知れません。そしてその「光り」は私の行く先を照らすものだったのです。

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 最後に付け加えて置きますが、野口体操も竹内からだとことばのレッスンも「光り」自体を求めているわけではありません。もちろん私自身もです。「光り」は行く先を照らし、人生や探求の、方向性・見通しを劈いてくれますが、それはあくまで「光り」自体の志向です。

 「光り」を支配し、自分=「自我」の都合に合わせて、それを利用をすることは、私たちには出来ません。もし「光り」を私物化し、自分の都合で利用を強いるならば、宗教問題や原発事故のような、とんでもないところへと私たち自身を追いやることになるでしょう。

 私の場合は、どうやら不安の中をデクノボウのように真正直に歩むときに、私の歩みが確かであると知らせようと、「光り」は私に姿を観せてくれるようです。

「光り」を目指し、それを認めて終点とするのではありません。自分の道をエッチラオッチラ歩みを進めていくしか無いということのようです。これからも大いに迷いを楽しみながら。 

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 竹内に直接に指導を受けたのが、1981年から88年まで。竹内の怒りに切り劈かれたのが、84年の頃のことです。順に、精神障がい者施設での演劇公演の指導が88年、教室を単独で担当し始めたのも88年、鎌倉円覚寺学生座禅会に潜り込んで、坐禅を体験したのが2000年ミレニアムの頃。

 振り返れば、いつも「いのち」の風に背を押されて歩んできたことが、今になって見えてきます。私のこれまでの人生は、意識あるいは意志的努力によって、選択・開発・獲得したものではありませんでした。「運命」とは、「運ぶ」「いのち」です。「いのち」=「いきのちから」に運ばれてここまで生きてきたようです。

 そして漸く見え始めたのが、いのち(=からだ)への信頼感を取り戻していくことが、私に与えられた仕事なのだろうと言うことです。


【ブログを更新しました】
 ジグゾーパズルのように、記憶の断片が収まるべきところに納まって、思いがけない意味が浮かび上がって来ています。
 何の見通しもなく、次々と目の前にやってくる出来事に巻き込まれながら、それでも「竹内からだとことばのレッスン」「野口体操」と、遮二無二しがみついてきた私。
 誰になんと言われようと、どんな状況に置かれても、脇目をふらず黙々と歩み続けてきてしまった、自分が見えてきます。
 時々に訳も分からず放置してきた体験の断片が、年月を経て意味を結び始めているようです。
 私は自分以外の人たちの物語(生き方)を、いつも羨ましく思っていました。それは、自分には物語がないと思っていたからです。
 そんな事はありませんでした。私はずっと、私の物語りを綴り続けて来ていたのですね。嬉しいです。ありがとうございます。
(瀬戸嶋 充・ばん)

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2017年02月22日 (水) | Edit |

2017-02-20 001ed 


 竹内に怒られたことがある。これを怒られたと言えるのかどうか、難しいところですが。(竹内敏晴ー私の師匠・演出家・からだとことばのレッスン指導者)

 本番直前の舞台稽古でのこと。竹内演劇研究所「からだとことばの教室」は、3か月間の最終レッスンに演劇の発表会をします。15名ほどのメンバーの演技指導を私が担当しました。

 ここ二週間、参加メンバーと連夜の稽古を続けて来ました。教室スタッフとして初めて任された発表会。私自身の、これまでのレッスンや舞台での体験を手掛かりに、メンバーと共に練習を重ねて来たのです。

 けれども経験不足はどうしようもありません。稽古が上手くいかない。途方に暮れる。発表会当日を迎え、これ以上打つ手がなく上演の見込みも付かないまま、本番前に最終の稽古を竹内に預けました。

 竹内が指導に入ると、見る見るうちに舞台が活気づいてきます。戯曲の内容が鮮やかに浮かび上がってくる。メンバーの表情が舞台本番に向けて明るく開けていきます。真剣ながらも喜びを内に満たし、生き生きとしたメンバーの顔・顔・・・顔。

 私も素直に喜びを共にすれば良いのでしょうが、内心は複雑でした。竹内に私の至らなさを救われ、安堵し嬉しく思う反面、自分の力量不足が悔しかったり、情けなかったり。何とも言えない惨めな気分を味わっていました。

 竹内とメンバーに対する申し訳なさ。自分の無能を悟られることへの屈辱感と恥ずかしさ、怖れ。メンバーと、スタッフとしての自分の立場を引き比べる惨めさ、劣等感。竹内の指導する舞台稽古を見ながら、さまざまな思いが私の中で湧き立っていました。

 竹内の指導が終わり、私は無力感に襲われたまま客席からみんなの様子をうかがっていました。そこには竹内とそれを囲むメンバーの一体感・信頼感。その輪から押し退けられた私の孤絶感・孤立感・羨ましさ。

 「私に何ができるのか!」それでも「何かをしなければ!」。私はその場でスタッフらしさを誇示したかったのでしょう。竹内に声をかけ、メンバーへのアドバイスを求めようとました。

 竹内の疲れ切った後ろ姿に「竹内さん」と声をかけ、彼の肩に手を置いた瞬間のことです。竹内の「からだ」から私の「からだ」へ無言の「怒り」(光り)が飛び込んできました。

 白光の束が、氷の刃(やいば)のように噴きだし、私の腕を通り抜け、私のからだに飛び込んできたのです。光り(怒り)の剣が「私」を真っ二つ切り裂きました。

 その瞬間、私は真暗な闇の中、天地に切り裂かれた自分の姿を見ていました。稽古場の様子は意識から消え、ネガフィルムを見るような、ほの白い私の立ち姿が闇に浮かんでいたのです。

 刀傷を微塵も残すことなく、左右に断ち切られてしまった隙間からは、眼には見えない血を流しています。けれども痛みも苦しさも感じません。

 身動きさえできず、じっと静止したまま、感情のざわめきは消えてしまい、むしろ音のない闇の静けさに包まれています。私は茫然と立ち尽くしていました。

 それは一瞬のこと。竹内の姿が視野にもどり、私の縋(すが)るような眼差しを察したのでしょう。「やるべきこと、するべきことは稽古の中でメンバー全員に伝えた。」と、竹内の一言。

 直ぐに発表会の始まりです。劇場内は舞台上演に向けて動いています。思い煩ってじっとしている訳には行きません。逃げ出すことも叶いません。無言で竹内を離れ劇場を見渡し、私は裏方へ入っていきました。

 舞台が始まると、自分を脱ぎ捨て弾けるメンバーの姿がありました。舞台上で相手役に向かって、自分を乗り越えようと必死になる。その一人一人の緊張と震えが客席に伝わってきます。観客は息を凝らし舞台に食い入る。緊張が頂点にきたとき、それが「バッ!」と破れる。観客も「ドッ!」と歓声をあげて笑いが広がる。

 舞台と観客を行き交う息づかいが交錯し、劇場内が一体感に満たされます。稽古では思い描けないような、メンバーの明るく輝く姿に魅せられ、私も大いに笑わされました。演目は「出会いのトランポリン」(ミーガンテリーの戯曲:Coming&Going)です。

 上演を終え、舞台の出来に私の気持ちも明るくなり、メンバーと手をとり喜びを共にしていました。チョッピリやるせなさもありましたが、そこは打ち上げで飲んで騒いで、きれいさっぱりです。

    *    *    *

 大げさなように思われるかもしれませんが、竹内に怒られたときの体験は、この通り、このままです。30年以上を経て、いまだ私の記憶にはっきりと刻み込まれています。

 その後、この時の体験の意味を考えることはありませんでした。常識はずれで恥を晒すようでもありました。他人に話しても理解や共感を求めることは出来ないことでしょう。「ほとばしる光りの流れが私を切り裂いた」ことなど。

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 今頃になってその体験の意味が、私の中から浮かび上がってきました。どうやら、私のレッスンを考えるうえで、その中心を流れているのが「光り」の体験のようなのです。

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 お寺で坐禅を組んだ時のことです。日暮れた境内の中、一般者向けの道場で結跏趺坐(胡坐)を組み、呼吸に集中していました。
 
 一つ二つ・・・と息を数えるうちに、吐く息に連られてからだに「グッ!」と力が満ちてきます。樹木の固い幹のように、丸太ん棒のように全身が固まってきて、微かな息しか出来なくなりました。

 さらに息に力を込めた瞬間。裏山の中腹から木の厚板を叩くような、軽やかな音色が響いてきました。

 境内の奥、山上にあるのは修行僧の専門道場です。カンカンカンと木板を叩く音は、道場から参道に沿って、樹木に谺(こだま)しています。木板を槌打つ音が、樹々の響きを呑み込みながら、谷間をこちらへ駈け下りてきたのです。

 樹々の谺と鎚音の呼応しあう光景が眼に浮かび、うっとりとその美しさに聞き入っていたところ、谷間の景色は暗転し、響きは音を消し、光りの流れに変わりました。

 白い光りの怒濤が、暗闇を奔(はし)る龍のように、音もなく谷間を這い降りてくるのです。光芒が参道にそって、白い飛沫を飛び散らせながら、こちらに向かって駆け降りて来ます。

 光芒に呼応して、こちらから、私の方からも光りの帯が谷を昇っていきました。やがて両方の流れが出会い、再び谷を昇り始めます。山の中腹を越え、光芒は境内の後方を取り囲む山々の稜線へと駆け昇っていきます。

 山稜の影を超え、夜空に差し掛かったところで光りは消えました。代わって、山上の夜空を区切る境界線が見えてきます。こちらの側には境内の建物とそれを囲む山並みが、天空の境界線(天末線)によって切り取られ、陰影のままその中に納まっているのが見えて来ました。

 境界線の向こう側には、私の認識を阻む、漆黒の闇があります。命あるものとは一線を画した虚無の闇のようです。

 この境界線の内側までが「私」の「からだ」なのだと、納得させられました。なんだかちっぽけだと思いながら。

 やがて意識が反転し、境内の御堂で坐禅をする自分の姿に戻りました。「からだ」の内側に注意を向けると、こんどは境内の世界すべてが坐禅を組む自分の姿の内側にありました。その途端、涙が溢れてきました。息が深く自分を貫き、その奥底から感謝の思いがとめどなく溢れてきたのです。

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 これも「光り」にまつわる体験だったのです。その他、糸を引くように、様々な体験が浮かんできます。

 精神科のデイケアで井上ひさしの戯曲「十一匹のネコ」を上演した時のこと。感動に包まれた体育館の空間を「光り」の粒子が、キラキラと舞っていたことがありました。

 戯曲の力と、劇場を満たす深い集中が相俟って、その場に集う人々の「こころ」(=「からだ」)の奥底より、光りが解き放たれたのだと思います。
 
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 その他レッスンの場での、細かな場面ですが、やはりどれも「光り」がありました。

 竹内敏晴の指導する「呼びかけのレッスン」。誰かに向かって話しかけようとすると、声の軌跡が見えてくる。それは陰影の中に浮かぶ「光り」の光跡です。

 野口体操で身体の表層の強張り(緊張)をほどいて行くと、その人のからだの深部から光りが兆してきます。からだ全体の表情が明るくなります。

 私がことばのレッスン(朗読のレッスン)をするとき、ことばが光りを帯びて他者に至り、その場に、物語に描かれたイメージを浮かび上がらせる。

 姿勢と呼吸の指導をしている時に私は、「からだ」全体の息の流れ=「からだ」の陰影に浮かぶ光の流れを観ています。

 おそらく、細かい具体例をあげれば、きりがないようです。

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 結論から言えば、「光り」とは、「いき(息)」そのものだと私は思い始めました。そして「いき」は「こえ(声)」でもあります。

 発声のレッスンでは、「声を出そうと努力するのではなく、相手に向かって息を届けろ!」と指示をします。「こえ」も「いき」です。息が日常の空間を超えて他者に届くとき、非日常の場が劈(ひら)かれます。劇(演劇)的な空間が息づくのです。

 私の仕事=「からだとことばのレッスン」は、からだの調律であると以前に書きました。「いき」=「こえ」=「光り」の劈かれるために、「からだ」の調律=自然の理に「からだ」を導くことが、私の天職だといまは考えています。

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 なんだかファンタジー小説のようですね。現実に引き付けると、眉に唾を付けたくなるようでもあります。けれども私にとっては「からだ」を通じて観た、実体験です。それをそのまま書きだしてみました。

 こんなことが普段いつも見えている訳ではないし、ましてや観念をこね回して、物語を思い描いたわけでもありません。

 演劇や「からだとことばのレッスン」「野口体操」あるいは禅という、非日常の場で、私の感性の目に映ったことどもです。

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